藤島武二『山上の日乃出(碓氷峠)』(1934年、富山県立近代美術館蔵)
結論からいうと、今回展示されていた藤島武二の作品は、すべて風景画ばかりである。だが、彼が人物画から風景画へと傾斜していったのには理由があった。
昭和に入って間もないころ、藤島は当時の宮内省から皇居の壁面に掛けるための絵を依頼される。それを受けて、彼は画題を「日の出」とすることに決め、日本各地を取材して歩いた。しまいには海を渡り、台湾や中国、モンゴルにまで足を伸ばしたという。この話を聞いて、唐招提寺の障壁画を描くために日本中の海岸をスケッチして歩いた東山魁夷のことを思い出した。
のぼる日輪というモチーフは、たしかに皇室を装飾するのにふさわしいかもしれない。けれどもそれを描くために、すでに60歳を過ぎた体に鞭打って取材旅行を重ねるというのは、いささか尋常ではないように思われる。藤島はその年になって、日の出の風景の美しさに改めて心を奪われてしまったのではあるまいか。
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完成した壁画は皇居に収められ、一般人はなかなか観ることができない。けれども創作の過程で、彼はさまざまな風景画を描き残してくれた。ぼくが京都で観て首を傾げていた絵も、そうやって生まれたものだったのだ。
『山上の日乃出(碓氷峠)』は、描くべき日の出を求めて標高1000メートル近い高地にまで登ったことの証明である。そこで画家の眼に入ってきたものは、人工物のいっさい見えない、むき出しの地球の表面とでもいったものだった。ぼくはこんなに高い山に登ったことはないけれど、空の彼方に曙光を孕んだ神秘的な光があらわれ、それが次第に面積を広げて夜空を掻き消していくさまが、見事なグラデーションの表現となってとらえられているのに感動した。
先ほど東山魁夷を思い出すと書いたが、この絵も東山の出世作『残照』をどこか思い出させるところがある(そちらは日の出ではなく、日没のあとの情景だけれど)。ただ東山の場合は、画壇に認められずに鬱屈していた画家が、はじめて日本の原風景に眼を見開かされた一枚である。
藤島武二はすでに功成り名遂げた存在で、3年後には最初の文化勲章受章者に選ばれようという時期であった。そんなしたたかな彼の眼に、山の上から見た日の出の光景は、あまりにも純粋に、神々しく映ったのかもしれない。
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