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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

真田丸(4)挑戦

2016年02月04日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
日曜日(1/31)、第4回「挑戦」を見た。NHKのHP「あらすじ」によると、

昌幸は信繁とともに、織田信長との面会に向かう。織田の本陣で、信繁はのちに生涯をかけて争うことになる徳川家康と運命的な出会いをする。少しでも有利な条件で織田家臣になろうと真田家は策略をめぐらせるが、そこに家康が大きく立ちはだかる。一方、真田の郷では信幸が留守を任されていたが、きりや梅をも巻き込んだ一大事が起きていた。

真田昌幸と信繁は、織田信長に会いに行った。そこには徳川家康もいた。最もハラハラしたのは家康が「昌幸は、わざと偽の手紙を上杉に出したのではないか」と疑い、「直江兼続に確かめるぞ」と脅すシーン。ここでそれがバレれば、この場で殺される。
※写真はいずれも、NHKのホームページから拝借

しかし昌幸は「確かめたければ、勝手に確かめればいい」と一歩も引かない。その態度に家康は、自分の勘違いであったとし、その場は収まった。昌幸の、体を張った一世一代の名演技だったわけだ。

明智光秀が信長に激しく責め立てられるシーンもチラリと登場し、次回で登場する「本能寺の変」を匂わせる。一方、真田の里では、真田信幸(信繁の兄)と、主君・武田勝頼を裏切った小山田茂誠(信幸・信繁の姉である「松」の夫)との間で激しい攻防が始まる。これも次回に向けた伏線なのだろう。行方が楽しみだ。

このドラマについて、「現代ビジネス」(講談社)は《「1年間待ったかいがあった!」—そう快哉を叫ぶ大河ファンもいるだろう。三谷幸喜の脚本は真田家も視聴者も翻弄し、さながらジェットコースターのよう。戦国武将たちはこの後、どうなるのか?》と書き絶賛している。ぜひお読みいただきたい。

では最後に、「大河ドラマ特集 注目の見どころ応援サイト」から、今回のあらすじを紹介しておく。

いよいよ、真田昌幸と真田信繁が諏訪の法華寺にて織田信長に対面します。廊下の向こうからは、少し先に織田家に臣従した室賀正武がやってきたので「密書を奪ったのはお主か?」と知らない素ぶりを演じた。

待っている間、真田信繁は織田勢の武器などを見て回り、感心していると、これらは徳川の物だと指摘された。その武将は、徳川家康と本多忠勝であったが、真田信繁はまだ2人が誰なのかはわかっていないところに、父・真田昌幸がやってきて、徳川家康らと挨拶を交わした。



真田昌幸は徳川家康に、織田信長への貢物の相談を行うが、かつて三方が原の戦いにて「武藤喜兵衛」と言う武将から手痛い目に会ったと話題を変えられた。しかし、その頃、武藤喜兵衛と称していた真田昌幸は「存じませぬな」と、答える。

滝川一益に案内されて部屋に入ると、まず、織田信忠と徳川家康が入ってきて、織田家へ臣従する書状と、例の上杉家に出した書状を見せて、上杉に臣従するつもりだったのではと質問をしてきた。これに対して真田昌幸は「方便でござる」と涼しげに答え、真田のような小勢力が、上杉から攻められないための布石であると弁明し、織田信長によって我らを守り抜いてもらわねば困ると言います。

徳川家康は、わざと偽の手紙を上杉に出したのではと疑い、直江兼続に確かめるぞと脅すが「確かめたければ確かめればよい」と真田昌幸も引かなかったことから、徳川家康は勘違いであったとこの場を収め「さすが武勇を馳せた武藤喜兵衛である」と称賛した。

そこに織田信長が入ってくると、一言「よき面構えじゃ」と一言放ち、真田昌幸の織田家臣従が認められた。こうして、真田昌幸は滝川一益の配下に加わり、岩櫃城と沼田城は織田家に差し出すよう言われる。また、安土城へは誰を人質に出すかの議論も始まる。そして、滝川一益は、小県の国衆のまとめ役に、真田昌幸を指名する。しかし、京では天下を揺るがす大事件が起きようとしていた。
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真田丸(3)策略

2016年01月30日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
1/24(日)真田丸第3回「策略」を見た。まずはNHKのHPから、「あらすじ」を紹介しておく。

昌幸は真田家の生き残りをかけ、信幸に命じて上杉家に密書を送る。しかし、その動きを室賀正武の忍びが偵察していた。信繁は、地侍の娘・梅に加勢するため、幼なじみ・きりとともに室賀の領民たちとの争いに巻き込まれることに。一方、高遠城に乗り込んだ徳川家康と本多正信、本多忠勝らのもとに、意外な人物が現れる。

