旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・南さつま市(旧・加世田市)の旅 第53回

2018-02-06 10:19:52 | 53.鹿児島県・南さつま市(旧・加世田市)の旅

 

こんにちは!!

第53回目の旅は南さつま市の旧・加世田市です。南さつま市シリーズ第2弾(第1弾は旧・川辺町)。

では行ってみましょう!

 

国道226号線。

前回の旅、旧・指宿市でも国道226号線のことを紹介したが

薩摩半島をぐるっと半周している国道で

鹿児島市から始まった道路はここ、南さつま市の加世田で終点となる。

 

加世田市街地。(南さつま市市街地)

県立吹上浜海浜公園。

万之瀬川と東シナ海に面した部分に創設された公園。

園内はレンタルサイクリングの他、ローラスケートやプールなども楽しめる。

運動広場やキャンプ場もある。

 

県道29号線。

 

笠狭宮跡(かささのみやあと)

ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)が吾田(旧・金峰町一帯を示す阿多と同一かは不明)に上陸後、

ここに宮居(御座屋敷)を建てたとされる場所。

パワースポットなんでしょうか・・・。

何となく妙な気配というか雰囲気を感じました。(幽霊だったらどうしよう)

 

県道275号線。

笠沙宮跡を見学した後、夕方だったので旅を中断。

近くに旧・川辺町でも訪れた塘之池公園に移動しそこで車中泊をした。

深夜から台風による雨や風が強くなり悪天候のまま朝を迎える。(2017年の7月九州北部の水害の時です)

 

国道270号線。

北はいちき串木野市、南は枕崎市まで繋がっている。

旧加世田市の市街地と枕崎市の市街地までの中間ぐらいにあるパーキング。

名称「にいななまる」

ネーミングの由来はもちろん、国道270号線から。

旧・加世田市の道の駅的存在と考えてよい。

国道270号線を加世田市街地方面へと車を走らす。

竹田神社。

日新公として知られる島津忠良公を祀っている。

忠良公の子は貴久公、そして孫は義久公、義弘公、歳久公、家久公で、

後に島津家を九州統一目前まで発展させることになる。

 

日新公(島津忠良公)の墓。

日新公は島津家中興の祖と呼ばれ盛んに経済活動を国内外で行い領内の充実を図った。

一方で領民に対しても仁政を行い、また優れた教育観を持ちその教えは

家臣のみならず郷土・領民に至るまで後の薩摩国、薩摩人の道徳や倫理の基盤を作った。

 

竹田神社から日新公の墓に向かう途中には

いにしへの道と呼ばれる日新公のいろは歌が書かれた碑が立ち並ぶ歩道がある。

日新公の言葉をいろは歌で47首で表しており、当時のみならず今を生きる現代人でもとても心に響く内容となっている。

日新公いろは歌の中で特に私が感銘を受けた言葉を2つほど紹介したい。

 

つらしとて 恨みかへすな 我れ人に 報ひ報ひて はてしなき世ぞ

(辛いからといって、その人に恨みをかえしてはならない。お互いに恨みかえし報いあっていては果てしがないではないか。)

 

いや、これを見た時、日新公すげえと思いましたね。

戦国時代にこんな考えができる人がいたなんて驚きしかありませんでした。

家族や友人、学校や職場でのイジメや対立から、凶悪事件、果ては国家間の戦争、宗教対立、テロまで、

結局、どちらかが拳を下げない限り争いは永遠に続くことの空しさを説いています。

しかし、そうではありながらも実際の力は捨てなかった日新公。ここらへんがガンジーの非暴力、不服従とは違い

富国強兵政策を行ったあたりは現実主義も持ち合わせた人物だったのでしょう。

平和憲法を理想としつつも実際は自衛隊を持たないといけない。そんな感覚だったのでしょうね。

日新公。総理大臣やってもらえませんかw?

もう一つ紹介です。

個人的に一番好きだったのがこの言葉。

どんなに素晴らしい教えや言葉、考えを聞いても

それを実行しなかったら何の役にも立たないと日新公は戒めています。

行動することの難しさ、大切さを述べています。

まさに いつやるか?今でしょ!!であり、

百聞は一見に如かず→百見は一行に如かずであると思います。

 

以上で紹介は終わりますが、いにしえの道には他にも45首の言葉が刻まれております。

是非、ここを訪れた方は自分の好きな言葉を探してみて下さい。

きっと気に入る言葉が見つかることでしょう。

栫ノ原遺跡(かこいのはらいせき)

こうみえて加世田市街地の中にある。

1万年以上前から始まった頃の縄文時代の初期の遺構から中世までの遺構を含めた複合遺跡。

詳細はこちらをお読みください。

しかし、鹿児島県は霧島市の上野原遺跡もそうだったが本当に原始時代の遺跡が多い。

日本という国が鹿児島起点で始まってもおかしくないことを考えると

日本のふるさとは鹿児島でOK?(ちなみに私は元・長野県民です。)

色々な形をした古墳の形式がある。

それによっていつの時代のものかわかるということだ。

県道31号線。旧・川辺町と旧・加世田市を繋ぐ。

 

南さつま市(旧・加世田市)の旅 おしまい



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