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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

街の名前は変われども

2006年04月09日 18時24分17秒 | 日常
(写真:東鳴子温泉「旅館大沼」にて)
柄ではないが、貸切露天風呂とかで一人ぼーっと。癒。

この週末はまたフラフラと鳴子。
鳴子の町は、岩出山や古川と合併して四月から「大崎市」になったらしい。
しかし、日々に特に変わったトコロもなく、相変わらず人も街もマターリとして良い所でした。
まだ桜には早いし、天気が悪くて寒かったけどね。

何が自分を惹き付けるのかは良く分からないが、通うごとに新しい発見がある奥の深い街ですよここは。
結構凝ったら凝り性なんで、この街を突き詰めてみようかな、と。
最近そう思います。

この街の魅力に付いては、追って。
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アヒャヒャヒャwwwwww

2006年04月07日 22時24分02秒 | 日常
楽天:先発全員安打でロッテを降し、今季2勝目
 ○楽天13-0ロッテ●

楽天が先発全員安打の2けた得点で今季2勝目、連敗を4で止めた。一場はプロ初完封。5点リードの五回、フェルナンデスの4戦連続となる左中間2ランなど打者11人で7点を加え、試合を決めた。ロッテは投打に元気がなかった。

▽楽天・野村監督 先手必勝。二回の4点で一場は楽になったでしょう。(今季2勝目に)二つ勝って喜んではおれない。明日が心配だ。

▽ロッテ・バレンタイン監督 いい当たりが出ても野手の正面をついた。逆に相手は野手の間を抜けた。それほど楽天にいい当たりが多かったとは思わないが、一方的な展開になった。

○…野村監督が「つながらない」と嘆いていた楽天打線が、先発全員安打と面白いようにつながった。

ロッテの左腕・加藤の立ち上がりをとらえ、二回までに2犠飛と沖原、高須の適時打で5点を奪ってKOすると、五回は打者11人で一挙7得点。各打者が反対方向への打撃を意識し、大振りすることのない、つなぎを心がけた成果だった。

捕手・カツノリは二回の右犠飛に続き、五回にも低めの球をうまくすくい上げ、右中間へ2点三塁打を放ち「チームの勢いに乗って打てた」。一場も終盤まで試合を作り、久々に投打がかみ合った。

○…ロッテの加藤が二回途中5失点で降板した。制球が安定しないところを楽天打線に狙い打たれた。前回登板でも四回途中で降板。6年目の今年、「ぜひ先発ローテに定着したい」とキャンプから力を込めてきた。

先発陣の中で唯一の左腕ということで、首脳陣も期待をかけていたが、2戦連続のふがいない投球。ローテから外れる危機が迫ってきた。

毎日新聞 2006年4月7日 21時01分 (最終更新時間 4月7日 21時56分)

どうしてこうなってしまったの?
それは、ロッテだからだろ!
なんて面白いチームだ。
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去年は確変と

2006年04月06日 23時24分18秒 | 日常
言われて、元通りですかそうですか。

●想像以上に良い投手 バレンタイン監督

新人の平野佳に惨めな零敗を喫したバレンタイン監督は、ぶっきらぼうな口調で「想像以上に良い投手だったね」。
序盤に小野が打ち込まれる展開に打線も淡泊に回を重ねた。5回は3人そろって初球をたたき、いずれも凡フライに。6回無死二、三塁で続けて凡退した今江と西岡に加え、里崎も「(WBC出場の影響で)体調不十分。力強さを感じない」とベンチに下げた。
2三振の今江は「今の僕の目には変化球が消えてしまう。出ても迷惑をかけるだけ」と視線を落とした。(大阪ドーム)  (了)
[ 共同通信社 2006年4月6日 21:38 ]

同じ貧打でも、昔のように打とう打とうと頑張って追い込まれて結局打てない…ではなく、何となく選手全体の注意力が散漫だし、点が離れてしまってからはハッキリ言って投げやり。
去年1年でだいぶ勘違いしてしまったのか、オフの多忙でガス欠か、ともかく今はカネを払ってまで見る価値のない試合ばかりを続けている。
WBCに原因を求めているが、他の球団の選手はしっかりやっている訳だし…
何と言うか、選手の土台がないまんまに昨年から今年にかけて分不相応な栄光を手にしてしまった事がいけなかったんだろうね。何か結束力のないよそよそしい空虚感に包まれているような。

31年間の恨みを晴らしたから、もう今年はどうなってもいいやって思っていたが、やっぱり贔屓が負ければ悔しいし。自分でも耐性ねーなとは思っているが、これで週末マリンに来いってのも無理な話だろう。
44イニング連続タイムリーヒットなし、3回までに大量点で崩れるゲーム、開幕ダッシュは完全に失敗で、戦略の練り直しでどうにかなるんか?って感じの状態なので、週末は出かけて来ます。

時間もったいないし。
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あの頃の僕たち

2006年04月05日 23時13分03秒 | 日常
一昨日の夜、マックイーンの訃報をへんしうちょからのメッセンジャーで受けたのだが、そこから始まったクロストークでの思い出話。
同世代であるからこそ、競馬にのめり込んだときもほぼ同じとあって、当時の成績をnetkeiba.comなんぞで引っ張り出しながらのクロストーク。ホント、あの頃の事をこと細かに覚えている自分の頭に感心するし、最近の事はさっぱり覚えていない自分の頭に萎えたりしながら夜遅くまで話が盛り上がってしまったのだが…

酒の肴に上がったレースは、
ディス イズ 中山のダート準OP(ある意味かなりのスーパースター揃い)
ディス イズ 中山の最終平場(とにかくメンツが味わい深い)
フジカツラはいかに堅実な馬であったか
などなど(笑)。

