闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

宛名書きの日々ーー年末年始の行動記

2008-01-11 16:40:38 | 雑記
年末、年始のことをブログにアップしておこうとおもっているうちに、どんどん時間が経ってしまった。忘れないうち、ごく簡単に年末年始の行動メモをアップしておこう。

    ☆    ☆    ☆

30日のカレシモドキとの気まずいデートから明けて大晦日、第九のCDを聴き、買い物等の細かい用事を済ませようとしているところへ大家さんから電話。内容は夕飯をどうするかの問い合わせ。実は大晦日のドン詰まりは大家さんの部屋をお邪魔して、さる人秘蔵のシャンパン、ドン・ペリニョンをあけ、年越し蕎麦をいただくことになっていたのだが、夕飯のことまでは考えていない。とするところへ、同じ賃貸マンションの住人で小説家のSさんが三○デパートから豪華おせちをとりそれを大家さんにご馳走してくれるつもりだとの情報がはいり、その計画と元もとわれわれがたてていた計画をドッキングさせることにした。その結果、ドン・ペリニョンを飲みながら、三○のイタリアンおせちをいただき、その後、みんなで年越し蕎麦をいただくことになった。
私はというと、失業者の身でシャンパンもおせちも提供できないので、そのかわりというほどのものではまったくないが、急遽添え物のサラダをつくることにし、持寄品はそれで勘弁してもらうことにした。ただし、ドン・ペリニョン用のグラスは私が提供し、バカラとサン・ルイのカラー・グラスを使用することに。バカラもサン・ルイも私の部屋で使っているとさっぱり見栄えがしないが、広い大家さんの部屋の豪華な料理がのったテーブルに据えられると女王のような輝きだ(このグラスは、「いかにも割れそうだ」と大家さんが洗うことを拒否したので、結局私が自分で洗うはめに…)。
ということで、大家さん、お母さん、小説家Sさん、私と若干のお客さんで年越しのざっくばらんなパーティーだ。途中からみんなで紅白歌合戦をみる。
冒頭の美川憲一とIKKOのからみでは、「おかま」が差別用語かどうか、にわかな議論。「別にいいんじゃないの」というのが私の考えだが、政治がどうこういう前に、同性愛の可視化はメディアでなし崩し的に先行している感じがする。私はそれでもかまわないような気がしている。
さて今回の紅白では、カミングアウトしている人、していない人、さまざまな歌手が次々に登場したが(それぞれの考え方や事情があって各人がカミングアウトしたりしなかったりしているわけだから、私は、それも各人の考えに合わせてまだらなままでいいとおもっている)、実はこの日私が一番共感を感じたのは寺尾聰。昭和22年生まれの彼が56年のヒット曲『ルビーの指輪』を淡々と歌う姿には、自分もまだなにかがんばらなくちゃという気がした。
ところで、本来は次に蕎麦を食べるはずだったのだが、みんなまだ満腹感があり、紅白歌合戦終了後とりあえず近くの神社に年始参りをしてきてから、年始の「年越し」蕎麦をいただいた。きけば吉兆の蕎麦とのことで、乾麺ながらとてもおいしい。Sさんはまだ話したりない様子で大家さんと話しをしていたが、蕎麦をいただくと私は自室に戻った。

明けて元旦。
遅く起きて、今度は自室で日本風おせちをいただきながらしばしぼんやりする。
それからみるともなく年賀状をみていると、いろいろな人からの賀状に混じって、19歳の頃私が最初にセックスした相手からの賀状があり、「久しぶりに会いたいですね」という添え書きに、今はなにをしてるのかと若干の感慨(ちなみに私と彼は、数十年間、賀状のやり取りを継続しており、十年ほど前に一度再会したことがある)。
その後おもむろにおもいたって、年末あまりにもあわただしくてまだつくっていなかった年賀状の制作と住所の打ち出しにかかる。ところが、しばらく使っていなかった住所打ち出しソフトがうまく作動せず、結局、住所はすべて手書きで書くことに。この突然の予定変更があったために、年賀状書きはものすごく手間がかかることになった。ちょっといらいらしているうちに元旦終了。

