この4月から
「外見」も「内面」も磨こうと決め、
徹底的に
自分と向きあっています
「外見」は『清潔感』がとにかく憧れなので
ここを基準に
色々と磨いていきたいと思います
「外見」は自分の『看板』だと思っているのです
こう思ったのは
最近目にした、ある本の内容からでした。
「もちろん内面が1番大切です。
特に結婚する時などは最も重要です。
でもまだあなたのことを何も知らない人に
少しでも興味をもってもらうには、その努力が必要です。
人はまず、見た目からしかわかりません。
せっかく話せば素敵なのに。
その素敵な内面を知ってもらうための、
外見なのです。」
・・・すごい説得力
これは、
人間の世界だけでなく
むしろ
本能である「動物」の世界の方が顕著のような気がします。
美しい鳥は
その羽の美しさを競い
相手を惹きつけますし、
猛獣は
その強さを雌にアピールしたりしますよね
もちろん人間はもっと進化しているので
「内面だけ」でも問題ないと思うのですが
最初のとっかかりは
見た目からとありました。
当たり前といえば当たり前ですが
この本はスピリチュアル系ではないですし
「見た目が9割」という本もあるくらいですし(いや、読んでないので内容知りませんが
)
こういう考えも自然と言えば自然と感じます。
私は「魂の伴侶」「前世療法」というブライアンLワイス氏の本が
衝撃的でとにかく大好きで大好きで大切にしていますが
こういう本を読むと
「いや、魂で引き寄せられるし・・・」
なんて思っちゃうのですが
でも「魂で引き寄せられる」としても
最初に惹かれ合うのはもちろん外見だということのようです。
もっと都合良く考えちゃうと
惹かれ合うように設定させているので
惹かれる外見をも、持っているような気がするのですが
とはいっても
もちろん「良い外見」に越したことはございません(笑)
「外見」を気にする、気遣うということは
ある意味
『相手へのマナー』なのかな?とも思います
自分の為であるようで
実は相手への気遣いだったり
(運命の)相手に見つけてもらいやすくするための努力であったり
だから
「内面」と「外見」はリンクさせて考えることが
自然なのかな・・・と。
さっきの本の内容から
「初対面の人はもちろん誰も自分の中身なんて知らない。
外見がまず自分の『看板』なのかもしれない。」
と感じたのです。(え?違うかな
)
多くの人たち(初対面)の中で
自分がどう映るのか。
というのは
ネイルサロンの看板なら
サロン内容はネイルでなければならないし
ネイルという内容だから
ネイルサロンの看板が掲げられるわけで。
看板と中身は同じ内容でなければならない。
自分という看板(外見)も
中身とちぐはぐなものではないし、
どちらかが優れていれば良い、
ということではないような、気がするのですね
もちろん
サロンにも人間にも
「どちらかだけが立派」
ということが当然あるわけで
看板(外見)だけが立派で、中身が伴っていないと
「詐欺」とか言われちゃいますし
内容(中身)だけが立派でも看板(外見)を磨いていないと
「見つけにくい」となってしまう気がします。
だから、
目標は
『看板』は見つけてもらいやすいように「磨いて」、
『内容』も喜んでもらえるようになる
が
バランス的にベストではないかと思ったのです
それは仕事の、本物の『看板』『内容』と
自分自身という『看板』(外見)と『内容』(中身)も
同じなのかな・・・?と。 どうなんだろ?
違うかな?
ちなみに私
小汚くて人に会いたくない日は
『閉店』看板、しょってます
すんません。
また、
私がブログで「人間を楽しむ」を強調し
自分に言い聞かせているのは
ある「本物」のチャネラー(ヒーラー)の方に
「人間に生まれてきたのは
物質世界を楽しむためでもあります。
人間しかこの世は楽しめません。」
・・・みたいなことを言われたから。
またある本で、
「この世は映画のようなもの。
一人一人が『自分を演じている』だけで
物質は物質として楽しんでいるだけ。
ある人は生まれる前に「お金持ち」の役をを設定し
お金を使うことを楽しむ役を演じているし
ホームレスの役を演じている人は
その役を通じてそこから学ぶことをしているだけ。
それぞれが違う学びを選び、役を演じているだけ。
魂のレベルではどちらも優越などない。」
・・・みたいな内容で
この本は最初
「言っている意味がよくわからない
」
と思ったものの、今ではとても分かる気がするようになりました。
実は
「この世がバーチャル



