(ワニモニ。@大鰐温泉駅)
朝6時に大坊温泉保養センターを出て、やって来たのは大鰐温泉の駅。津軽の奥座敷と言われた大鰐温泉は、弘前藩の湯治場として栄えました。開湯800年の歴史を誇る津軽の名湯は、歴史ある雰囲気を持つ街並みで、2つの共同浴場を中心に大小の旅館で形成されています。もう一つ、大鰐町と言えば大正時代からスキーの街として有名で、街の南側にある阿闍羅(あじゃら)山の中腹には大きなスキー場(大鰐温泉スキー場)があります。私は正直存じ上げないのですが、毎年学生スキーの大会が開催されていて、町内からもスキーの名選手が数々輩出されているらしい。ちなみにバブル華やかなりし1980年代後半にスキー場を中心にしたリゾート振興に手を出した大鰐町、見事に開発に頓挫し財政再建団体にまで落ち込んだ苦い実績があります。
そんな街の名前を冠する弘南鉄道の大鰐線、その始発駅がここ大鰐駅。ご存じの通り、昨年末に2027年度いっぱいでの運行停止の決定がなされました。沿線自治体が作る弘南鉄道の活性化協議会も年明けにこれを受け入れていますので、もう後戻りのできないカウントダウンが始まっています。この日は夜明けから、そんな余命宣告がなされた大鰐線に寄り添ってみようと思います。昨日は暖かかったせいか、駅前の道を濡らした雪融けの水は、夜半の寒さでカチンコチンに凍り、思わず歩幅も小さくなる。JRの大鰐温泉駅の隣りにやや粗末な農具小屋のようなしつらえの大鰐駅。こちらはJRと異なり「温泉」の名前を付けませんが、その昔は弘南大鰐駅と呼ばれていましたね。弘前電気鉄道から弘南鉄道に営業権が移った際にそうなったらしいけど。朝の始発電車は6:50と少し遅め。以前は朝の6:20が始発だったから、減便して30分繰り下げられた。この日は月曜日、早くも弘前方面の高校に通う学生が一人、軋む引き戸を開けてホームに入って行った。
跨線橋の煤けた窓から覗く大鰐線の電車。明けて行く冬の空の下で佇む大鰐線は、弘南線と違って全車が東急7000の原形顔なのが嬉しい。まあ、それにしても雪が深いね。大鰐の街は、津軽平野から平川の谷がちょうど狭まってくる位置にあって、奥羽本線はここから碇ヶ関を経て矢立峠へ向かってさらに雪は深くなっていく。国鉄時代は、それこそ日中は特急や急行列車ばかりで奥羽本線にはほとんど普通列車が走りませんでしたから、大鰐線は奥羽本線から零れ落ちた津軽平野南部の羽州街道沿いの集落の移動需要を満たす形で、30分に1本の高頻度運転を近年まで続けていました。弘南鉄道、弘南線も大鰐線も平成18年まで朝は快速電車があったんですよね。2005年の時刻表で大鰐7:45発→中央弘前8:07着とある。普通電車が30分のところを22分だから、それなりに時短にはなっていたのだろうか。
雪に埋もれたような大鰐駅の構内。引き上げ線の位置には、いつもの冬ならキ105+ED221のコンビが常駐していたはずですが・・・姿は見えず。大鰐の朝2本目の編成が留置されていました。ED221の故障で、今シーズンの冬の排雪はキ105を使うことが出来ず、専ら除雪はJRから払い下げられたMCRに任されているのは前述した通り。駅から少し歩いて羽州街道に向かう道すがらの踏切に出てみた。始発列車の鐘の音、凍て付く温泉街に、朝の訪れを告げて。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます