“道を挟んだわが家のお向かいは県立高校である。高校のフェンスに沿って歩道があり、この道はOさんと盲導犬ジェムの散歩コースになっている。Oさんは中途失明で、自らが習得された点字教室で、今は指導サポーターをなさっている。私もその教室のお手伝いをさせていただいているご縁で、Oさんとのお付き合いが始まった。
偶然、家がご近所だったので、ごみ出しの際などにお会いすれば、声掛けさせていただいている。だが、その朝は洗濯物を干していて、二階のベランダからOさんとジェムを見送る形になった。すると、Oさんの前方から自転車の女子生徒がやって来た。歩道のほぼ真ん中に位置取りをして、Oさんとうまくすれ違えるだろうかと、注視した。彼女はほとんど止まるくらいにスピードを緩めて、さりげなく○さんに道を譲った。良かった!と思ったのもつかの間、再び同じ方向からかなりのスピードで男子生徒の自転車がやって来た。
朝練に遅刻しそうなのだろうか。危ないなあと見ていると、彼はOさんに気付くや否や、サッと自転車から降りて車道側の路側に寄り、Oさんに道を開けたのだ。思いつく限り精いっぱいの対応をする若者を立て続けに目の当たりにした、うれしい朝だった。”(6月13日付け中日新聞)
愛知県豊橋市の主婦・洲淵さん(73)の投稿文です。盲人とすれ違う学生の風景です。2人の学生は思いやりのある行動を取られた。その風景をみて洲淵さんは嬉しい気持ちをもたれた。社会にこういう優しい風景が多くなると、誰もが優しくなる。連鎖反応である。良い連鎖反応が続いてほしいものである。
このコロナ禍で、体に負荷を持った人は更に大変であろう。人と距離を保つ、声を出さない、これは盲人の人には更に酷である。盲人の人は見えない分、声や体で感じる感触で判断する。離れていれば、声もかけてもらえないし、体も感じない。本当にこのコロナ禍の対応は非人間的、非社会的である。どれだけ社会の習慣を壊したのであろうか。元へ戻るだろうか。一度壊れたものはなかなか戻らない。特に楽になったものは戻らない。人と接するのは気を使うものである。これが楽と思った人は、自分が困るまで戻る気持ちにならないのではなかろうか。こうした障害を持つ人は特に声をかけて欲しいだろう。心がけたいと思う。
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