青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

駅の名は 歴史紐解く 玉手箱

2020年03月05日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(由緒謂れがありそうで@公文明駅)

長尾から電車に乗って僅か2分、すぐ隣の公文明駅で下車してみる。長尾線の旅は序盤から忙しないのだが、公文明と書いて「くもんみょう」と読ませる何とも歴史的に由緒のありそうな名前の駅ともなれば、下車しないわけにもいかないでしょう。この駅の所在地は香川県木田郡三木町大字井戸字公文明。「公文明」は駅の北側の小字のようです。律令制の時代、公文書を管理する役所を「公文所」と呼んでいましたが、そんなお役所が運営経費を賄うため持っていた田畑のことを「公文明(公文名)」と言ったそうです。この辺りにあった役所の畑から取られた名前って事なんですね。官僚の世界ではしきりに「公文書管理が!」というお話が出ている昨今ですが、関係者各位は公文書を明確に取り扱うべく、ここに来て気持ちを新たにしていただきたいもの。隠蔽と改竄はいけません。

駅の北側、文字通りの公文明地区にある神社。八宝荒神社という名前らしい。「公文明」の由来を聞いてその姿を見れば、この辺りに律令時代のお役所でもあったのかな、なんて想像をしてしまうのだけど。ちなみに「公文明(くもんみょう)」や「公文名(くもみょう)」の地名は意外にも全国にあり、やはり古い時代の役所に由来した地名なんだそうな。

公文明から井戸にかけては、讃岐の甘食山シリーズの一つである白山をバックに走る長尾線。少し埃っぽいような、乾いた風景。農家の長屋の裏に広がる小さな畑に、ちびた大根の葉が伸びています。小さなポンプ小屋の脇を長尾に向かう1200形。志度線同様20分間隔のダイヤなので、乗ったり降りたりするのに待ち時間が少なくて利便性は良いと思いますね。

学園通り~平木間にある新川の橋梁。レトロな石造り。なんか橋脚がハイカットのスニーカーのような特徴的な形をしている。橋台部分の広さから考えて、将来的に複線化出来るようにという含みを残した造りになっているのが興味深い。見た目ではビンテージ感ある橋なのでおそらく開業当時からのものかなと思われるのだが、前身の高松電気軌道が長尾まで電車を走らせたのが明治45年のこと。そんな時代から複線化を検討していたともちょっと思えず、そこらへんはどなたか教えて欲しい(笑)。

学園通りからは徒歩でそのまま平木駅に来てしまった。長尾線も駅間の距離は短い区間が多いので楽だ。平木駅は朝ラッシュ増発のための始発列車が設定されていて、増発用編成の留置線が相対式ホームの外側にあります。朝ラッシュが終わるとまた平木に戻って日中は昼寝し、夕ラッシュにも平木発の上り電車として参戦する車両です。

一応、学園通りと平木の駅周辺が三木町の中心部。駅前の自転車の数を見ればそれなりに利用者もいるようですが、土曜の昼下がりは人っ子一人いません。完全に高松市のベッドタウンのような位置づけの街なのだろうか。駅のホームで缶ジュースを飲みつつ電車を待っていると、線路沿いの大伽藍の向こうを通って築港行きがやって来ました。長尾線の旅は、少し茫洋とした掴みどころのなさが特徴ですね。雲の切れ間から射した光に長尾線のグリーンが輝きます。

さてさて、新川の鉄橋に複線化の痕跡があったことについて「誰か教えて!」と情報を募ったところ、Twitter上でフォロワーの方に情報を頂戴いたしましたのでご紹介したいと思います。

コメント失礼します。ブログ拝見しました。よく調べられましたね。新川橋梁の橋脚、将来の複線化準備の遺構と言えるもので、自分が過去に見た文献でも複線化計画があったとの記述がありました。実際長尾線沿いを走るとほぼ全線に複線化用地が残っています。開業当時は狭軌だったそうです。

ということで、やはり開業当時より将来の複線化計画を見越した線路の敷設が行われていたようです。


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