goo blog サービス終了のお知らせ 

青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

チチブ・ヤマノススメ。

2022年02月11日 10時00分00秒 | 秩父鉄道

(ある冬の日、ヤマに向かいて@秩父太平洋セメント三輪鉱業所)

ある冬の日。影森の駅を降り、路地裏を抜けて広いヤードを渡る。朝の一便が撒いて行ったのか、踏切道に落ちた砂をジャリジャリと踏みながら、踏切の真ん中で山に向かって深呼吸。 ピリッと冷えた空気に耳を澄ませば、ピョ!というデキの短笛。久々に聞いたカマの息遣いに心躍らせ、ヤマに向かう足も弾む清々しい朝。 山の陰に当たる札所巡りの遍路道をゆるゆると歩けば、やがて道に寄り添う引き込み線。レールのカーブに合わせて左へ左へと山を分け入れば、そこが秩父太平洋セメントの三輪鉱山。時間はちょうど朝の2便目の積み込み時間。ホッパをガラガラと流れる石灰石の音。久し振りだけど、いつもの三輪の光景です。

連結を済ませ、ホッパからゆっくりとヲキを牽き出して行くのはデキ105。昨年の秋に、現行色(セルリアンブルーに白帯)になる前の、かつての秩父鉄道の機関車色(茶系ぶどう色)となりました。撮りに行きたいなあ・・・と思いつつ叶わないでいたのですが、ようやく対面する事が出来ました。三輪発車前の入念かつ慎重なブレーキ試験。シュー、シューとホースの中をエアーが行き来する音が、静かな構内に流れて。

貨車と積載する鉱石を合わせて約1000トンの鉱石列車7204レ。その先頭を取る姿も勇ましく。三輪の鉱山は北向きの線路なので終日逆光、そして自分が好む両パン時期は太陽が低く、どうしても三輪の発車はド逆光になってしまう。上手く太陽光線を立ち木でフィルタリングしつつ、デキ105のサイドを強めに。ルーバーの細やかな羽根が朝日に輝いて・・・

重厚なツリカケ音とともに、2軸の貨車らしいダンダン、ダンダン、ダンダン・・・という特徴のあるジョイントのサウンドを奏でながらヤマを下りる鉱石貨。カーブの先へその姿が消えるまで、夢中でシャッターを切る。ハニワ顔のヲキフが見えなくなり、貨車の音がだんだんと遠ざかると、三輪の山に慎ましやかな静寂が戻ります。暫くすると、冬木立を揺らす風に乗って、影森の駅を出る105のホイッスルが聞こえて来た。秩父の貨物の醍醐味は、バリエーション豊かなカマだけでなく、彼らの息遣いと音を楽しむことにもあると思う。五感を研ぎ澄まし、愛で、聴き、感じるのが、秩父のヤマのススメなのであります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらば、雲上の古強者

2020年10月31日 17時00分00秒 | 秩父鉄道

(お初にお目に掛った頃@武川駅)

現在も私鉄の貨物輸送の雄として活躍を続ける秩父鉄道の電気機関車たち。その中でも最古参のデキ108ですが、この度引退することとなったそうで、秩父鉄道の公式HPから発表がありました。元々は岩手県は八幡平の麓、松尾鉱業鉄道という鉄道会社で活躍していた機関車。独特の形状のヒサシを前面窓に付け、軸梁のどっしりとした台車を履いた古風なスタイルで人気を集めていたカマです。私なんかは一年に1~2回程度撮りに行く程度のライトな秩鉄ファンですが、それでも行くたびにこのカマが動いていれば、撮りモノの中心としてカメラを向けていたものです。写真はデキ108にお初にお目に掛った頃。今は灰色の窓枠ゴムが黒かった。