生きるか死ぬかの戦国の動乱場面の合間に、気に入った女性に櫛をプレゼントしようとする信繁の照れるシーンなどが場を和ませてくれる。ロケ地の1つとなった真田氏本城跡(長野県上田市)は年末に訪ねたばかりだったので、ことさら印象深い。

それにしても真田昌幸とは、食えない男である。「みどころ」(NHKのHP)には、《兄・信幸、苦悩! 真田家を守るため、あらゆる手段を模索し、策を講じる昌幸。その狡猾(こうかつ)な言動は、時に家族をも翻弄。正義感にあつい信幸が苦悩する中、奔放な信繁が新たな難問を兄に押しつける!》。ニセの手紙を長男・信幸に託し(信幸はホンモノだと思っている)、それをワザと織田側に奪わせる。

奪われた信幸は屋敷に戻り、父に「切腹してお詫びしたい」と申し出るが、父は「あれはニセモノじゃ」。味方(長男)まで欺して家を守ろうとする昌幸の姿に、信幸は苦悩する。何しろ命を賭けていたのだから。

「新たな難問を兄に押しつける」とは、小山田茂誠(信幸・信繁の姉である松の夫)の処遇。信繁の前に、主君・武田勝頼を裏切った小山田茂誠がボロボロに疲れ切った体で出てくる。信繁は信幸の前に連れて行く。信幸は切腹を薦めるが、松が夫をかばう…。

では最後に、この回のあらすじを「大河ドラマ特集 注目の見どころ応援サイト」から引用しておく。

 真田三代 上 (文春文庫)
 火坂 雅志
 文藝春秋

岩櫃城(いわびつじょう)では、真田昌幸が矢沢頼綱のジイと、真田信尹(のぶただ=昌幸の弟)らが今後の事を議論した。真田昌幸は、小県(ちいさがた)の国衆を調略しようと考えている。徳川家康は激戦となった高遠城に入り、仁科信盛が自害した場所に、本多忠勝・本多正信と共に手を合わせた。信濃の国衆である出浦昌相(出浦盛清)と室賀正武も、真田屋敷に集まって織田信長につくのか議論となった。

一方、真田信繁(幸村)は、真田の地侍である堀田作兵衛を訪ねようとすると、そこに高橋内記の娘・キリがやってきた。真田信繁は、堀田作兵衛の娘・梅がお気に入りで、キリに「櫛」を渡してほしいと頼むのだが、キリは直接渡せばと、真田信繁の手を引っ張って梅のところに連れて行った。真田信繁は照れてしまい、なかなか櫛を渡せずにいると、梅が「お土産だって」と勝手に櫛を見せる。



さて、真田昌幸は、上杉景勝への密書を届けるように、真田信幸に託す。さっそく、真田信幸は妻・こうを呼び、旅支度をすると、佐助と共に越後へと向かった。この動きは、忍びを放っていた出浦昌相にすぐさま報告される。

真田信繁らは、隣村から薪を切りに来た現場を見つけると、堀田作兵衛や梅らと退治するが、梅と真田信繁が親しげにしているのをキリは気に食わない。皆で山を下りていると、林の中から疲れ切った小山田茂誠が出てきた。

真田信幸らは出浦昌相と室賀正武らの忍者らに襲撃されて、上杉家への密書を奪われてしまい、佐助は怪我をしてしまう。真田屋敷に戻った真田信幸は、父・真田昌幸に詫びて、すぐに取返しに行くと言ったところに、密書を奪った室賀正武がやってくる。

実は、手紙の内容は、上杉景勝から寝返りの打診を受けた返書と言う内容だったのだが、そもそも、上杉家からそのような話は届いていない。要するに、真田昌幸が上杉景勝への返事の手紙を偽装し、わざと奪わさせて、その手紙の内容を信じている出浦盛清が織田信長に通告するよう仕向けたのです。

これで、織田信長に「真田昌幸は、ほうぼうから声が掛かると言う注目すべき武将なのか?」と思わせる作戦だったのです。怪我をしたはずの佐助も、ぴんぴんした様子で現れては、真田昌幸から賞賛を得ると、また風のように去っていきました。

さて、小山田茂誠の取り扱いに困った真田信繁は、兄・真田信幸を堀田作兵衛の家に連れて行き、小山田茂誠に合わせます。真田信幸は、小山田茂誠に対して切腹するよう迫りますが、小山田茂誠の妻で、真田信幸らの姉でもある松が、かばいました。翌日、織田信長より真田昌幸に対して参上するようにとの連絡が届き、生きて帰らなかった時は、頼むと真田信幸にあとを託して行くのでした。
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真田丸(2)決断

2016年01月23日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
日曜日(1/17)、NHK大河ドラマ「真田丸」第2話「決断」を見た。第1話同様、快調なテンポで話が進む。映像も音楽も、ドラマをうまく盛り立てている。堺雅人の口調は「半沢直樹」そのままで、これが堺流なのだろう。視聴率は関西地区では21.8%、関東でも20.1%をマークした、お見事!NHKのHPから「あらすじ」を拾うと、

