寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2934話) 祈りの絵

2020年03月26日 | 行動

 “ハンセン病患者の支援に尽力し、六十五歳で亡くなった一宮市千秋町浮野の法林寺住職、真野正志さんの絵画展「菩薩の願い ハンセン病を知る」が同市起の尾西歴史民俗資料館で開かれている。八日まで。
 金沢美大を卒業した真野さんは一九九二年、「ハンセン病隔絶四十年」の著書がある伊奈教勝さんと出会い、支援に取り組んだ。伊奈さんが亡くなった九五年から、伊奈さんの著書にあった「普通の人間としてつきあってください」などといった言葉とともに菩薩や花、風景のイラストを描いた作品を制作。創作は食道がんで二〇〇四年に亡くなる直前まで続いた。
 今回の絵画展は真野さんの十七回忌に合わせ、妻の孝子さん(六七)が企画。縦百五センチ、横七十五センチのベニヤ板や段ボールに描いた作品など多彩な約三十点が並ぶ。菩薩のイラストを中心に、患者を隔離した長島と本土の間に架かった岡山県の邑久長島大橋や患者たちの遺骨が眠る同県の万霊山納骨堂なども鮮やかな色づかいで表現している。
 孝子さんは「主人が伊奈さんの思いを広めるためにしていた活動を多くの人に知ってほしい」と来場を呼び掛けている。”(3月5日付け中日新聞)

 記事からです。奥さんの孝子さんとは数年前に知り合い、今は親しくしてもらっています。そして、この絵画展を知り、最終日に妻と行ってきました。この絵画展で知るまで、真野正志さんについて何も知りませんでした。自分の近くにこんな人がみえたことに驚きです。正志さんは1000枚のかまぼこ板に菩薩等の絵を残されていました。妻と1枚ずつ貰ってきました。
 ハンセン病については、一宮友歩会の平成22年4月10日(土)「第25回例会ー史跡巡りシリーズ・西尾張編part7」で、円周寺を訪れています。円周寺は、ハンセン病について活動した小笠原登医師の生家です。本堂にあげて貰ってハンセン病の話や登医師の話を聞きました。それ以後多くのことを知りました。ホームページの「付録・随想(zu068)小笠原登を知る」を読んでいただくとありがたいです。
 2月27日の中日新聞に「ハンセン病患者の特別法廷を違憲とする初判断を示した熊本地裁判決は、司法の場での人権侵害を明白にし、尊厳を取り戻そうと裁判を起こした元患者らの切実な声に応えたものだ。裁判所が過去の憲法違反を自ら断罪した異例の司法判断であり、判決の持つ意味は極めて重い」とありました。そして、特別法廷とは「最高裁が認めた場合に裁判所以外で法廷を開く方法。ハンセン病患者の裁判では、隔離先の療養所や専用の刑事施設に設けられ、四八年から七二年にかけ九十五件が開かれた」とあります。今もまだ被害者のいろいろな活動が続いているのです。権威、権力の恐ろしさを覚えます。


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