」
的な?
つまり、
罪悪感なくそれぞれの人生を満喫すること、
とのようです。
この本は衝撃的で最初は本当に理解に苦しみましたが
その後
あらゆる本を読んでいて
すべてが繋がっており、理解できた?ような気がします。
ある日突然「ハッ」と気づいた気がしました
スピリチュアルにどっぷりはまっていた頃
当時(かなり昔)、超人気のあった
外国のある有名な本が
「あれもほしい。これもほしい」というものを
この本の法則で
「車も引き寄せられた、別荘も得た。お金も沢山ある。」
と
物とかばかりに目が向けられていることに
軽い嫌悪感がして
「こういうのってどうなんだろ?」
と考え悩んだ時期がありました。
(あ、ザ・シークレットではないです、念のため
)
でも
上記の「すべて映画の主人公」という考えで
今では考え方がガラッと変わったのです
天国には物は持っていかれないと知った上で
この世で人間として楽しめることを満喫する。
ある人はお金で贅沢することすることが
楽しいのですし
ある人はお金よりも精神を鍛えることが
楽しいのですし
ある人はスポーツで肉体の限界を楽しんでいるし
ある人は頭脳でこの世に素晴らしいものを生み出すことを
楽しんでいる、
と
それぞれ全く違う楽しみを楽しみとして
選んで来ているのだな・・・と
みんな違って当然で
その楽しみの価値も全く違うのだとわかりました。
すべて素晴らしいことだと思います。
演ずる役が
みんな白雪姫でもいいですし(みんな主人公 笑)
この世は「楽しむことにある」
というこがすべてだと言う。
私が感じた「良書」とは
「すべて良いのです」という感じの物が多いです
すべてに意味がありすべてが必然で
すべて自分で選んできていて
起こるものはすべて自分に必要なことであると。
そこに善悪はない。
否定的なものはなく
ただすべてを尊重し受け入れる。
感謝と優しさが溢れている。
安らぎと穏やかさだけがある。
私が影響を受けたものは
いわゆる「良書」といわれているものが多いのですが
そういうものは
読むと感動とショック(良い意味で)
ものすごく心が揺さぶられます。
私が「読まなきゃ良かった系」(笑)と思うものは、
「偶然もある」みたいなものや(いや、深い意味があるかもしれませんが
)
あれもだめ、これもだめ(明らかに人間目線な考えのもの)
・・・・という否定的な表現が多いものかな/face_ase2/}
私が「偶然」があまり好きではないのは
「必然」であればすんなり受け入れられるからです。
どんなつらいことでも。
ただそれだけの、自分の都合です。すんません
でも
私が感動する良書はほぼすべて
「この世に偶然はない。すべて必然である」
と言っています
こちらの考えが好きです。
好き嫌いは
あくまでも個人的な感想ですけどね
魂の成長のための人間の世界でも
「楽しむこと」が最も大事なことなのではないかと
考え方がガラッと変わってしまいました
そんな時に
その、ある本物のチャネラーさんに
「全部、「ありがとう」、と楽しめばいいんですよ」
と
だからそれ以来
私は
「物を楽しめるのは人間の特権
」
と、楽しむようになりました。
すっかり罪悪感はなくなりました
この世はすべて「借りている物」といいます。
自分のものになるものは一つもないそうです。
自分の肉体でさえ、借り物だそうです。
何を借りるのかは自分が決められるそうで
何でも借りられるそうです
(せっかくだから、別荘借りたいな
笑)←おうち好き
これからの時代
特に「精神世界の時代」になると言われていますね
(魚座の時代から水瓶座の時代/アクエリアス時代)
でもそうであっても
物質の世界であることに変わりはありません。
その物質そもそもが
幻想であるということなのかも、しれません。
だから物質は
執着するものではなくただ「楽しむ」だけで良いと
私は思っています
4月から
『内観ワーク』を初めています
今勉強しているものが自分に合うか
ただいま実践中です
効果があるものを
またブログに記録していきたいと思います
P.S 自分へ言い聞かせる内容でした。独り言です
「外見」も「内面」も磨こうと決め、
徹底的に
自分と向きあっています

