旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・日置市(旧・伊集院町)の旅 第58回

2019-04-16 13:00:43 | 58.鹿児島県・日置市(旧・伊集院町)の旅

 

こんにちは。

第58回目の旅は日置市の旧・伊集院町です。

 

 

国道3号線。

鹿児島市から福岡県の北九州市まで伸びる九州を縦断する国道。

間違いなく国道の中の国道。

 

 

 

県道304号線。

 

 

旧・伊集院町の街の様子。

日置市街地といったほうがいいか。

日置市は伊集院町、吹上町、日吉町、東市来町の4つが合併して誕生した。

その中枢自治体が伊集院町である。

 

 

徳重神社。

伊集院駅から300メートルくらいと、やけに近場にあるが

境内は山か森にでもワープしたかのように

途端に自然に囲まれたような感覚に陥る。

 

 

 

徳重神社とは簡単に言うと島津義弘神社である。

戦国時代最強の武将の一人だろう。

彼がいなかったら、薩摩藩は存続してなかったかもしれないし

また、明治維新も来なかったかもしれない。

明軍も日本本土まで追撃してきたかもしれない。

 

…そんなわけで、義弘公を御祭神として祀ってあるのが、この神社なのだ。

 

 

社殿の様子。賽銭箱には島津家の家紋が見える。

 

 

参拝したあとも境内を歩いていると

幾つもの石塔が連なった不気味な場所にたどり着く。

幽霊でも出てきそうだ。

改めて画像をみると後ろの葉っぱが人の顔のようにも見えて怖い。

 

 

そんな恐怖を抱くのも当然、

この石塔群は義弘公を慕って殉死した13人の地蔵塔なのである。

………。

後ろに写っているのは通行人なのだろうか。

それとも…

 

 

 

徳重神社をあとにし、今度は城山公園にやってきた。

この城跡は一宇治城(いちうじじょう)という。

 

 

駐車場の横、城跡の入口付近には石像が置かれている。

この石像の人物は歴史の教科書にも登場してくるあの有名人、フランシスコ・ザビエルである。

ザビエルは1549年、キリスト布教のためこの一宇治城を訪れ

時の城主、島津貴久に布教の許可を得ることに成功した。

キリスト教が日本で初めて誕生した瞬間でもある。

 

 

城山公園(一宇治城跡)の地図。

一宇治城は幾つかの城の複合体から成っている。

 

 

一宇治城は小さな城の集合体なので、城内はかなりの敷地面積である。

かなりの兵士を収容できただろう。

 

 

一宇治城の一つ、神明城にあるザビエルの碑。

 

 

一宇治城の説明板。

 

 

神明城内の広いスペース。島津貴久はここに館を置き神明城もとい一宇治城を中心として薩摩地方に支配体制の礎を築いていった。

 

 

一宇治城には子供の為の遊具などもあり

レジャー施設としても親子で楽しめるかもしれない。

 

 

井戸跡もしくは水壕のあとであろうか。

 

丘城や山城で近くに川や湖沼がない場合や中規模以上の収容人数が多い城等には

必ず水の確保が必須となる。

そのため、井戸や溜池の痕跡がどこかしらにある。

 

 一宇治城を後にし

県道206号線。

 

 

県道206号線沿い(清藤地区)にはヤジロウの墓がある。

 

このヤジロウという人物は鹿児島出身だが、何故か現在のマレーシアにある

マラッカでフランシスコ・ザビエルと出会い、日本人として初めて洗礼を受けキリスト

教徒となった。(マラッカには後にマレーシアの旅で訪れます)

 

 

ヤジロウはその後、ザビエルを鹿児島に案内し島津貴久と会わせ

キリスト教の布教を島津領内で認めさせた。これがきっかけとなり、

西日本を中心にキリスト教が日本国内へと広まるわけだが

ヤジロウがそのさきがけとして日本の歴史に影響を与えたという点で

非常に存在が大きいだろう。

 

ヤジロウ自身のその後の詳細については謎に包まれており

死亡先もわからないままである。

 

 

 県道37号線。

 

 

伊集院駅前にある島津義弘の像。

猛将らしさが出て格好いい。

 

 

最後は久々にラーメンでも食べて終わりにしよう。

店名は伊集院。

伊集院町にあるラーメン伊集院である。

何というシンプルさ。

 

 

注文したのは味噌豚骨ラーメンだったかな?(違ったらスイマセン)

あとはチャーシュー丼。

例によって大根の漬物が前菜として付いてきます。

味は普通に美味しかったです。

 

旧・伊集院町の旅 おしまい



最新の画像もっと見る

コメントを投稿