てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

悪夢と現実

2015年02月01日 | その他の随想


 つい先日、新年を迎えたばかりだと思っていたら、もう2月だという。これでは、あっという間に年を取ってしまうはずである。

 実はこのところ体調を崩しており、パソコンに向かうことを控えさせていただいた。流行のインフルエンザかと危ぶまれたが、幸いにして普通の風邪だったようだ。しかし珍しく熱も出たので、体はきつかった。とはいえ仕事を休むと生活に響くので、売薬に頼りながら辛抱して職場への往復を果たした。

 帰宅後はさすがに何もする気にならず、すぐ横になるしかなかった。この週末は、展覧会行脚はお休みしてほとんど自宅にこもりきり、読書と音楽とに浸っていた。たまにはこういうリフレッシュも必要なのかもしれない。

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 ただ、なにげなくテレビをつけているだけでも、おぞましいできごとの報道ばかりが眼に飛び込んでくる。2015年になってまだ1か月だというのに、すでに“今年の10大ニュース”に数えられそうなものもある。

 薬を飲んで朦朧となった意識のなかで、テレビに映し出されるさまざまな映像が撹拌され、次第にふくれ上がり、どれが現実か、あるいは悪夢かの区別がつかなくなってくる。やがて眠りについても、イヤな夢を見るせいか、全身に寝汗をかいて眼覚めてしまう始末だ。

 かといって、この怒りの矛先をどこへ向けるべきか、ぼくにはわからない。いや、世間の多くの人も、自分の気持ちをどうやって制御するべきか、迷っているのではあるまいか。そのとき、まず考えつくのは、何かに熱中して我を忘れるということである。普通の人なら、カラオケを熱唱するとか、酒を飲むとか、漫画に読みふけるとか。けれどもぼくにとっては、いずれも縁のないことばかりだ。

 本を読み、音楽を聴いていても、心の底から没頭できないからか、さっき見たニュース映像がまぶたの裏に浮かんできたりして心が乱される。それは、病んでいるぼくの体調のせいなのかもしれないが、何もかもが混沌として感じられるのである。

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 ところがこのままでは、やがて日常の繰り返しに埋もれてしまうだろう。そこから少しずつ抜け出すためにも、何かを書きつづけなければならないと思う。

 世の中で何が起ころうとも、誰が何といおうとも、自分の手の届く範囲のものごとを、たんたんと維持していくということ。そのなかに、ささやかな輝きを見つけること。ぼくには、そういうことしかできそうもない。つまらないことかもしれないが、それが世間を恐怖に陥れたり、誰かの大切な命を殺めたりしないことだけは確実なのである。

(了)

(画像は記事と関係ありません)