「外見」は『清潔感』がとにかく憧れなので
ここを基準に
色々と磨いていきたいと思います

「外見」は自分の『看板』だと思っているのです

こう思ったのは
最近目にした、ある本の内容からでした。
「もちろん内面が1番大切です。
特に結婚する時などは最も重要です。
でもまだあなたのことを何も知らない人に
少しでも興味をもってもらうには、その努力が必要です。
人はまず、見た目からしかわかりません。
せっかく話せば素敵なのに。
その素敵な内面を知ってもらうための、
外見なのです。」
・・・すごい説得力

これは、
人間の世界だけでなく
むしろ
本能である「動物」の世界の方が顕著のような気がします。
美しい鳥は
その羽の美しさを競い
相手を惹きつけますし、
猛獣は
その強さを雌にアピールしたりしますよね

もちろん人間はもっと進化しているので
「内面だけ」でも問題ないと思うのですが
最初のとっかかりは
見た目からとありました。
当たり前といえば当たり前ですが

この本はスピリチュアル系ではないですし
「見た目が9割」という本もあるくらいですし(いや、読んでないので内容知りませんが

こういう考えも自然と言えば自然と感じます。
私は「魂の伴侶」「前世療法」というブライアンLワイス氏の本が
衝撃的でとにかく大好きで大好きで大切にしていますが
こういう本を読むと
「いや、魂で引き寄せられるし・・・」
なんて思っちゃうのですが

でも「魂で引き寄せられる」としても
最初に惹かれ合うのはもちろん外見だということのようです。
もっと都合良く考えちゃうと
惹かれ合うように設定させているので
惹かれる外見をも、持っているような気がするのですが

とはいっても
もちろん「良い外見」に越したことはございません(笑)
「外見」を気にする、気遣うということは
ある意味
『相手へのマナー』なのかな?とも思います

自分の為であるようで
実は相手への気遣いだったり
(運命の)相手に見つけてもらいやすくするための努力であったり

だから
「内面」と「外見」はリンクさせて考えることが
自然なのかな・・・と。
さっきの本の内容から
「初対面の人はもちろん誰も自分の中身なんて知らない。
外見がまず自分の『看板』なのかもしれない。」
と感じたのです。(え?違うかな


多くの人たち(初対面)の中で
自分がどう映るのか。
というのは
ネイルサロンの看板なら
サロン内容はネイルでなければならないし
ネイルという内容だから
ネイルサロンの看板が掲げられるわけで。
看板と中身は同じ内容でなければならない。
自分という看板(外見)も
中身とちぐはぐなものではないし、
どちらかが優れていれば良い、
ということではないような、気がするのですね

もちろん
サロンにも人間にも
「どちらかだけが立派」
ということが当然あるわけで
看板(外見)だけが立派で、中身が伴っていないと
「詐欺」とか言われちゃいますし
内容(中身)だけが立派でも看板(外見)を磨いていないと
「見つけにくい」となってしまう気がします。
だから、
目標は
『看板』は見つけてもらいやすいように「磨いて」、
『内容』も喜んでもらえるようになる
が
バランス的にベストではないかと思ったのです

それは仕事の、本物の『看板』『内容』と
自分自身という『看板』(外見)と『内容』(中身)も
同じなのかな・・・?と。 どうなんだろ?


ちなみに私
小汚くて人に会いたくない日は
『閉店』看板、しょってます

また、
私がブログで「人間を楽しむ」を強調し
自分に言い聞かせているのは
ある「本物」のチャネラー(ヒーラー)の方に
「人間に生まれてきたのは
物質世界を楽しむためでもあります。
人間しかこの世は楽しめません。」
・・・みたいなことを言われたから。
またある本で、
「この世は映画のようなもの。
一人一人が『自分を演じている』だけで
物質は物質として楽しんでいるだけ。
ある人は生まれる前に「お金持ち」の役をを設定し
お金を使うことを楽しむ役を演じているし
ホームレスの役を演じている人は
その役を通じてそこから学ぶことをしているだけ。
それぞれが違う学びを選び、役を演じているだけ。
魂のレベルではどちらも優越などない。」
・・・みたいな内容で
この本は最初
「言っている意味がよくわからない

