てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

異邦人が写したパリ ― イジスの写真を観る ― (1)

2012年02月26日 | 美術随想

〔「イジス写真展」のチケット〕

 「イジス」という、奇妙な名の写真家のことを、ぼくは今まで知らなかった。京都で開かれた大規模な展覧会にも行かないつもりだったのだが、モノクロでパリの風景をとらえた写真がだんだん観たくなってきて、最終日に滑り込んでしまった。

 イジスというのは本名ではない。1911年生まれというから、あのドアノーより1歳年長にあたるが、ユダヤ人であり、リトアニアの出身という経歴は、最近また原発がらみで注目されている画家ベン・シャーンに似ている。

 イジスは憧れの地パリへ出るが、第二次大戦がはじまり、磁器で有名なリモージュへ避難する。そこで対ドイツを標榜する運動員が銃を構えた物騒な肖像写真などを撮って、カメラマンとしてのキャリアをスタートさせた。

 展覧会の劈頭にでかでかと並んだその戦士たちのいかめしい、しかしどこか素朴な顔写真は、技巧を凝らして撮影された形跡はなく、演出すらもなく、ただ記録のために残したというような感じだった。ぼくが観たかったのは、こんな写真ではなかった。

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『ポール・エリュアール』(1946年)

 人物と一対一で向き合っていたイジスの眼は、やがて相手を俯瞰する位置にまで退く。至るところに寝そべっている、今でいうホームレスの姿を見下ろすようになる。パリのホームレスが写真の素材になるなど、考えてみればいささか妙だが、日本のボロ切れ然とした連中よりははるかに身だしなみがいいように思える。

 カミュやコレット、ドラ・マール、ローラン・プティなどの有名人のポートレートもある。なかでもおもしろかったのは、詩人のポール・エリュアールの肖像であった。

 といっても、エリュアールと聞いて彼の詩の一節が頭に浮かんだりはしない。何といっても思い出されるのは、ダリの妻でシュルレアリストたちのミューズとして賞賛されたガラという女が、もともとはエリュアールの妻であったということである。

 ダリとガラの関係は謎めいていて、間違っても“おしどり夫婦”だったわけではないが、ダリはガラを自作のなかに描きつづけ、崇め奉ったように見える。もしガラがエリュアール夫人でありつづけたら、20世紀の絵画史はガラリと変わったことだろう。エリュアールが失ったものは、果たしてどれほど大きかったのか。

 それにしても、この肖像写真は異常だ。これだけ観ると、イジスという人物はトリックを駆使する写真家だと思い込んでしまいそうだが、決してそんなことはない。もちろん合成写真でもない。おそらくは鏡を使って撮影されているのだろうが、鏡像のほうにピントが合っているせいか、現実と虚構が逆転してしまったような違和感がある。

 ところでエリュアールはガラと離婚したあとも、二度結婚しているという。このポートレートにみられる物憂そうな表情は、ガラを失ったせいでないことだけは確実である。

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