“7月31日付本欄「プロ意識があってこそ」を読み、生きる時代も年齢も違う人が昔の私と全く同じことを考えていたことを知りました。私が結婚した四十数年前、女性も外で働くことが多くなりました。子どもを保育園や親に預けて出勤する姿をうらやましく思いました。心ない人から「若いのに、あなたはなぜ働きに出ないの」と聞かれ、心が揺らぎました。そんなとき、母は「まず家庭、自分の足元を一番に考えて。主婦の仕事は甘くない」と諭し、もっと自覚するよう促されました。そんな折に世で流行してきたのが、家事を賄う主婦代行業。その対価がとても高くて、改めて主婦の労働力の価値を思い知リました。家族のために心地よい空間をつくり、四季折々を感じさせるような心遣い、健康や笑顔のもととなる食事作りは全て私の手にかかっています。専業主婦はプロとしての称号。その昔、私が悩みながら出した答えです。”(9月29日付け中日新聞)
愛知県安城市の主婦・久野さん(72)の投稿文です。今は労働力不足の時代となり、男性も女性も働かざるを得なくなった。時代の流れでしょう。でもボクたちや久野さんの時代は違った。主婦でも働く人はあったが、まだ専業主婦が多かった。ボクの妻も子どもができた機会に勤めを辞めて専業主婦になった。そのころからボクは一つの考えを持っていた。女性も男性と同じように働かせろ、同一賃金にせよ、と言う運動は多かった。なぜ主婦の労働を金銭価値に置き換え、それを所得と見なす運動をしないのか、疑問であった。男女平等と言っても、肉体的にはどうにもならないのである。月経も出産も女性のものである。この負担は大きい。制度的にいろいろ保護は進んできたが、あくまで労働力としてである。こんな考えを誤解なく書こうと思うと長くなるので止めるが、今となってはもうどうにもならないだろう。働ける人は皆働かざるを得ない時代になってしまったから。
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