信繁と信幸ら真田家一行は、甲斐の新府城を脱出し、父・昌幸の待つ上州・岩櫃城へと向かう。しかし、そこには野盗の群れが待ち構えていた。一方、勝頼は家臣たちの裏切りにあい、武田家は滅亡する。徳川家康ら織田方の大軍が、今まさに主家を失った真田家に襲いかかろうとしていた。真田家は、北条氏政につくか上杉景勝につくか決断を迫られる。

農民に変装して「落ち武者狩り」から逃れようとする信繁(幸村)一行のユーモラスなシーンが目を引いたが、一方、前回で主君・武田勝頼をあっさりと裏切って織田側に組した小山田信茂(おやまだ・のぶしげ)は「主君を裏切った不忠者」として、甲斐善光寺で織田信忠に斬首を命じられた。うーん、戦国の世とは、こんな世だったのだ。

念のため、コトバンク「小山田信茂」によると《戦国~織豊時代の武将。天文(てんぶん)8年生まれ。小山田出羽守(でわのかみ)信有の子。天文21年父の死で甲斐(かい)(山梨県)都留郡(つるぐん)谷村城主をつぐ。武田信玄の談合衆のひとりで,戦い上手でもあった。武田勝頼の滅亡のときうらぎったが,天正(てんしょう)10年3月24日織田信長に甲府善光寺で殺された。44歳。通称は弥三郎》。さて、第2話のあらすじを、「大河ドラマ特集 注目の見どころ応援サイト」から拾っておく。


第2話は、真田信幸と真田信繁は、母・薫と、祖母・とりらが、困難を乗り切って、岩櫃城へ逃れる話からとなります。史実でもこの逃避行は、苦労があったとされています。真田丸の話のなかでは、途中、百姓の落ち武者狩りにあいます。その頃、岩櫃城の真田昌幸のもとには、武田勝頼が小山田信茂の岩殿城へ向かったと言う知らせが届いていました。

真田信繁の一行には、命を受けた小山田八左衛門が現れて、捕えようとします。一方、小山田信茂に裏切られた武田勝頼一行は、田野にて最後の力を振り絞って滝川一益勢と戦うも、すでに40名ほどしかおらず、自刃して果てました。その夜、武田信玄の亡霊が真田昌幸のもとに現れますが、何も言わずに消え、佐助が悪い知らせを届けにきました。

真田信繁の一行に同行していた小山田八左衛門は、ついに刀を真田信幸らに向けますが、そこに手勢を率いた真田昌幸が到着し、小山田八左衛門らは逃走します。甲斐善光寺にて織田信忠に臣従を誓った小山田信茂は「主君を裏切った不忠者」として斬首を言い渡されます。岩櫃城に戻った真田昌幸らは、上杉景勝を頼るか、北条氏直につくか、思案しますが最終的に織田家に臣従する道を選びます。


うーん、今度の日曜(1/24)の第3話が楽しみだ!
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真田丸(1)船出

2016年01月14日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
日曜日(1/10)、NHK大河ドラマ「真田丸(1)船出」を見た。土壁に「真田丸」のタイトルバックがいい。「半沢直樹」を思い出させる服部隆之の音楽もいい、特にあのバイオリンはスゴい。細部にまでこだわった映像も素晴らしい出来だ。今年はこのドラマで、楽しく1年が過ごせそうである。

きまじめな兄・真田信幸(=信之。大泉洋)に対し、信繁(=幸村。堺雅人)の自由奔放さが強調される。父・真田昌幸(草刈正雄)からは、すでに戦(いくさ)の天才ぶりが見て取れる。第1回の「あらすじ」をNHKの公式HPから拾うと、

天正10年(1582年)2月、名将・武田信玄の急死から9年、武田家は当主・勝頼の下、絶体絶命の危機を迎えていた。重臣の裏切りをきっかけに織田信長の大軍勢が領内に侵攻、諸城が次々に陥落する事態に陥る。武田に使える真田昌幸は上野国にある自らの居城・岩櫃城で織田を迎え撃つよう進言し、準備のため一足先に出発する。残された昌幸の息子、信幸・信繁兄弟の下を、人目を忍び勝頼が訪れ「岩櫃城にはいかない」と告げる。甲斐の岩殿城へ逃げる武田の本隊と別れ、父の待つ岩櫃に向かうことを決断する兄弟。敵が目前に迫る中、家族を守りながらの決死行が始まる。

この回で印象的だったのは、武田勝頼(平岳大)の寂しい末路である。Wikipedia「武田勝頼」によると、

信濃への領国拡大を行った信玄の庶子として生まれ、諏訪氏を継ぎ高遠城主となる。武田氏の正嫡である武田義信が廃嫡されると継嗣となり、元亀4年(1573年)には信玄の死により家督を相続する。

