てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

鳳凰と兎と ― 宇治の寺社を歩く ― (5)

2015年02月21日 | その他の随想

〔宇治川の中州に建つ十三重の塔〕

 平等院には何度も来たことがあるが、今回ははじめて、宇治橋とは反対側に位置する南門から出た。土産物屋やお茶屋さんなどが軒を並べるいつもの参道に比べると、特に何もなく、殺風景といってもいい景観だ。

 しかし“裏門”というものには、独特の肩肘張らないよさがある。何となく他人の家へ勝手口から出入りするような、気安さがあるのである。もっとも、今のところそこまで親しんでいる寺社はないが、もしも平等院の近くに住んでいたら、散歩ついでにぶらりと裏門から足を踏み入れて、阿弥陀様を拝して帰路につくというのもいいかもしれない。むしろ、観光客然として表門から入るよりは、より素直な信仰の姿を示しているような気さえする。

 ところが、今回ははじめてなものだから、門を出てみても、道がよくわからない。ふと見ると、家々の屋根の向こうに、何やら立派な石塔が建っている。宇治橋の上から遠望したことはあったのだが、近くまで行ってみたことはなかった。これ幸いと、そちらへ足を向けてみると、およそ想像を上回る、見上げんばかりの巨大な塔なので驚いてしまう。

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 あとから調べてみると、この「浮島十三重石塔」は、重要文化財だそうだ。高さは15メートルもあるらしい。いつも見慣れた平安神宮の大鳥居が24メートルだというから、おおよその見当はつく。よく寺院の庭などに点在している石塔に比べれば、まるで冗談ではないかと思えるほどに、大きい。

 その歴史は古く、何と鎌倉時代の建立だという。もともとは宇治川の氾濫を鎮めるためのものだったそうで、その事業の壮大さから推察するに、当時の人々はかなり水害に悩まされたものであろう。現代では、たとえば自然の脅威を改善するために塔を建てよとか、仏像を造れなどというのはナンセンスなことだが、凛として空を突き刺す石塔の存在は、実用性を超えた精神の象徴として、この地に聳えつづけたのだ。

 しかしこの塔も洪水で壊され、長らく水没していた。それが地上に引き上げられ、今見るような姿に再生されたのは、明治になってからのことだというから驚きだ。

 冒頭にも書いたように、宇治川の沿岸では今でも、大掛かりな護岸工事がおこなわれている。自然と人間との共存の試みは、700年余りの時代を超えてすらも、いまだに模索されつづけているのである。

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