青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

20年前の夏

2018年08月17日 11時01分23秒 | 日常

(面影微かに@三条競馬場跡地)

そう言えば、先日越後線沿線に行った際に、東三条まで115の青髭を追っ掛けてったんだけど、その帰り道に何となーく見覚えのある景色を見たような気がして、よくよく思い返してみたらそれが三条競馬場の跡地でした。これはバックストレッチの向こう側から競馬場の跡地を見た風景。ポプラ並木のあるあたりが3コーナーだったと思う。信濃川と五十嵐川の合流点の河川敷にあった競馬場で、ザ・草競馬という雰囲気が日本一感じられる競馬場であった。三条競馬が廃止されたのは2001年(平成13年)だからもう17年の歳月が流れているのですが、新潟交通の全線廃止が1999年だからほぼ同時期か。2000年前後辺りは地方私鉄も地方競馬もバンバン廃止されていて、それはバブル崩壊後の世の中のリストラクチャリングが一斉に始まった時期でもあります。


かく言う私も開催中の三条競馬に行ったのは1回きり。平成10年7月20日らしい。新潟県競馬でも三条開催はとにかく開催日数が少なくて予定を合わせづらかった。兵庫県競馬の姫路開催みたいなもんか。行った日はアラブの重賞が組まれていたようです。「アラブの4歳5歳抽選馬限定重賞」って言われても今の若い競馬ファンには何言ってるんだかよく分からないんだろうなあ。アラブの補助馬とか抽選馬とか、ようはサラより売れないアラブ馬を「畜産振興のため」という名目で各地の馬主会が一括購入して、零細馬主に安く割り当てていたという制度ですよね。三条競馬で撮影した写真もあったと思うんだけど、度重なる引っ越しで資料が散逸してしまったのか実家にあるのか見当たらず…ジョッキーで言えば今でも笠松で頑張ってる向山牧を筆頭に榎、山田、大枝、長谷川。ベテランでは渡辺正治なんかも巧かったねえ。


遥か五頭連峰を望む競馬場の跡地(そーいやゴズレンポウなんて名前のアラブ馬もいましたな)。平成23年の福島・新潟豪雨(只見線が流されたヤツですね)によって大水害に見舞われた三条市街ですが、ここ三条競馬の跡地は「防災ステーション」として水防設備などの整備が進んでいるようです。競馬廃止後もスタンドは大井の場外として使ってたんだけど、老朽化で耐震の問題もあり解体されたそうな。三条のスタンドはなぜかコースに対して斜めに立っていて見づらかったし、穴場は地下で薄暗いし、でも真夏はクーラー利いてるのそこしかないから越後の馬券ジジイたちとダンゴムシのように地下の穴場に潜っていた記憶がある。スタンドが壊されているのと、走路も潰されているのであんまり痕跡がないんだけど、元パドックがあったと思しき場所には乗馬クラブがあって、辛うじてここが競馬場だった名残をとどめていました。

三条の思い出と言えば馬券とかよりも売店で売ってる「越後もち豚の串焼き(塩)」がめちゃんこ美味かったことよね。あれは競馬場グルメの中でもかなり上位に行く逸品であった。炭火でジュウジュウ焼いた豚バラ肉のカタマリを塩コショウで食うだけでなんであんなに美味かったのか、クソ暑かった三条の夏とともにあの味を思い出します。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あの頃をそのままに | トップ | 暁光鶴舞 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日常」カテゴリの最新記事