と思ったものの、今ではとても分かる気がするようになりました。
実は
「この世がバーチャル





的な?
つまり、
罪悪感なくそれぞれの人生を満喫すること、
とのようです。
この本は衝撃的で最初は本当に理解に苦しみましたが
その後
あらゆる本を読んでいて
すべてが繋がっており、理解できた?ような気がします。
ある日突然「ハッ」と気づいた気がしました

スピリチュアルにどっぷりはまっていた頃
当時(かなり昔)、超人気のあった
外国のある有名な本が
「あれもほしい。これもほしい」というものを
この本の法則で
「車も引き寄せられた、別荘も得た。お金も沢山ある。」
と
物とかばかりに目が向けられていることに
軽い嫌悪感がして
「こういうのってどうなんだろ?」
と考え悩んだ時期がありました。
(あ、ザ・シークレットではないです、念のため

でも
上記の「すべて映画の主人公」という考えで
今では考え方がガラッと変わったのです

天国には物は持っていかれないと知った上で
この世で人間として楽しめることを満喫する。
ある人はお金で贅沢することすることが
楽しいのですし
ある人はお金よりも精神を鍛えることが
楽しいのですし
ある人はスポーツで肉体の限界を楽しんでいるし
ある人は頭脳でこの世に素晴らしいものを生み出すことを
楽しんでいる、
と
それぞれ全く違う楽しみを楽しみとして
選んで来ているのだな・・・と

みんな違って当然で
その楽しみの価値も全く違うのだとわかりました。
すべて素晴らしいことだと思います。
演ずる役が
みんな白雪姫でもいいですし(みんな主人公 笑)
この世は「楽しむことにある」
というこがすべてだと言う。
私が感じた「良書」とは
「すべて良いのです」という感じの物が多いです

すべてに意味がありすべてが必然で
すべて自分で選んできていて
起こるものはすべて自分に必要なことであると。
そこに善悪はない。
否定的なものはなく
ただすべてを尊重し受け入れる。
感謝と優しさが溢れている。
安らぎと穏やかさだけがある。
私が影響を受けたものは
いわゆる「良書」といわれているものが多いのですが
そういうものは
読むと感動とショック(良い意味で)
ものすごく心が揺さぶられます。
私が「読まなきゃ良かった系」(笑)と思うものは、
「偶然もある」みたいなものや(いや、深い意味があるかもしれませんが

あれもだめ、これもだめ(明らかに人間目線な考えのもの)
・・・・という否定的な表現が多いものかな/face_ase2/}
私が「偶然」があまり好きではないのは
「必然」であればすんなり受け入れられるからです。
どんなつらいことでも。
ただそれだけの、自分の都合です。すんません

でも
私が感動する良書はほぼすべて
「この世に偶然はない。すべて必然である」
と言っています

好き嫌いは
あくまでも個人的な感想ですけどね

魂の成長のための人間の世界でも
「楽しむこと」が最も大事なことなのではないかと
考え方がガラッと変わってしまいました

そんな時に
その、ある本物のチャネラーさんに
「全部、「ありがとう」、と楽しめばいいんですよ」
と

だからそれ以来
私は
「物を楽しめるのは人間の特権

と、楽しむようになりました。
すっかり罪悪感はなくなりました

この世はすべて「借りている物」といいます。
自分のものになるものは一つもないそうです。
自分の肉体でさえ、借り物だそうです。
何を借りるのかは自分が決められるそうで
何でも借りられるそうです

(せっかくだから、別荘借りたいな


これからの時代
特に「精神世界の時代」になると言われていますね

(魚座の時代から水瓶座の時代/アクエリアス時代)
でもそうであっても
物質の世界であることに変わりはありません。
その物質そもそもが
幻想であるということなのかも、しれません。
だから物質は
執着するものではなくただ「楽しむ」だけで良いと
私は思っています

4月から
『内観ワーク』を初めています

今勉強しているものが自分に合うか
ただいま実践中です

効果があるものを
またブログに記録していきたいと思います

P.S 自分へ言い聞かせる内容でした。独り言です
