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なもで踊りは、雨乞いのお礼(安堵町・飽波神社)/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第39回

2017年10月28日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が毎週木曜日に連載している「ディスカバー!奈良」、先週(10/19)掲載されたのは「雨乞い御礼のなもで踊り 安堵町の飽波(あくなみ)神社」、筆者は同町出身・在住の西川誠さんである。
※上の3枚の写真は私の撮影(2014.10.25)、他は西川さん


よく見ると、踊っているのは女性ばかりだった

「なもで」は漢字だと「南無手」と書き、「南無阿弥陀仏」が訛った(ナムデー)のだとされる。念仏踊りの一種なのだろう。なお『デジタル大辞泉』によると念仏踊りとは、

太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、節をつけて念仏や和讚(わさん)を唱えながら踊ること。また、その踊り。空也上人が始め、鎌倉時代に一遍上人によって広められたものという。のち芸能化して、近世初期には女歌舞伎にも取り入れられた。空也念仏。踊り念仏。



なもで踊りと名のつく踊りは飽波神社以外でも奉納されている。例えば天理市だと(『日本歴史地名大系』の「布留郷」)、

安政2年(1855)の雨乞願満役割帳(園原区有文書)によると、満願の時には郷中による南無手(なもで)踊があり、川原城村大鳥居、神田(こうだ)神社(三島町)、良因寺(布留町)、布留大橋・布留社頭など12ヵ所で踊られている。この踊は腹中に布留社神剣をもっていた八岐大蛇のとむらいのため始まったと伝え、双太鼓・12人の腹太鼓・平太鼓が拍子をとり、囃馬が口々に南無阿弥陀仏を唱えるものであった。

岡山県倉敷市下津井にもある(「日本歴史地名大系」の「下津井村」)。

「念仏踊。下津井村に在り。毎年7月15日、村中男女打交り、太鼓を打て念仏を唱へ、城山へよぢ登り、南無阿弥陀仏をなもでなもでと略する故に、なもで踊といふ」とあり、「東備郡村志」にも「其始ル暦数不知」として同様の記述をし、源平合戦の亡卒を祭る意であろうかとする。今日では「ナーモーデン」と唱えるなど、姿を変えながらも上町・片原(かたはら)・杓井戸(しゃくいど)の三地区で行われ、県下でも稀有といわれる。



前置きが長くなった。では西川さんの記事全文を紹介する。

雨乞い御礼のなもで踊り 安堵町の飽波神社
「なもで踊り」をご存じない方も多いでしょう。その昔、奈良盆地の農家にとって、水不足は深刻な問題でした。雨が欲しくても頼むところは神仏しかありません。安堵では雨乞いの「いさめ踊り」を総社の飽波神社に奉納し、雨が降れば「なもで踊り」を御礼奉納していました。



神社境内の「腰掛の石」で迎えてくれる聖徳太子のかかし

明治時代には廃れてしまいましたが、飽波神社に残されていた絵馬をはじめ、歌詞本や衣装、楽器などを手掛かりに、安堵町商工会が中心となって1995年、約100年ぶりに伝統的民俗芸能を復活させました。今年も10月21日午後3時半ごろから、飽波神社前で披露されます。「テーンツクツ、テンツクツ」とのんびりした節回しと感謝の踊り。神様も喜んで下さるでしょう。

メモ JR法隆寺駅からバスで「安堵町役場前」下車、徒歩約5分(奈良まほろばソムリエの会 西川誠)。


西川さん、興味深い記事をありがとうございました!


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