青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ストーブも、客車列車もないけれど。

2024年06月27日 22時00分00秒 | 津軽鉄道

(津軽の第二のターミナル@JR五所川原駅)

新青森でレンタカーを借り出し、国道7号線を弘前方面へ。そのまま弘前へ向かっても良かったのだけど、大釈迦峠を越えて国道を右に折れる。津軽平野を西に走ること30分ほど、津軽第二の都市・五所川原駅前へ。JR五能線の五所川原駅、平屋建てで横に長い駅舎は、最近の不動産賃貸業と化したエキナカビジネスを中心とした駅の作りとは一線を画した昭和のそれであった。五所川原市は津軽半島の付け根に位置する人口5万人程度の都市ですが、青森のねぶた祭りを超えるとも言われる立佞武多(たちねぷた)や津軽三味線、太宰治の故郷である金木の街や、春は桜の芦野公園、そして冬の地吹雪などで観光的にも非常に有名な都市でもあります。

そして、五所川原と言えば何と言っても「ストーブ列車」の津軽鉄道。津軽鉄道は、ここ津軽五所川原駅から津軽中里まで約20kmを走る本州最北の民鉄。津鉄の津軽五所川原駅はJRの駅舎に向かって左側に建っており、決して新しいとは思えない五所川原駅に比べても、遥かにレトロ度合いが高い。ちょうど津軽中里からの上り列車が到着したらしく、みのもんた風に言うところの津軽のお嬢様(笑)が駅舎から出て来て立ち話。女性三人寄れば姦しいと申します。何を言っているのかは全く分からなかったが、迫力ある津軽弁である。五能線は「リゾートあすなろ」なんかで完乗しているのだけど、津軽鉄道はロストしたままそのまんまになってしまっていたんですよねえ・・・と言う訳で、地方私鉄探訪の一環として津鉄に乗りに五所川原まで来たんですが、本来だったらやはり冬に来るべき場所なのでしょうね。「お前なあ、なんでこんな季節に来るんだよ。ストーブ列車でスルメ焼いて、燗酒をチビチビと呷って、地吹雪に吹かれてシバれる思いをしないで、津軽鉄道の何が分かるというのだ!」と言われたらぐうの音も出ない。残念ながら季節は真逆の初夏。しかもこの日の津軽地方、雨こそ降らなかったものの梅雨入り直前のムワムワとしたガス晴れで、額にはうっすらと汗がにじむほどの陽気なのであった。

JRは五所川原駅。津鉄は「津軽」五所川原駅。津軽鉄道、あまりにも冬場の「ストーブ列車」が有名過ぎて、夏場には何をしているのか全く知らなかったのだが、夏は風鈴列車、秋は鈴虫列車なるものをやっているらしい。正直、それにどこまでの観光客の誘因効果があるのかは分からないのだけど。改札口の上にはたいそう年代物の時刻表が掲げられているのだが、「令和五年四月一日改正」とあるように普通に現役で使用されているのだから恐れ入る。この手の時刻表、まだ書き手の人がいるのだなあ・・・ということに感心するのと、同時にタテ列の数に比べると本数の少なさが侘しくもある。手元にあった1988年当時の時刻表をめくってみると、当時は津軽五所川原~津軽中里に23~24往復の列車が走っていて、この時刻表いっぱいに黒々と文字が並んでいたんだろうな。1988年と言えば青函トンネルが開通した年でもあり、津軽地方が一番脚光を浴びた時期でもあるのですけど・・・

ホームへ向かう古びた跨線橋。津軽鉄道は、広い五所川原の構内の東の端から出発していて、長い跨線橋からホームに止まっているオレンジ色の気動車が見えます。以前は、国鉄払い下げのキハ22などの耐寒耐雪車両で運行されていましたが、現在では新潟鐵工所製のNDCである津軽21形に統一されている。いわゆる「非電化三セク」でよく見る新潟鐵工所のNDCシリーズですが、この津軽21-105は2000年に投入された最新型ですね。とはいえ2000年ですから、もうデビューから四半世紀が経過しているのですが。ホームでは、運転士氏と、車内での観光案内やグッズ販売を担うアテンダントさんが、跨線橋を降りて来る乗客たちを温かく迎えておりました。

津鉄の津軽五所川原駅は、機関区を備えた文字通りのターミナルでありますが、機関区で休む現役の気動車たちに混じって、側線には廃車となって打ち捨てられた車両が大量に放置されています。昔の地方私鉄の車庫なんて、どこでも廃車体がそのまま側線に押し込められて倉庫代わりに使われていたりすることは珍しくもありませんが、最近はそういう「骨董品」探しの出来るトワイライトゾーン的な案件も珍しいですよね。昔は、五所川原市内をはじめ沿線の高校へ大量の学生たちを一気に輸送する必要があったことから、朝のラッシュ時や下校時は収容力の大きい客車による通学列車が運行されていました。厳しい冬の寒さの中を走る津鉄の客車列車、機関車に暖気注入(SG)の装置があれば、客車へ暖気を送り込んで車内を温めることが出来るのですが、津鉄の機関車はSGの装置を備えていません。そこで、冬場の暖を取るために車内に据え付けられたのが、石炭を使ったダルマストーブ=ストーブ列車。屋根の上にちょこんとT字型の煙突を乗せた、そんなストーブ列車の廃車体を見ながら、津鉄のキハは津軽五所川原の駅を発車するのでありました。


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