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田中利典師は、師の名著『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)の内容を抜粋して、ご自身のFacebookに紹介されている。本書は私も何度も読み返し、講演などでも紹介させていただいている。良い復習になるので、当ブログでも順次、紹介させていただく。
※トップ写真は師と息子(三男)さん。今は高2だそうだが、このときは保育園児だったとか
初回は1/26付の師のFacebookから。私は先月(2022.1.30)東京・新橋の奈良まほろば館で、役行者などに関する30分ほどのミニセミナーをする機会に恵まれた。PowerPointの表紙の写真は、毎年11月第2日曜日に吉祥草寺(御所市)で営まれる大護摩供と山伏行列の写真を紹介し、「皆さん、山伏をご覧になったことはありますか?」と聞くと、30人以上のご参加者の誰も手を挙げなかった。
これには私も驚いた。確かに葛城とか吉野ならともかく、東京では歌舞伎の「勧進帳」以外では出くわすことはないのだ。利典師も「山伏とは、いわばオオサンショウウオのような、天然記念物というか絶滅危惧種のようなもの」と述懐されている。では、記事全文を紹介する。
シリーズ「修験道のお話」
拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)は7年前に上梓されました。一昨年、なんとか重版にもなりました。「祈りのシリーズ」の第2弾は、本著の中から、「修験道」をテーマに、不定期にですが、いくつかの内容を紹介いたします。よろしければご覧下さい。
************
「山伏ってなに?」
あるシンポジウムで、著名な女優さんとご一緒する機会がありました。私はゆえあって山伏の装束で出演したのですが、その女優さんに、突然、抱きつかれてしまいました。「生山伏を見るのは初めて!」って(笑)
どうやらとても珍しい山伏を目の前にでき、その女優さんは感激したようなのです。彼女にとって「山伏」とはいわばオオサンショウウオのような、天然記念物というか絶滅危惧種のようなものだったのかもしれません。
とにかく一般の人にとって山伏を見るのはめずらしいことでしょう。せいぜい歌舞伎の『勧進帳』とか能や狂言の舞台ぐらいでしか、まじかで見る機会はないと思います。
「かつてはたくさんいた山伏」
私たち山伏からすれば、山修行に入るときにはつねにこういうスタイルですから、みなさんに驚かれることに、当惑してしまいます。しかしどうして、かくも山伏がめずらしいのでしょうか。じつは、かつて山伏はあちこちにいたのです。
山伏というものは、けっしてめずらしいものではありませんでした。いや、それどころか、人々の暮らしの中でお祭りごとや加持祈祷(どうぞお守りください、お助けくださいとお願いする儀礼や、病気治し・憑きもの落としなど)などを行う存在として、身近に親しまれる存在だったのです。
でもある時から、山伏は激減し、姿を消してしまいました。それは、明治になってからのことです。明治政府が山伏を根絶やしにしてしまう施策を打ち出したからです。一八六八(明治元)年に施行された「神仏分離令」や、一八七二(明治五)年に発令された「修験道廃止令」などによって、それまで全国に数多くいた山伏は姿を消してしまいました。
やがて市井の人々が山伏の姿を見ることはなくなり、オーバーにいえば、天然記念物のごとき希少な存在になっていきました。その経緯については、このあと詳しく解説しています。
*写真は豆山伏と私(古い写真です(😣))
※トップ写真は師と息子(三男)さん。今は高2だそうだが、このときは保育園児だったとか
初回は1/26付の師のFacebookから。私は先月(2022.1.30)東京・新橋の奈良まほろば館で、役行者などに関する30分ほどのミニセミナーをする機会に恵まれた。PowerPointの表紙の写真は、毎年11月第2日曜日に吉祥草寺(御所市)で営まれる大護摩供と山伏行列の写真を紹介し、「皆さん、山伏をご覧になったことはありますか?」と聞くと、30人以上のご参加者の誰も手を挙げなかった。
これには私も驚いた。確かに葛城とか吉野ならともかく、東京では歌舞伎の「勧進帳」以外では出くわすことはないのだ。利典師も「山伏とは、いわばオオサンショウウオのような、天然記念物というか絶滅危惧種のようなもの」と述懐されている。では、記事全文を紹介する。
シリーズ「修験道のお話」
拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)は7年前に上梓されました。一昨年、なんとか重版にもなりました。「祈りのシリーズ」の第2弾は、本著の中から、「修験道」をテーマに、不定期にですが、いくつかの内容を紹介いたします。よろしければご覧下さい。
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「山伏ってなに?」
あるシンポジウムで、著名な女優さんとご一緒する機会がありました。私はゆえあって山伏の装束で出演したのですが、その女優さんに、突然、抱きつかれてしまいました。「生山伏を見るのは初めて!」って(笑)
どうやらとても珍しい山伏を目の前にでき、その女優さんは感激したようなのです。彼女にとって「山伏」とはいわばオオサンショウウオのような、天然記念物というか絶滅危惧種のようなものだったのかもしれません。
とにかく一般の人にとって山伏を見るのはめずらしいことでしょう。せいぜい歌舞伎の『勧進帳』とか能や狂言の舞台ぐらいでしか、まじかで見る機会はないと思います。
「かつてはたくさんいた山伏」
私たち山伏からすれば、山修行に入るときにはつねにこういうスタイルですから、みなさんに驚かれることに、当惑してしまいます。しかしどうして、かくも山伏がめずらしいのでしょうか。じつは、かつて山伏はあちこちにいたのです。
山伏というものは、けっしてめずらしいものではありませんでした。いや、それどころか、人々の暮らしの中でお祭りごとや加持祈祷(どうぞお守りください、お助けくださいとお願いする儀礼や、病気治し・憑きもの落としなど)などを行う存在として、身近に親しまれる存在だったのです。
でもある時から、山伏は激減し、姿を消してしまいました。それは、明治になってからのことです。明治政府が山伏を根絶やしにしてしまう施策を打ち出したからです。一八六八(明治元)年に施行された「神仏分離令」や、一八七二(明治五)年に発令された「修験道廃止令」などによって、それまで全国に数多くいた山伏は姿を消してしまいました。
やがて市井の人々が山伏の姿を見ることはなくなり、オーバーにいえば、天然記念物のごとき希少な存在になっていきました。その経緯については、このあと詳しく解説しています。
*写真は豆山伏と私(古い写真です(😣))
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