今日の朝刊を見て驚いた。絹谷幸二さんが逝去されたのである。死因は「悪性リンパ腫」(白血球のうちのリンパ球ががん化する病気)だそうだ。毎日新聞(2025.8.2付)〈絹谷幸二さん死去 82歳 洋画家 富士山など題材〉によると、
※トップ画像は、『絹谷幸二画集』 (求龍堂グラフィックス)の表紙
古代神話や富士山に題材をとった作品を数多く描いた文化勲章受章者の洋画家、絹谷幸二(きぬたに・こうじ)さんが1日、悪性リンパ腫のため死去した。82歳。葬儀は9日午前10時半、東京都港区芝公園4の7の35の増上寺光摂殿。喪主は妻宏美(ひろみ)さん。
奈良市生まれ。東京芸術大で油画を学び、イタリアに渡って古典画、壁画技法のアフレスコを深めた。帰国後、当時史上最年少の31歳で「画家の登竜門」と言われた安井賞を受賞。劇的な画面構成と鮮やかな色彩で描いた古事記などの神話世界や、幼少期から敬愛していたという富士山は、迫力とスケールの大きさで高い人気を誇った。
1989年、毎日芸術賞受賞。2001年、日本芸術院会員に就任。08年には35歳以下の若手を応援する絹谷幸二賞を創設、賛同した毎日新聞社主催で実施し、具象絵画の発展に尽力した。14年に文化功労者に選出、21年に文化勲章を受けた。東京芸術大、大阪芸術大で後進の指導にも力を注いだ。
絹谷氏はならまち・元林院のお生まれで、私の勤務先にも、氏のフレスコ画(モルタルの上に水で溶いた顔料で絵を描く)が何点かあって、そのダイナミックな画風には、いつも元気をもらっていた。後進の育成にも、熱心な方だった。ご冥福をお祈りいたします。
※トップ画像は、『絹谷幸二画集』 (求龍堂グラフィックス)の表紙
古代神話や富士山に題材をとった作品を数多く描いた文化勲章受章者の洋画家、絹谷幸二(きぬたに・こうじ)さんが1日、悪性リンパ腫のため死去した。82歳。葬儀は9日午前10時半、東京都港区芝公園4の7の35の増上寺光摂殿。喪主は妻宏美(ひろみ)さん。
奈良市生まれ。東京芸術大で油画を学び、イタリアに渡って古典画、壁画技法のアフレスコを深めた。帰国後、当時史上最年少の31歳で「画家の登竜門」と言われた安井賞を受賞。劇的な画面構成と鮮やかな色彩で描いた古事記などの神話世界や、幼少期から敬愛していたという富士山は、迫力とスケールの大きさで高い人気を誇った。
1989年、毎日芸術賞受賞。2001年、日本芸術院会員に就任。08年には35歳以下の若手を応援する絹谷幸二賞を創設、賛同した毎日新聞社主催で実施し、具象絵画の発展に尽力した。14年に文化功労者に選出、21年に文化勲章を受けた。東京芸術大、大阪芸術大で後進の指導にも力を注いだ。
絹谷氏はならまち・元林院のお生まれで、私の勤務先にも、氏のフレスコ画(モルタルの上に水で溶いた顔料で絵を描く)が何点かあって、そのダイナミックな画風には、いつも元気をもらっていた。後進の育成にも、熱心な方だった。ご冥福をお祈りいたします。