(満身創痍@タキ1900)
三岐のセメント輸送を支える貨車であるタキ1900。高度経済成長期から、日本の国土全体で旺盛となったセメント需要を支えるため、全国津々浦々のサイロへセメントを届けて来ました。東京オリンピックの年である1964年から製造が開始され、全盛時には約1700両余を数えたセメント貨車の一大スタンダードでしたが、度重なるセメント企業の合併と貨物の合理化で、今やここ東藤原が最後の砦。車体に浮き出た錆と、こびりついたセメント粉の染みは長年の輸送に従事した古強者の刀傷か。満身創痍のその体に、セメント輸送の行く末を見る。
全盛期は、秩父・小野田・日本セメント・日立・三菱マテリアル・住友・デンカ・明星etc・・・とセメント輸送に鉄道貨物を使っていた企業はあまたありましたが、現在所有するのは秩父・小野田・日セメの合併企業である太平洋セメントのみ。関東なんかだと隅田川の貨物駅とか、秩父方面から出荷されたセメントが集まって来る八王子の駅の側線なんかに、この派手さのかけらもない武骨な黒い貨車がゴロゴロとしていたものです。いかにも貨車らしいベッテンドルフ式の台車もまた味わい深いですが、一昔前の貨車だからそんなにスピードも出せませんで、制限75km/hとか付いてるんじゃなかったっけかな。本来であればスピードの出せない旧態依然とした貨車など旅客列車のスピードアップの障害にしかならないので、目の敵にされがち。ただ、JRの走行区間が短い(富田~四日市間)のと、そこまでダイヤが密でもない関西本線なので、何とかなっちゃってる感じでしょうか。
このタキ1900、確か秩父鉄道がセメントの貨車輸送をやめた時に(平成20年くらいだったかな)、武州原谷の側線で大量に放置されていたのを見た事があります。話によると、その中でも程度のいいヤツは三岐に送られたらしいのですが(グループ会社だからね)、さすがに最近は老朽化が目立つ個体が多く、交番検査で川崎の検査場に送り込まれても、検査が通らない事もあるようです。正直、後継のセメント輸送用の貨車の開発が急務だと思われるのですが、そもそもそこまでの設備投資をするのか?というね。そこがクリアされない限り、タキ1900の残存機数と寿命が即ちセメント輸送の寿命となるのではないかと思われます。40t×16両と一発で640tのセメントを輸送出来る効率は無視出来ませんが、東海環状道も大安まで伸びて来ているとなれば、トラック転換というシナリオは迫っているのではないかと・・・だから今回、三岐に撮りに来たってのはあるよね。
よくよく見ると、タンクの側面の「太平洋セメント」の銘板の位置が貨車ごとに違ったり、タンクの支柱があったりなかったり、さすがに1700両も作られた大所帯だけに製造時期ごとの違いがあったりするようです。ちなみに、現在のタキ1900、両数としてはどんくらい残ってるんですかねえ・・・。
タキ1900などのセメントタキ、ひと昔、いやふた昔前かな・・・までは、あちらこちらで当たり前のように見られましたね。
大糸線のキハ目当てに北陸方面に向かったときは「デンカ」のいかついロゴマークのついた黒光りするタキを見かけて、鐵っちゃんならではの旅情を感じたり(;^ω^)
お写真拝見すると、ボディにだいぶ歴戦の傷跡を感じますね。
確かに去就が案じられるところです。まだ静かなうちにゆっくり訪問するのが吉ですね。
北陸地区のセメントと言えば、青海から供給されるデンカセメントでしたね。
昔の化成品タキや専貨の貨車は「常備駅」ってのがありましたけど、根岸駅や郡山駅なんかは分かっても、安治川口・浜五井駅・奥野谷浜駅・二本木駅・武州原谷駅・・・なんて書かれていると「いったいどこなんだ?」と子供心に思っていたものです(笑)。