青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

あの頃の僕たち

2006年04月05日 23時13分03秒 | 日常
一昨日の夜、マックイーンの訃報をへんしうちょからのメッセンジャーで受けたのだが、そこから始まったクロストークでの思い出話。
同世代であるからこそ、競馬にのめり込んだときもほぼ同じとあって、当時の成績をnetkeiba.comなんぞで引っ張り出しながらのクロストーク。ホント、あの頃の事をこと細かに覚えている自分の頭に感心するし、最近の事はさっぱり覚えていない自分の頭に萎えたりしながら夜遅くまで話が盛り上がってしまったのだが…

酒の肴に上がったレースは、
ディス イズ 中山のダート準OP(ある意味かなりのスーパースター揃い)
ディス イズ 中山の最終平場(とにかくメンツが味わい深い)
フジカツラはいかに堅実な馬であったか
などなど(笑)。

話が尽きてその後も、一人でnetkeibaをウロウロしていたのだが、同じような時期にこんな馬もいましたねえ。まあ、こんな馬マニアでも覚えている人間はいないと思うけどw
確かあれは高校2年生の春休みかな、中山競馬を府中で打っていて見付けた馬なのだが…
良く私は弱い馬の事を「足が遅い」と揶揄してネタに使ったりする事が多いのだが、こと「鈍足」と言うカテゴリがあるならこの馬ほどすごい馬はいなかったねw
これがその時のレース成績なのだが、スタートしてからどんどん置かれ始め、走る気がなく取り残されて、ヤネの故・蛯沢誠治が何をしようとも知らぬ存ぜぬで、四角回る頃には水平線のはるかかなたに置かれ、先頭から大きく離されたブービーの馬からさらに4秒近く千切られてノロノロと徐行運転のように入線したその姿は、既に草食動物としての何かを置き忘れて来たような異次元の凄みがあったw

生産は管理していた成宮センセイの実家である青森の明成牧場。父のレシテイションってのも凄いが、母ビダヌエバも確かチリかどっかから持って来た老齢の繁殖牝馬だったような気がする。もはや成宮センセイが南米旅行のお土産に買ってきたとしか思えない、「物好き加減」が爆発した血統だった事を覚えている。
しかも成宮センセイはここまでの駄馬を産んでしまった繁殖牝馬の子供を見捨てることなく、翌年はヨハネスエンデバー(父ブラームス)でリベンジを図るもこれまたジャカランタに勝るとも劣らない鈍足っぷりを披露、センセイがっかり、俺大喜び(笑)。てかブラームスってムツミローマンくらいしか走った馬知らんがなw。
この2頭の、たった4走で付けられたタイム差が何と29.8秒(笑)。平均すると走るたんびに7.5秒差の大敗をしていたと言う訳で。
折しも新入社員の入社時期。「始業は9時からですよ」と言われて、2日連続で12時出勤をしたジャカランタとヨハネス。そりゃークビになるのは当然の事だが(笑)。
ちなみに、三度目の正直で父にアンフィールドを配したハヤテモンゴルは、今までの兄弟馬と比べるとはるかに俊足過ぎて面白くありませんでしたw

何と言うか、調教師に優勝劣敗がなかった時代のいい話だと思うのだが、いかに(笑)。

この話には後日談が。
大学に入り、優駿同好会に入った私が、ひょんなことから「とんでもなく弱い馬」の話になった(まーそういう話をするのが我々のクオリティだと流してくださいw)。「絶対誰も知らんだろう」と思ってこの馬の話を持ち出したところ、グッピー氏に「あーあー知ってる!覚えてる!」と思い切り相槌を打たれてしまい、びっくらこいた、と言う…
世の中には、「こんな所に注目するマニアックな人が(自分以外に)いるのか!」と、感心するやら呆れるやら(笑)。

グッピー氏は覚えてますかね?w
これが自分の知識欲に火を付けたと言っても過言ではない。
そんな、あの頃の僕たち。
コメント
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