闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

着想をつかさどるのは偶然か

2009-09-20 00:43:02 | 翻訳への道
最近、小ブログにあるのは生活臭ばかりで軽チャーな話題が少ないということを反省して、たまには多少軽チャー臭のする記事を書いてみる。これは今日、新しいアルバイトの休憩時間にずっと悩んでいた問題だ。要するに、以下のパラグラフの最後の部分に出てくる二つの仮定文をどう矛盾なく解釈するか、そして続く文の主語代名詞と劣等比較をどう解釈するかの問題なのだが…。

例によってまずはフランス語原文。

Or, dans tout ouvrage, si ces belles idées, de quelque genre qu'elles soient, sont, pour ainsi dire, le trait du génie ; si l'art de les employer n'est que l'oeuvre du temps et de la patience, et ce qu'on appelle le travail du manoeuvre ; il est donc certain que le génie est moins le prix de l'attention qu'un don du hazard, qui présente à tous les hommes de ces idées heureuses dont celui-là seul profite qui, sensible à la gloire, est attentif à les saisir. Si le hazard est, dans presque tous les arts, généralement reconnu pour l'auteur de la plupart des découvertes ; et si, dans les sciences spéculatives, sa puissance est moins sensiblement apperçue, elle n'en est peut-être pas moins réelle ; il n'en préside pas moins à la découverte des plus belles idées.

続いて英訳。

Now, if in every work these fine ideas, of whatsoever kind they may be, be in a manner the strokes of genius, if the art employed about them be not a work of time and patience, and what is called the labour of the brain, it is thence certain, that genius is less the price of attention than a gift of chance, which presents these happy ideas to all men, among whom those alone who are fond of glory are attentive to seize them. If chance be generally acknowledged to be the author of most discoveries in almost all the arts, and if in speculative sciences its power be less sensibly perceived, it is not perhaps less real; it no less presides at the opening of the finest ideas.

続いて私の試訳。

「ところで、もしすべての作品において、いかなる分野にせよこれらのすばらしい着想が、言うなれば才能のひらめきであるならば、またもしこうしたすばらしい着想を用いる技術が、ひとが手先の仕事と呼ぶ時間と辛抱の作品でしかないならば、それゆえ、才能が注意の褒美であるよりは、すべての人間にこうした幸運な着想を提示する偶然の賜物であるのは確かである。栄光に敏感でこうした着想をとらえるのに注意深い者のみがそれを利用する。もし偶然が、ほとんどすべての技芸において大半の発見の作者であると一般的に認められており、そしてもし思弁的な学問においては偶然の力が可感的に知覚されることがより少ないとしても、おそらく、その力の現実性が少ないということはない。偶然はすばらしい着想の発見をより多くつかさどる。」

細かい点だが、このパラグラフでは、prix(英文ではprice)をどうとらえるか、またidee(英文ではidea)をどうとらえるかもちょっと難しい。たとえば私は、現時点で仮に、prixには「褒美」、ideeには「着想」という訳語をあてたが、これらはそれぞれ「賞」もしくは「代価」、「観念」の方がいいのかもしれないとちょっと迷う。
また、パラグラフ最後のそれ(elleとil、英文ではどちらもit)という代名詞は、名詞と代名詞にそれぞれ性のあるフランス語の方が、この代名詞がなにをうけているのか限定されてわかりやすい。これは、いわゆるフランス語の明晰さのひとつだろう。ついでながらこの文法上の性をフランス語ではgenre(ジャンル)というが、これに相当する英語の単語が、最近よく耳にするgender(ジェンダー)である。ジェンダーというのはようするに、ある単語やものに人為的な約束によって定められた性(ジャンル=分野)であり、その単語やものに本来的にそなわっているのではないということ。英語の名詞には原則として性(ジェンダー)がないが、性のある、フランス語、イタリア語、ドイツ語などでは、それぞれのあいだで同じ名詞の性が異なることがある。有名な例をあげれば、海はフランス語では女性名詞(la mer)であるが、イタリア語では男性名詞(il mare)である。ゆえにジェンダーは、状況に応じて変わりうるというわけだ。「性的ジェンダーの変更」とか言われてもなんのことだかわかりにくいが、「性的ジャンル(分野)の変更」と言えば少なくとも何を言おうとしているのか理解することはできる。

     ☆     ☆     ☆

さて今日は新しいアルバイトの拘束時間は9時間だったが、休憩が多いので、休憩時間はずっとこの文章のことを考えていた。学生も多い職場なので、欧文の本を広げていても、それに対して興味本位でなにか言ってくる人間やひやかす人間はほとんどいない。退社時刻は夕方だったが、みんな事務所の窓から夕焼けを眺めてとてもきれいだとかなんとか言っていた。そのあたりものんびりしていてとてもいい。
それと、新しい職場は音楽がなにも流れていないのが、個人的にはとてもありがたい。スーパーの売り場は、のべつ幕なしにポップス系の音楽が流れていて、それがストレスと疲労のもとだったということに、あらためて気づかされている。

     ☆     ☆     ☆

【追記】
上に引用した「si…si…(if…if…)」の構文を、私は単純に「もし…ならば、そしてまたもし…ならば」と仮定の併記ととらえたので理解しずらかったのだが、そうではなくて、これは「もし…するときに、もし…ならば」あるいは「もし…だとして、もし…ならば」という風に前の条件を後の条件が限定する三段論法的な構文ととらえると理解しやすいということに後から気づいた。また同時に、引用したパラグラフは、「si…si…(if…if…)」の同じ構文を二度繰り返しているが、これは全体が対句的な構造になっているのではないかとも気づいた。
これらをふまえた改訂版の訳な次のとおり。

「ところで、もしすべての作品において、いかなる分野にせよこれらのすばらしい着想が、言うなれば才能のひらめきであるとしても、もしこうしたすばらしい着想を用いる技術が、ひとが手先の仕事と呼ぶ時間と辛抱の産物でしかないならば、それゆえ、才能が注意の褒美であるよりは、すべての人間にこうした幸運な着想を提示する偶然の賜物であるのは確かである。栄光に敏感でこうした着想をとらえるのに注意深い者のみがそれを利用する。もし偶然が、ほとんどすべての技芸において大半の発見の作者であると一般的に認められており、そしてもし思弁的な学問においては偶然の力が可感的に知覚されることがより少ないとしても、おそらく、その力の現実性が少ないということはない。偶然はすばらしい着想の発見を少なからずつかさどっている。」