寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2935話) 無償の愛

2020年03月28日 | 行動

 “幼年期より、わが家には常に生き物がいた。犬、ウサギ、ニワトリ、ハト、昆虫、金魚、そして勝手にすみ着いた野良猫・・・。小学校二年生だった私は祖母からわが家の「生き物係」に指名された。
 一番好きだったのは犬で、飼育に苦労したのはウサギたった。冬場はウサギの餌となる草が少なく、小・中学校の下校時に川の堤防で雑草や枯れ草を収穫するのが大変たった。私が一番感動したのは犬とウサギの誕生の場面に立ち会えたことだった。育児放棄した野良猫の赤ちゃんへ、わが家の犬が乳を与えるようになったことには心打たれた。そんな生き物が死ぬときは実に悲しかった。十年前に愛犬を失ってから、私はもう生き物を飼わないことにした。
 亡き祖母と身の回りの生き物からは無償の愛と命の大切さを教わった。現代の子どもたちにも事情が許す限り、動物を飼うことを私は勧めたい。”(3月7日付け中日新聞)

 岐阜県関市の浅野さん・(男・71)の投稿文です。浅野さんは小さい頃から生き物係として生活してこられた。そして、いろいろな体験をされた。無償の愛と命の大切さを知られた。人柄も養われたと思う。
 ボクが小学生の頃は、家に犬や鶏がいた。愛玩動物と言うより実用であった。犬は番犬であり、鶏は卵を産ませるためである。そしてボクは小鳥を飼っていた。ジュウシマツやインコなどである。金魚やキリギリスがいた時もある。いつしかそれらはいなくなっていた。ですから、ボクは生き物に携わったことは少ない。そして、結婚以後は飼っていないので子供らは動物を飼う経験は全くない。だから子供らは動物を通じての無償の愛や命の大切さを知らないだろう。少し偏ったかも知れない。
 最近は犬や猫などの愛玩動物は大はやりのようである。家族が少なくなったので、その代用物のような感じもする。人の生活をどうこう言うつもりはないが、行き過ぎの感もある気がする。


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