金峯山寺長臈・田中利典師のブログ「山人のあるがままに」から、印象に残った過去の名作を紹介している。今回は「人生に無駄はない」(2009.7.30)。師が「蔵王清風」欄(金峯山時報)に寄稿された文章である。
なお、当ブログで利典師の文章を紹介する記事が、120本を超えた。「利典師の文章だけを読みたい」という読者のために、新たに「田中利典師曰(のたまわ)く」というカテゴリを作り、そこにまとめたので、ご覧いただきたい。このカテゴリ名は、論語の「子曰(のたまわ)く」に引っかけている。
ところで師の座右の銘は、「人生に無駄はない」だそうだ。そのココロは〈苦しみを乗り越えたとき何事にも代え難い学びが得られるし、生きてこそ花実が咲くのである。今の苦しみは絶対に無駄にはならない。そう信じて、あきらめず、ぐっとこらえて、笑ってみることが大切なのである〉ということで、究極の「ポジティブシンキング」である。
私もよく「若いときの苦労は買(こ)うてでもせよと言うが、トシを食ってからの苦労も買うてでもせよと言いたい。ただしおカネの苦労は除く」と申し上げているので、これは師と共通する考えである。では、師のブログから全文を紹介する。
人生に無駄はない!!今月の早出し…金峯山寺の機関誌に毎月シコシコ書いている駄文の欄がありますが、その原稿の早出しです。ま、原稿締め切りに追われる中、さっき、気軽に書いた文章です。ご高覧あれ!
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「人生に無駄はない」
私の座右の銘のひとつは「人生には無駄がない」という信条である。こういうと、ほとんど無駄なことばかりをくりかえす人生を送ってきた人間の負け惜しみのように聞こえるかも知れないが、人生に無駄はないと思うことこそ、自分の人生をポジティブに変えてくれるのである。
ポジティブとは前向き志向のこと。反対をネガティブという。後ろ向きな生き方のことである。後ろ向きではなにも解決がしないのが人生なのだ。人生の答えは自分の進む前にしかない、のである。いつまでも過去の出来事にこだわっていては前には進めないし、それこそ無駄な、愚かなことなのである。
昨年日本で開催されたG8先進国首脳会議に先立つ、G8宗教指導者会議に幹事委員のひとりとして出席をして、大変示唆に富んだ発言に出会った。イギリスからおいでになっていたキリスト教の宗教指導者の方が、「世界が混迷するほど、宗教者は楽天的に考えないといけない」とお話されたのである。
ややもすると、悲観的にならざるとえない昨今の世界情勢であるが、こういう時こそ宗教者は楽天的に提言していかなければならないのであろう。宗教者までが悲観的ではこの世も行く末は終わる。観音さまを別名施無畏者と呼ぶが、まさに畏怖を取り去ることこそ宗教指導者の役目なのであり、世間を不安がらせて人心を乱すのは本来のあり方ではないのだ。世の東西をとわず宗教者が持つべき心構えだと思う。
人生に無駄はない…などというと大変のーてんきな奴だと思われるかも知れないが、ともかく人生は楽天的にポジティブに、生きていきたい。1年間に3万3千人以上に自死があり、今年も過去最高の自死者が記録されているという。正直、長引く不況、精神の荒廃、社会不安などなど、悲観すべき現実は確かに私たちの前には横たわっている。死にたいようなことばかりである。
でも、その苦しみを乗り越えたとき何事にも代え難い学びが得られるし、生きてこそ花実が咲くのである。今の苦しみは絶対に無駄にはならない。そう信じて、あきらめず、ぐっとこらえて、笑ってみることが大切なのである。ともかく楽天的にポジティブに生き抜いていきたいものである。そんなことを考える日々である。
なお、当ブログで利典師の文章を紹介する記事が、120本を超えた。「利典師の文章だけを読みたい」という読者のために、新たに「田中利典師曰(のたまわ)く」というカテゴリを作り、そこにまとめたので、ご覧いただきたい。このカテゴリ名は、論語の「子曰(のたまわ)く」に引っかけている。
ところで師の座右の銘は、「人生に無駄はない」だそうだ。そのココロは〈苦しみを乗り越えたとき何事にも代え難い学びが得られるし、生きてこそ花実が咲くのである。今の苦しみは絶対に無駄にはならない。そう信じて、あきらめず、ぐっとこらえて、笑ってみることが大切なのである〉ということで、究極の「ポジティブシンキング」である。
私もよく「若いときの苦労は買(こ)うてでもせよと言うが、トシを食ってからの苦労も買うてでもせよと言いたい。ただしおカネの苦労は除く」と申し上げているので、これは師と共通する考えである。では、師のブログから全文を紹介する。
人生に無駄はない!!今月の早出し…金峯山寺の機関誌に毎月シコシコ書いている駄文の欄がありますが、その原稿の早出しです。ま、原稿締め切りに追われる中、さっき、気軽に書いた文章です。ご高覧あれ!
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「人生に無駄はない」
私の座右の銘のひとつは「人生には無駄がない」という信条である。こういうと、ほとんど無駄なことばかりをくりかえす人生を送ってきた人間の負け惜しみのように聞こえるかも知れないが、人生に無駄はないと思うことこそ、自分の人生をポジティブに変えてくれるのである。
ポジティブとは前向き志向のこと。反対をネガティブという。後ろ向きな生き方のことである。後ろ向きではなにも解決がしないのが人生なのだ。人生の答えは自分の進む前にしかない、のである。いつまでも過去の出来事にこだわっていては前には進めないし、それこそ無駄な、愚かなことなのである。
昨年日本で開催されたG8先進国首脳会議に先立つ、G8宗教指導者会議に幹事委員のひとりとして出席をして、大変示唆に富んだ発言に出会った。イギリスからおいでになっていたキリスト教の宗教指導者の方が、「世界が混迷するほど、宗教者は楽天的に考えないといけない」とお話されたのである。
ややもすると、悲観的にならざるとえない昨今の世界情勢であるが、こういう時こそ宗教者は楽天的に提言していかなければならないのであろう。宗教者までが悲観的ではこの世も行く末は終わる。観音さまを別名施無畏者と呼ぶが、まさに畏怖を取り去ることこそ宗教指導者の役目なのであり、世間を不安がらせて人心を乱すのは本来のあり方ではないのだ。世の東西をとわず宗教者が持つべき心構えだと思う。
人生に無駄はない…などというと大変のーてんきな奴だと思われるかも知れないが、ともかく人生は楽天的にポジティブに、生きていきたい。1年間に3万3千人以上に自死があり、今年も過去最高の自死者が記録されているという。正直、長引く不況、精神の荒廃、社会不安などなど、悲観すべき現実は確かに私たちの前には横たわっている。死にたいようなことばかりである。
でも、その苦しみを乗り越えたとき何事にも代え難い学びが得られるし、生きてこそ花実が咲くのである。今の苦しみは絶対に無駄にはならない。そう信じて、あきらめず、ぐっとこらえて、笑ってみることが大切なのである。ともかく楽天的にポジティブに生き抜いていきたいものである。そんなことを考える日々である。