青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

もう来ることはない街へ

2018年03月19日 21時53分10秒 | 日常

(最寄り駅@千葉県東葛地方の片隅で)

全くもってワタクシゴトになってしまうのですが、昨年祖父母がそれぞれ90歳も半ばという年齢で相次いで亡くなりまして。まあ年齢だけ見れば大往生という事だったのですけどね。んで、その祖父母は年老いて施設に入るまでは千葉のとある街で暮らしていたのですけども、主を亡くした家をどうするのか…と親の方で考えた結果、解体してしまうという事になったらしい。という事で、この週末最後の思い出を確認しに、家族を連れて千葉の東葛地方の片隅まで行って参りました。祖父母の家の最寄りの駅を降りるのも正直何年振りか…?


取り壊される家のありようは心の中に置いておくとして、小さい頃に自分と関わりのあった街の姿を改めて眺めてみる。変わってねえなあなんて思って眺めていたのですが、やっぱりあの頃あの時の店はなくなっているし、子供の姿も少ないし…昭和40年代に開発されたいわゆる高度経済成長時代の住宅街なのですが、さすがに開発されてから50年を経ると、開発当時に入ってきた世代はとっくにリタイア。その子供たちは出て行ってしまうという昭和のニュータウン的悪循環によって、街が古びて高齢化している印象は受けましたね。


昼時だったので、元気だった頃のじーちゃんばーちゃんと一緒によく食べに行ったラーメン屋を訪ねた。手打ち麺の味のいいのと盛りのいいので人気の、いかにもな街のラーメン屋。何となく活気を失ってしまった街の中で、ここの店だけが満員で活気があった。近所に中華系のファミレスが出来ても、根強いファンに支えられて生きているようだ。ちょいとコワモテ気味のヒゲのおっちゃんだった店主が白髪になっていて、やっぱり時が流れてしまったことを痛感するのだが、豪快に炎を上げて中華鍋を振る姿は変わらず元気そうで何よりです。


じーちゃんはここに来るといっつもタンメンを頼んでいたように思う。基本的には食べ物について美味いのまずいのというこだわりがなく、逆に決まったものしか食べないというのがこだわりになっているような人であった。ここのタンメンはタケノコとかヤングコーンとか入ってて普通の店のタンメンより具沢山なんだよな。個人的には味噌バターコーンラーメンが好きだったんだけど(子供舌)、一応じーちゃんリスペクトという事でタンメンを頼ませていただきました(笑)。手打ちのモチモチとした太麺に塩味スープ、美味しゅうございました。


じーちゃんの家は線路の近くにあったんで、夏休みや冬休みに預けられている間はよく線路っぱたに行っては電車を眺めていたものだ。その頃の主力はもちろん103系だったんだけど、日中が1時間に1本くらいだったんで、出かけるときは電車の時刻をよく確認しないと駅でとんでもなく待たされたんだよなあ。今は30分ヘッドだからだいぶマシになったと思う。正月になると、DD51やEF58が牽引した12系客車の初詣臨とかが走ってたんだけど、その時に1枚ぐらい写真撮っとけば良かったよなあ。


思い出の詰まった家がなくなってしまうこと、その結論自体は異論を挟む余地もないし、まあ住む人もいないし、しょうがないよね。という事で割り切ってはいるのだけれど、それでも子供の頃からじいちゃんばあちゃんを頼っては遊びに行っていた場所だから、一抹の寂しさというものはありますね。たぶん、おそらく、もう来ることもないであろう街を後に緑色の電車に乗り込むと、電車から見えるあの家が、車窓に流れて消えて行きました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする