
(画像:奥会津の空)
もし、人生の諸々が終わってケリが付いたとするなら…
終の棲家は、このあたりに構えてみたいですね。
最近の関東甲信越(南東北含む)は新規開拓じゃなくて、好きな地域にリピーターとして訪れる事が多くなったけど、この奥会津地方もそんなお気に入り地域の一つです。
横浜~R16~圏央道あきる野IC~関越湯沢IC~R291~R252~r352~r153~R289~R401~R352~R121~R400~R4~北関東道宇都宮上三川IC~首都高S1から帰還し走行距離830km。だいたい走った事のあるコース。つか、奥会津の取り付きまでは3月の山古志行きとほとんど同じだしな(笑)。
本来であれば東北道から塩原~山王峠~田島回りのほうが近いんだけど、今回の奥会津訪問は小出側から攻めてみた。久し振りにR252六十里越を走りたかったんでね。5月~10月の半年しか開いてないから、モタモタしてると行く機会をなくしちゃうんだよなあ。関東甲信越ドライビストとしてはここと志賀草津道路は年イチくらいで走っておきたいトコ(笑)。
自宅を23時に出て、仮眠を取りつつドライブ。この時期は4時くらいから夜が明けるのでいいなあ。六十里越のスタートになる新潟県側は魚沼市の大白川集落に到着したのは午前6時。大白川駅の自動販売機で缶コーヒーを買い、峠道を登り始める。
<六十里越でGo!(新潟側)>
●破間川に沿って
大白川を出てから、R252は破間(あぶるま)川の支流に沿ってしばらくは右に左に只見線の線路が寄ったり離れたりしながら走ります。朝の始発が走る時間を狙って朝の一本を記念撮影。朝日がまぶしいぜ。
●屋根付き街道
谷を詰めた場所から只見線は六十里越トンネルに入り県境へ向かいますが、R252はこれからが本格的な峠道となり、スノーシェッドが連発する急な上り坂となります。こっから只見までとにかくスノーシェッドだらけでいくつあったか数え切れなかったんだけども、20~30箇所はあったか?そんだけ雪崩が凄いんだろうけど…この道の愛称が「雪割り街道」と言うのは初めて知ったな。どっちかと言えば「屋根付き街道」だが。
●費用対効果は…
大白川からだいぶ登った。送電線はこの峠の向こうの田子倉湖から繋がっている水力ダム用のもの。半年は雪に閉ざされる→雪崩で道路崩壊→春から補修工事→半年は(ryの無限地獄のため、道中の保守工事の多さはハンパではない。いたるところで片側交互通行が行われていて、その度に簡易信号が置かれているのだが、待ってても向こうからあんまり車は来ませんwもちろん工事の費用対効果にも触れないのがオトナと言うものです。
●六十里越トンネル
登り切った所で六十里越トンネル。全長788.5m。そんな長くない。写真は新潟側坑口で、トンネルの前に広場があり駐車可能だったので、おにぎり記念撮影。六十里越の尾根を見ると、山霧が尾根を越えて新潟側に降り注いでいた。「まるで…天空の滝のようです…」とひとしきり自分の中に立松和平降臨。まあそのせいでポロシャツ一枚の自分はメッチャ寒かったがw
<六十里越でGo!(福島側)>
●国境の長いトンネルを出ると…
そこはスノーシェッドの中でしたw
福島側の坑口がそのままスノーシェッドに繋がっているため、何とも出口のあいまいなトンネルだなあ。
●万里の長城
スノーシェッドを出ると、道は田子倉湖を望む浅草岳(1,586m)へ連なる山腹へ出て来る。振り返れば、今まで抜けて来たスノーシェッドがまるで万里の長城のようだ。この辺り、スノーシェッドによって寸断された沢筋が天板の上を流れており、5月の開通直後は雪融け水が滝のようになってシェッド内から見えることもしばしば。
●田子倉湖眺望
道は次第に眼下に広がる田子倉湖の大パノラマを見ながら、等高線に沿って徐々に山腹を下って行く。深い緑の湖水を湛えた田子倉湖を大上段から見晴るかすこの風景が「日本百名道」に選ばれていないのが不思議でしょうがない。作者はモグリか?wちなみにあんまり運転中に見とれていると申し訳程度にしか作られていない路肩から即死ねるので注意はして欲しい(笑)。
●角栄碑(それと微妙に俺&愛車)
この道を作ったえらい人。「会津の窓を開く 六十里越峠開道記念碑 内閣総理大臣 田中角栄」と言う文面が刻み付けられている。この碑がある場所は田子倉湖を見渡すちょっとした展望台になってます。角栄碑からの景色はこんな感じで、緑の色が混在して織り成す絶景に、夏を前にしたこの時期に名残の雪渓がアクセントってトコでしょうか。
●田子倉駅
大白川の先でお別れした只見線は六十里越トンネル(6,359m)と田子倉トンネル(3,712m)で六十里越を越える。その2つの長大トンネルの切れ目のほんの僅かな部分にあるのが田子倉駅。大白川の集落から只見の集落までの約20kmに集落どころかそもそも目視では民家すら認められないと言う「ダムと山に囲まれて王手がかかっちゃった」ような辺境のど真ん中にある田子倉駅は、12月から3月末まで営業休止となっておりまして、そもそも駅前通りのR252は11月から4月末くらいまで雪に閉ざされてるのだから、この時期は完全に詰み(笑)。行きようがないわけだ。そもそも駅の形からして駅に見えないwスキー場の作業小屋ですか?この辺りはあまりにも雪が酷すぎて、駅は丸ごとスノーシェッドにすっぽり覆われたホームはとにかく陰気臭いのだが。ホームでFOMAは使えるらしいw遭難対策か?
そんな田子倉駅を見学していると、老夫婦がホームに降りてきたのはビビッたw聞けば峠向こうの大白川の人で、7時の若松行きで田子倉へ来て湖で釣りをし、9時の小出行きで大白川に戻るそうだ。確かに峠を運転して越えるより楽だろうからなあ。夫婦曰くこの時期は渓流釣りと山菜取りの需要はあるようだが(笑)。
●先祖の土地と引き換えに
道は田子倉湖畔に落ちる松淵山、芋巻岳をトンネルとスノーシェッドで巻きながら徐々に湖面近くへと降りて行く。六十里越トンネル出口が標高750m、湖面が標高510mくらいだからおよそ240mの下り。ダムの堰堤に近い場所に「若宮神社」と言う神社があり、このダムに沈められた田子倉集落の詳細が記載されていた。展望台から見た田子倉湖、この湖面のどの辺りに集落があったのかは知るよしもない。
●ラストスパート
田子倉ダムの堰堤を見ながら、最後はつづら折れのカーブを一気に降りる。田子倉ダムの発電用放水を緩衝するために作られた只見湖を眺めながら走れば只見の街はもうすぐ。ゆっくりガッツリ六十里越えを楽しんでいたら、大白川から1時間半近く掛かってしまった(笑)。
只見駅前に到着。お疲れ様でした。
大白川~只見まで約20kmは1里=3.93kmとしても全然六十里もない訳であるが、それでも昔は「それくらい長く感じる大変な峠道」と言う事実を距離で表した事が名前の由来らしいですね。
奥会津のお話は、後半戦に続く。
もし、人生の諸々が終わってケリが付いたとするなら…
終の棲家は、このあたりに構えてみたいですね。
最近の関東甲信越(南東北含む)は新規開拓じゃなくて、好きな地域にリピーターとして訪れる事が多くなったけど、この奥会津地方もそんなお気に入り地域の一つです。
横浜~R16~圏央道あきる野IC~関越湯沢IC~R291~R252~r352~r153~R289~R401~R352~R121~R400~R4~北関東道宇都宮上三川IC~首都高S1から帰還し走行距離830km。だいたい走った事のあるコース。つか、奥会津の取り付きまでは3月の山古志行きとほとんど同じだしな(笑)。
本来であれば東北道から塩原~山王峠~田島回りのほうが近いんだけど、今回の奥会津訪問は小出側から攻めてみた。久し振りにR252六十里越を走りたかったんでね。5月~10月の半年しか開いてないから、モタモタしてると行く機会をなくしちゃうんだよなあ。関東甲信越ドライビストとしてはここと志賀草津道路は年イチくらいで走っておきたいトコ(笑)。
自宅を23時に出て、仮眠を取りつつドライブ。この時期は4時くらいから夜が明けるのでいいなあ。六十里越のスタートになる新潟県側は魚沼市の大白川集落に到着したのは午前6時。大白川駅の自動販売機で缶コーヒーを買い、峠道を登り始める。
<六十里越でGo!(新潟側)>
●破間川に沿って
大白川を出てから、R252は破間(あぶるま)川の支流に沿ってしばらくは右に左に只見線の線路が寄ったり離れたりしながら走ります。朝の始発が走る時間を狙って朝の一本を記念撮影。朝日がまぶしいぜ。
●屋根付き街道
谷を詰めた場所から只見線は六十里越トンネルに入り県境へ向かいますが、R252はこれからが本格的な峠道となり、スノーシェッドが連発する急な上り坂となります。こっから只見までとにかくスノーシェッドだらけでいくつあったか数え切れなかったんだけども、20~30箇所はあったか?そんだけ雪崩が凄いんだろうけど…この道の愛称が「雪割り街道」と言うのは初めて知ったな。どっちかと言えば「屋根付き街道」だが。
●費用対効果は…
大白川からだいぶ登った。送電線はこの峠の向こうの田子倉湖から繋がっている水力ダム用のもの。半年は雪に閉ざされる→雪崩で道路崩壊→春から補修工事→半年は(ryの無限地獄のため、道中の保守工事の多さはハンパではない。いたるところで片側交互通行が行われていて、その度に簡易信号が置かれているのだが、待ってても向こうからあんまり車は来ませんwもちろん工事の費用対効果にも触れないのがオトナと言うものです。
●六十里越トンネル
登り切った所で六十里越トンネル。全長788.5m。そんな長くない。写真は新潟側坑口で、トンネルの前に広場があり駐車可能だったので、おにぎり記念撮影。六十里越の尾根を見ると、山霧が尾根を越えて新潟側に降り注いでいた。「まるで…天空の滝のようです…」とひとしきり自分の中に立松和平降臨。まあそのせいでポロシャツ一枚の自分はメッチャ寒かったがw
<六十里越でGo!(福島側)>
●国境の長いトンネルを出ると…
そこはスノーシェッドの中でしたw
福島側の坑口がそのままスノーシェッドに繋がっているため、何とも出口のあいまいなトンネルだなあ。
●万里の長城
スノーシェッドを出ると、道は田子倉湖を望む浅草岳(1,586m)へ連なる山腹へ出て来る。振り返れば、今まで抜けて来たスノーシェッドがまるで万里の長城のようだ。この辺り、スノーシェッドによって寸断された沢筋が天板の上を流れており、5月の開通直後は雪融け水が滝のようになってシェッド内から見えることもしばしば。
●田子倉湖眺望
道は次第に眼下に広がる田子倉湖の大パノラマを見ながら、等高線に沿って徐々に山腹を下って行く。深い緑の湖水を湛えた田子倉湖を大上段から見晴るかすこの風景が「日本百名道」に選ばれていないのが不思議でしょうがない。作者はモグリか?wちなみにあんまり運転中に見とれていると申し訳程度にしか作られていない路肩から即死ねるので注意はして欲しい(笑)。
●角栄碑(それと微妙に俺&愛車)
この道を作ったえらい人。「会津の窓を開く 六十里越峠開道記念碑 内閣総理大臣 田中角栄」と言う文面が刻み付けられている。この碑がある場所は田子倉湖を見渡すちょっとした展望台になってます。角栄碑からの景色はこんな感じで、緑の色が混在して織り成す絶景に、夏を前にしたこの時期に名残の雪渓がアクセントってトコでしょうか。
●田子倉駅
大白川の先でお別れした只見線は六十里越トンネル(6,359m)と田子倉トンネル(3,712m)で六十里越を越える。その2つの長大トンネルの切れ目のほんの僅かな部分にあるのが田子倉駅。大白川の集落から只見の集落までの約20kmに集落どころかそもそも目視では民家すら認められないと言う「ダムと山に囲まれて王手がかかっちゃった」ような辺境のど真ん中にある田子倉駅は、12月から3月末まで営業休止となっておりまして、そもそも駅前通りのR252は11月から4月末くらいまで雪に閉ざされてるのだから、この時期は完全に詰み(笑)。行きようがないわけだ。そもそも駅の形からして駅に見えないwスキー場の作業小屋ですか?この辺りはあまりにも雪が酷すぎて、駅は丸ごとスノーシェッドにすっぽり覆われたホームはとにかく陰気臭いのだが。ホームでFOMAは使えるらしいw遭難対策か?
そんな田子倉駅を見学していると、老夫婦がホームに降りてきたのはビビッたw聞けば峠向こうの大白川の人で、7時の若松行きで田子倉へ来て湖で釣りをし、9時の小出行きで大白川に戻るそうだ。確かに峠を運転して越えるより楽だろうからなあ。夫婦曰くこの時期は渓流釣りと山菜取りの需要はあるようだが(笑)。
●先祖の土地と引き換えに
道は田子倉湖畔に落ちる松淵山、芋巻岳をトンネルとスノーシェッドで巻きながら徐々に湖面近くへと降りて行く。六十里越トンネル出口が標高750m、湖面が標高510mくらいだからおよそ240mの下り。ダムの堰堤に近い場所に「若宮神社」と言う神社があり、このダムに沈められた田子倉集落の詳細が記載されていた。展望台から見た田子倉湖、この湖面のどの辺りに集落があったのかは知るよしもない。
●ラストスパート
田子倉ダムの堰堤を見ながら、最後はつづら折れのカーブを一気に降りる。田子倉ダムの発電用放水を緩衝するために作られた只見湖を眺めながら走れば只見の街はもうすぐ。ゆっくりガッツリ六十里越えを楽しんでいたら、大白川から1時間半近く掛かってしまった(笑)。
只見駅前に到着。お疲れ様でした。
大白川~只見まで約20kmは1里=3.93kmとしても全然六十里もない訳であるが、それでも昔は「それくらい長く感じる大変な峠道」と言う事実を距離で表した事が名前の由来らしいですね。
奥会津のお話は、後半戦に続く。
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