強硬策を以て領国拡大方針を継承するが、天正3年(1575年)の長篠の戦いにおいて織田・徳川連合軍に大敗したことを契機に領国の動揺を招き、その後の上杉氏との甲越同盟、佐竹氏との甲佐同盟で領国の再建を図り、織田氏との甲江和与も模索し、甲斐本国では新府城への府中移転により領国維持を図るが、織田信長の本格的侵攻(甲州征伐)により、天正10年(1582年)3月11日、嫡男・信勝とともに天目山で自害した。これにより平安時代から続く甲斐武田氏は(戦国大名家としては)滅亡した。

近世から近現代にかけて神格・英雄化された信玄との対比で、武田氏滅亡を招いたとする否定的評価や、悲劇の当主とする肯定的評価など相対する評価がなされており、武田氏研究においても単独のテーマとしては扱われることが少なかったが、近年では新府城の発掘調査を契機とした勝頼政権の外交政策や内政、人物像など多様な研究が行われている。



私は真田昌幸・幸村(信繁)父子が蟄居した紀州九度山(和歌山県伊都郡九度山町)に生まれたので、父子のことはよく聞かされて育った。ゴールデンウィークには、「真田祭り」という伝統的なお祭りもあった。とりわけ家康を追い込んだ幸村の勇ましさは、町民の誇りともなっている。これから大阪の陣まで、ほぼ1年かかるが、ドラマの行く末には注目したい。では最後に、「大河ドラマ特集 注目の見どころ応援サイト」から、第1回の内容を詳しく紹介しておく(ネタバレになるのでご注意を)。

大河ドラマ「真田丸」の物語は、武田家が滅亡する場面から始まります。1582年1月、武田勝頼に臣従しており、武田信玄の娘を正室に迎えていた木曽義昌が、織田信長に寝返ります。危機を迎えた武田勝頼は、諏訪・上原城に一族筆頭の穴山梅雪、親族衆の小山田信茂、家老筆頭・跡部勝資などを集めて軍議を開きますが、その席にて真田昌幸が「一旦、新府城に引いて様子を見るべき」と進言します。

真田家も武田家に忠節を誓う為、新府城に人質として、真田昌幸の妻・薫と、母・とりを出しており、その屋敷には、真田昌幸の長女・松と、その夫・小山田茂誠も訪問していました。この頃、真田信繁は甲斐南部にて徳川勢の動きを探っており、夢中になりすぎて、矢沢頼幸(矢沢三十郎)の制止も聞かず、深追いしてしまい、危ないところをなんとか逃げてきました。

真田昌幸は、高梨内記らと新府城の真田家屋敷に入りますが、武田を裏切った木曽義昌の妻子が処刑されたと聞いた、薫らは心配顔です。そのため「この真田昌幸がいる限り、武田が滅びる事はない」と言い、安心させます。しかし、真田信幸と真田信繁を呼び部屋に籠ると、真田昌幸は「武田は滅びるぞ」と打ち明けます。

織田信長の軍勢は、長篠の戦いの時とは比べものにならないほど、既に強力な兵力となっているのをわかっていない真田昌幸ではありませんでした。そして、新府城を捨てると心の内を話します。ご承知の通り、新府城はまだ未完成だったのです。

それからほどなく、2月25日に武田親族筆頭の穴山梅雪が、人質となっていた家族を密かに逃がして、徳川家康を通じて内通し、徳川勢の甲斐侵入を手助けしました。驚いた武田勝頼は、重臣を集めて軍議を開き、真田昌幸は、自分の居城・岩櫃城にて再起を図ろうと説得します。その賢明な説得に武田勝頼は応じて、真田昌幸らは準備の為、先に岩櫃城へと向かいます。

しかし、跡部勝資と小山田信茂らは、真田昌幸がいないことをいい事に、小山田信茂の岩殿城へと武田勝頼に促します。武田勝頼は、まだ新府城の屋敷に残っていた真田信幸と真田信繁に「岩殿城に行く」ことを明かし、人質らと岩櫃城へ逃れよと言います。

こうして、真田信幸と真田信繁は、母・薫と、祖母・とりなどを連れて、岩櫃城を目指しますが、忍者の佐助には書状を託して先に岩櫃城へと向かわせました。そして、真田信幸と真田信繁ら一行は、武田勝頼を見送ったあと、火が放たれた新府城をあとにして、一路、岩櫃城を目指したのです。

岩殿城を目指す武田勝頼は、その途中、高島城の落城と言う知らせが届いたりする度に、家臣の離反が相次ぎ、600名した供はいつしか100名程度になっていました。先に岩殿城に赴いて準備をすると言った小山田信茂も、笹子峠を封鎖して、武田勝頼を裏切ったのです。
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