話が尽きてその後も、一人でnetkeibaをウロウロしていたのだが、同じような時期にこんな馬もいましたねえ。まあ、こんな馬マニアでも覚えている人間はいないと思うけどw
確かあれは高校2年生の春休みかな、中山競馬を府中で打っていて見付けた馬なのだが…
良く私は弱い馬の事を「足が遅い」と揶揄してネタに使ったりする事が多いのだが、こと「鈍足」と言うカテゴリがあるならこの馬ほどすごい馬はいなかったねw
これがその時のレース成績なのだが、スタートしてからどんどん置かれ始め、走る気がなく取り残されて、ヤネの故・蛯沢誠治が何をしようとも知らぬ存ぜぬで、四角回る頃には水平線のはるかかなたに置かれ、先頭から大きく離されたブービーの馬からさらに4秒近く千切られてノロノロと徐行運転のように入線したその姿は、既に草食動物としての何かを置き忘れて来たような異次元の凄みがあったw

生産は管理していた成宮センセイの実家である青森の明成牧場。父のレシテイションってのも凄いが、母ビダヌエバも確かチリかどっかから持って来た老齢の繁殖牝馬だったような気がする。もはや成宮センセイが南米旅行のお土産に買ってきたとしか思えない、「物好き加減」が爆発した血統だった事を覚えている。
しかも成宮センセイはここまでの駄馬を産んでしまった繁殖牝馬の子供を見捨てることなく、翌年はヨハネスエンデバー(父ブラームス)でリベンジを図るもこれまたジャカランタに勝るとも劣らない鈍足っぷりを披露、センセイがっかり、俺大喜び(笑)。てかブラームスってムツミローマンくらいしか走った馬知らんがなw。
この2頭の、たった4走で付けられたタイム差が何と29.8秒(笑)。平均すると走るたんびに7.5秒差の大敗をしていたと言う訳で。
折しも新入社員の入社時期。「始業は9時からですよ」と言われて、2日連続で12時出勤をしたジャカランタとヨハネス。そりゃークビになるのは当然の事だが(笑)。
ちなみに、三度目の正直で父にアンフィールドを配したハヤテモンゴルは、今までの兄弟馬と比べるとはるかに俊足過ぎて面白くありませんでしたw

何と言うか、調教師に優勝劣敗がなかった時代のいい話だと思うのだが、いかに(笑)。

この話には後日談が。
大学に入り、優駿同好会に入った私が、ひょんなことから「とんでもなく弱い馬」の話になった(まーそういう話をするのが我々のクオリティだと流してくださいw)。「絶対誰も知らんだろう」と思ってこの馬の話を持ち出したところ、グッピー氏に「あーあー知ってる!覚えてる!」と思い切り相槌を打たれてしまい、びっくらこいた、と言う…
世の中には、「こんな所に注目するマニアックな人が(自分以外に)いるのか!」と、感心するやら呆れるやら(笑)。

グッピー氏は覚えてますかね?w
これが自分の知識欲に火を付けたと言っても過言ではない。
そんな、あの頃の僕たち。
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盾に吹く 桜吹雪の 涙かな 

2006年04月03日 23時05分01秒 | 日常
(写真:職場近くで 名残りの桜)

日曜日に桜を見にどこかへ…などと思っていたのだが、天気が荒れ放題に荒れたので未遂に終わる。ま、外回りの仕事をしているので、このように仕事中でも桜を愛でる事は出来るのですが。

歳を経るほど過ごすほど、何というか日本人らしく生きる事が好きになってきたような気がしますね。春は桜を見たいし、皐月は若葉を見たくなるし、梅雨には紫陽花を見たくなるし、夏は青い海と新緑の山を見たくなる。長月はいわし雲とススキがあったほうがいいし、秋は燃える紅葉を見て、枯れ野が雪に埋まって冬が来る。
四季折々に出掛けて、デジカメで写真をほいほいと撮るようになったのも影響しているのかもなあ。

関東地方はもう名残の桜加減ですが、いざとなりゃ北の方へちょいと追いかけて行けば桜は見られるので気にしてません。
ハマの桜もいいけど、やっぱ自然あふれる山里で、そうねえ…水の入った田んぼの脇に古い社があって、その脇に一本の古い桜が咲いているような。
そんな桜が見たいですね。

へんしうちょから知らされたのだが、メジロマックイーンが亡くなったそうで…

あの頃は競馬を意識してのめりこみ始めて、もう競馬の付くものなら何でも読み漁ってた…そんな時でした。確定版の東スポが駅に並ぶまで、100円玉握り締めて待ってました(当時まだ東スポ90円だった)。スーパー競馬をビデオに録って、擦り切れるまで見ましたね。それこそ、実況を覚えるくらいに。
そんな頃に頂点に君臨していたのが間違いなくメジロマックイーンでした。
それだけに、何と言うか、この訃報には驚きと、時の流れを感じざるを得ないのです。

一番記憶に残っているのが二回目の京都大賞典かなあ。
大阪杯からの骨折休み明けを持ったまま、京都の直線でブッチ切りでしたか。
(追記:骨折休み明けは大阪杯で、宝塚記念からの休み明けだったらしい 記憶違い)
2.22.7の勝ち時計に、おっそろしい馬だなあと驚いた覚えが。
血統としてはティターン×リマンドの重い感じのステイヤーだったのに、馬自体には決してスピードがなかった訳ではないんだよねえ。伝わらなかっただけで。

府中の横型の着順掲示板から「18番が消えた」あの瞬間。
ゴールデンフェザントに、ダイユウサクに、ウィークポイントだった一瞬の切れ味に屈したジャパンカップと有馬記念。
的場にツケマイ食らった三度目の盾…

思い出は尽きぬ。
ともかく、ご冥福を。
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