天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

聲明の源流

2012-02-10 19:21:10 | 京都便り

京都市下京区にある正光寺さんで毎年行われる「聲明(しょうみょう)の夕べ」が

今年も開催されました。

聲明とは、もともとお釈迦様が説かれたお経や、高僧のお言葉に旋律をつけて

覚えやすく保ちやすくしたものだそうです。

西洋音楽が「音と音」をつないでメロディを紡いでいくのに対して、

聲明は「決められた短い旋律と旋律」をつないで曲ができあがります。

それによって唱える者の感情表現が厳しく規制され、涅槃の世界へ通ずる音曲と

なるのだそうです

 

今年の聲明の夕べは『五会念仏略法事讃』、『正信念仏偈』がお勤めされました。

五会念仏は、中国の後善導と呼ばれる法照禅師が五台山にて修しておられた

念仏の法会で、『無量寿経』に説かれる西方浄土の遍満する微妙なる音楽から

『宮、商、角、徴、羽』の五つの音に寄せて五会の念仏を作られました

その五台山の念仏を平安初期の日本に伝え、比叡山東塔に常行三昧堂を建て

修されたのが、天台宗第三代座主の慈覚大師円仁です。

ここから天台宗比叡山にて、各浄土系の宗派にとっての念仏の源流となる

西方浄土へ往生を願う法会が始まりました

その後五会の念仏は京都大原の地で「魚山聲明」として現在まで伝承され、

現在「魚山聲明」の血脈を受け継ぐ魚山法師は、水原夢江師のみです。

水原師は「魚山聲明」の正当伝承者として、数々の曲の伝承と復元、

後進の指導等聲明復興にご尽力をそそいでおられます

 

 

「聲明の夕べ」に出勤された僧侶。浄土宗の方もおられました。

皆さんがおつとめされる謦明はとても美しく体の芯まで伝わってきました

 

本願寺派の聲明の源流も「魚山聲明」との事なのですが、時代と共に移り変わり、

現在はかろうじてその片鱗が伝わっている状況です。

浄土真宗本願寺派正光寺の大八木先生は、水原師の聲明を聞き大きな感銘を受けられて

十数年前に水原師に師事され、伝承が途切れないようにと毎年「聲明の夕べ」を開催され、

今年は第八回目となりました。

今年は親鸞聖人750回忌ご正当の年、また奇しくも慈覚大師の1150年の遠忌の年だそうで、

『正信念仏偈』を慈覚大師を讃えた『慈覚大師御影供』のなかの節をつけてお唱えされました。

ゆったりと朗朗となんとも味わい深く拝聴させていただきました

 

 

ぼんぼりとろうそくの明かりだけでお勤めになります。

聲明が伝承されてきた電気のない時代に思いを馳せてのことだそうです

法要中の柄香炉への供香や五体投地など現在本願寺派では途絶えている

作法も取り入れられます。

五体投地にはいつも感動します

 

「いつの日か、本願寺の聲明の中に、「魚山聲明」が復活し、時代の変化に沿って

日々進化する聲明と、かたくなに古来の伝承を守る聲明とが並立する日が来ることを

夢見ております。この伝統聲明の再興が、仏法が広まる一助になればと

願ってやみません。」 By大八木先生

左側に立っておられるのが、今回ご導師をつとめられた清岡大地先生、

右側が大八木先生です

 

人の声って繊細な音、おなかに響く音、すごいなあと思いました。

それを出させる聲明にはすごい力があると思います。

大八木先生は、聲明は音だけをきれいにひろって唱えるのではないといつもおっしゃいます

聲明は、例えば木の葉が枝からはらりと落ちる様子、さざ波がたっている様子など、

それぞれの旋律にイメージがある事を教えてくださいました。

それになによりも、仏様に向かう姿勢、ご文の意味などを含めて初めて聲明と

いえるのかもしれません。

大八木先生は水原師に聲明を通してその音曲だけでなく、「僧侶の姿勢」とも言うべきものまで

教えていただいたとおっしゃいますが、その事を身をもって私たちにも教えて下さっています。

この度の「聲明の夕べ」では『正信念仏偈』を慈覚大師の節で聞かせていただき、

念仏の源流という事に思いを馳せながら、仏様への姿勢の原点を

見させていただいたように思いました

 

「聲明の夕べ」は毎年一月最後の土曜日に開催されます。

(果)