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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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神の慮り

2007年03月04日 | ブック・レビュー
致知(ちち)出版の月刊誌「致知」07年3月号で、作家の神渡(かみわたり)良平氏が、こんな詩を紹介していた。ニューヨーク大学病院のロビーに掛けられている「神の慮(おもんぱか)り」という詩である。

大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった
より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた
幸せになろうとして、富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに
得意にならないようにと、失敗を授かった
(中略)求めたものは何一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた
私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ

失意の中でも、懸命に前向きに生きようとする姿勢が伝わってくる。神渡氏は《人生における出来事は人間の眼には、いいこととか悪いこととかに見えますが、そうではなく、すべてうまく進んでいるんだと感謝して受け入れ、努力した時、すべては好転していくのだと思います》と語っている。

ネットで検索すると、この詩の作者はセントルイス市イエズス会修道院のJ・ロジャー・ルーシー神父で、(中略)の部分は《人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに/むしろ人生を味わうようにとシンプルな生活を与えられた》だということが分かった。
http://www.h-seisho.ed.jp/principal_room/door/20051006.htm

神渡氏は38歳で脳梗塞で倒れ、右半身不随に陥り、その後の懸命なリハビリで社会復帰を果たされた方だ。
http://www.php.co.jp/fun/people/people.php?name=%BF%C0%C5%CF%CE%C9%CA%BF

これからは、思わぬ病気で寝込んだ時やくじけそうになった時でも、「これは神さまの慮りなのだ」と考え、前向きにとらえることにしよう。

※写真は福寿草。06.3.25 下市町広橋で撮影。
コメント (2)
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