二日は、起きてからただちに年賀状書きに取り組む。宛名書きが延々と終わらないが、途中で手を止め、夕方、北鎌倉の澁澤龍彦邸に年始の挨拶にうかがうことにする。
日本へのサド文学の本格的紹介者・澁澤龍彦さんが亡くなって去年で20年経ったが、北鎌倉の自邸は、書斎なども澁澤さんの生前そのままに未亡人の龍子さんが一人で住んでいる。私は、去年の秋もN○Kの特集番組撮影のおりに澁澤邸を訪問し、龍子さんにご挨拶しているのだが、年始となれば話はまだ別だからと、再訪。
ことしは澁澤さんの生誕80年ということで、横浜市の神奈川県立神奈川近代文学館で回顧展が予定されている。二日は、その回顧展の監修者である詩人の高橋睦郎さんの他、画家の金子国義さん、合田佐和子さん、人形作家の四谷シモンさん、女優の李麗仙さんらがあつまり、主なき澁澤邸で、終電ギリギリまで澁澤談義に花が咲いた。
澁澤さんといえば、サド侯爵の作品の他に、同性愛作家ジュネの『ブレストの乱暴者』なども訳し(この作品はファスビンダーによって映画化されている<邦題『ケレル』>)、日本での同性愛文学の開花にも先鞭をつけているのだが、生きていたら、現在のゲイ・ムーブメントをどのようにみていたのだろう…。
(澁澤さんの作品および翻訳の多くは、河出書房新社から文庫化されているので、興味のある方は探してみてください。)
【参照】
神奈川近代文学館
http://www.kanabun.or.jp/

三日は酔った頭でまたまた宛名書き。ただしこの日はKくんという若者と「人生」「人間」についていろいろ語ることを予定していたので、宛名書きを適当に切り上げて、夕方新宿に向かう。お会いするまで、Kくんってどんな人だろうとおもっていたのだが、実際に会ってみると第一印象からして好感のもてる若者だったので、彼となら楽しく話ができるのではないかとおもった。とはいえ、いい話場所がおもいつかなかったので、まずは伊勢丹にしけこんで、食事をしながらいろいろ雑談する。
その内容はといえば、文字通りの人生雑感に加え、昨日訪問したばかりの澁澤邸の様子にはじまって澁澤龍彦およびサド裁判(サド侯爵の『続・悪徳の栄え』の翻訳が猥褻罪に問われたこの裁判で、澁澤は終始、国家はとある著作を猥褻かどうか判断する資格はなく、この裁判は不当かつナンセンスであると主張し、検察側と論点が噛み合わないまま有罪となった)について、コミックについてなどで、どちらかといえば、私が一方的に話をしていたような気がする。ただ、デパートの食堂だとまわりにいろいろな人がいて、内容によっては微妙に話しにくいこともあり(Kくんに言わせれば、それでも私はけっこうきわどいことを話していたとのことだが)、とりあえず、話の続きは場所を変えてということにする。
そこでまずは行きつけのタックスノットを目ざしたのだが、あいにく三日は年始休業。そこで急遽予定を変更し、昨日澁澤邸で話題になった「洋ちゃんち」に行ってみることにする。二丁目の一画にある「洋ちゃんち」まで行くと、店内は明るいのに「準備中」の札がかけてあったのだが、昨日○○さんにうかがってお邪魔しましたというと、「実はまだ開けるつもりはなかったけど、どうぞどうぞ」と喜んで「開店」してくれた。カウンターだけの狭い洋ちゃんちには、壁中、昔の写真などが貼ってあったが、こちらから話題をふると、『メゾン・ド・ヒミコ』撮影のエピソードや昔の新宿二丁目のことなどいろいろ語ってくれた。そうこうしているうちに、二丁目でいろいろ物件をあつかっているノンケの不動産屋さん、ゲイ・アクティビストなど、多彩な人が入れ替わり飲みにきて、こちらも思いがけない「人生」「人間」の勉強をしてしまった。