てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

京都市美術館の名品たち(2)

2012年02月10日 | 美術随想

浅井忠『グレーの柳』(1901年)

 20世紀の最初の年に描かれた浅井忠の『グレーの柳』は、京都市美術館の油彩画を代表する一枚となっている。

 柳といっても、川のほとりに生えていて、なよなよと枝をなびかせる日本の柳とはだいぶちがう。もしかしたら、ポプラを連想したほうが近いのかもしれない(ポプラはヤナギ科に分類されている)。グレーというのはフランスにある村の名前で、このとき浅井はここに留学していた。日本洋画界の大先達、黒田清輝がかつて滞在していたところだったからだろうか。

 だが、黒田と浅井とは、もともとかなり資質のちがった画家ではなかったかと思う。黒田清輝は周知のとおり、人物画に優れた手腕を発揮した人だ。有名な『読書』のモデルは、グレーの肉屋の娘であるそうだが、グレーの瑞々しい風景は鎧戸の向こうに隠されてしまって、もっぱら人物と、室内の落ち着いた空気感とが描かれている。


参考画像:黒田清輝『読書』(1890-1891年、東京国立博物館蔵)

 もちろん浅井忠も、人物画を描かないわけではなかった。けれども、今では『グレーの柳』のほうがよく知られていることを考えると、浅井は白人たちの生活にはあまり馴染めず、フランスの田舎の風景により心を開いていったのではなかろうか。

 柳の幹のあいだから、まるで木の精霊であるかのような老婆が、手押し車のようなものを押しながら不意に姿をあらわす。この老婆は頬かむりをして、地味な色の野良着(?)を着ており、どこの人ともわからないように描かれているが、それは浅井が意図的にそうやって描いたのではあるまいか。まるで日本の農村から抜け出してきたような懐かしい老婆を、彼はフランスの風景のなかに描きたかったのだ。

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 浅井はその後、日本に帰って創作に励む一方、後進の指導にも力を注いだ。京都の自邸に開いた聖護院(しょうごいん)洋画研究所は、のちに関西美術院へと発展し、現在もつづく。

 京都市美術館から歩いて数分のところにある建物は意外なほど小さくて、地味だ。しかも袋小路を入ったようなところにあるので、通りがかりに偶然を装って眺めるということはできない。ときどき誰かが前庭に出てスケッチか何かしているのを見かけることもあるが、その人と眼が合うと、ぼくなどは早々に引き返してしまう。これほど“開かれていない”雰囲気のただよう美術研究所も珍しいが、浅井忠の人見知りなところが代々受け継がれているようで、何となくおかしい。

 ただ、この場所にかつて須田国太郎や向井潤吉もかよって絵を学んだのかと思うと、ぼくなどは興奮を抑えられなくなる。前身の洋画研究所にまでさかのぼれば、梅原龍三郎も、安井曾太郎も、浅井忠のもとから巣立っていった。梅原・安井という近代洋画の二大巨頭が、どちらも京都の出身だったということは、強調してもしすぎることはないだろう。

 京都の地に育まれた洋画家の輝かしい歴史を記念するものとして、浅井忠のこの名画は、京都市美術館にとってなくてはならない一枚なのである。

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