かつては雲上の楽園と言われた鉱山都市を形成し、八幡平南麓に広がる鉱床から採掘された硫黄で隆盛を極めた松尾鉱山。同鉄道の廃線後、秩父鉄道に移籍して来たのがデキ107・108の2機。輸送するものは硫黄から石灰石・セメントに変わったものの、長きに亘って地域の産業を支え続けて来ました。僚機のデキ107は2年前に引退し、最後の松尾組として輝きを放ち続けたデキ108も今年で御年69歳。卒寿を前にしての引退となります。

いつぞやのカットか、武川で憩う松尾兄弟。松尾鉱山の閉山は、硫黄の生産が石油から生成される安価な脱硫硫黄に取って代わられた事が原因でした。エネルギー政策の転換により、昭和40年代にあっという間に閉山に追い込まれたため、このカマが松尾鉱業で過ごした時間は僅か20年弱。既に秩父で過ごした時間の方がよっぽど長くなってしまったのでありますが・・・この兄弟の特徴であった独特の庇は、EF15やEF16のつらら切りを想起させるような、いかにも雪国からやって来たカマらしい装備でもありました。そしてそれは、自分の出自を忘れんがための彼らのアイデンティティのようにも思えます。

武州の西日に照らされて、桜沢の駅で発車を待つ古豪。歴戦の長い道程を歩み続けた面構えには、神々しささえ感じます。ちなみに、現在の秩父鉄道の機関車の標準色となっているこのブルーと白いラインは、松尾時代の彼らが身に纏っていたデザインを取り入れたもの。秩鉄入線の際、当時使われていた茶色の塗装に一旦は塗り替えられたそうなのですが、松尾時代のカラーリングが秩父鉄道の本社のお偉いさんの目に留まったのか、秩父のカマの標準色が逆に松尾カラーになってしまったのだとか。そんな逸話を聞くにつけ、秩父鉄道に大きな影響を与えた機関車だった事は間違いありません。

鉱石を牽いて晩秋の波久礼ストレートを行く。今後のデキ108は、11月3日に三峰口にて開催されるイベントで展示され、それ以降は通常の貨物運用に就くことなく12月に引退を迎えるという事のようです。昨今は「引退」と言ってしまうと、有象無象の撮り鉄で沿線は大騒ぎになってしまうので、通常運用を外すのはトラブル回避のためには仕方ないのでしょうね。先日熊谷貨物ターミナルで行われたイベントでの松尾装飾や、三ケ尻線最終甲種での東武リバティ牽引なども含めて、今思えば人知れず花道は敷かれていたのでしょう。そう思えば、愛ある秩父鉄道の対応でした。最後の雄姿を見に行けるかどうか分からないけど、長らくの活躍にお疲れさまでした、と言うほかはありません。

雲上の鉱山都市の生き証人がまた一人、表舞台を去ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西日の当たる部屋

2020年04月23日 17時00分00秒 | 秩父鉄道

(西日の当たる部屋@波久礼駅)

電車待ちのひととき、ガラス窓からのぞき込む駅の窓口。既に駅員さんの勤務時間は終わっていたようで、カーテンの閉ざされた部屋には、冬の日差しが射し込んでいました。壁に掲げられた安全綱領、昭和的な事務机に乗った有線の緑電話、ノートパソコンだけが場違いですが、傾きかけた光に淡く染まった部屋は、言うなれば郷愁の坩堝。訪れるたびに、 いつも新しい懐かしさがあるのが、この鉄道の魅力なのかなと思います。

駅務室の袖机に置かれているスタンプたち。秩父鉄道は、今でこそ自動券売機の導入が進んでいるけれども、10年前くらいまではだいたいどこの駅でも硬券のきっぷを扱っていたような記憶がある。そして、回数券や定期券は厚紙に駅名をシャチハタで捺す古風なスタイルを今も続けています。寄居の隣駅だけあって、東上経由・八高経由のスタンプは、連絡きっぷや定期券などには定番の押印でしょうね。SuicaやPASMOを未だ寄せ付けぬ古風な運賃の収受方式。使い込まれたスタンプの木目に、長く刻まれた駅の歴史を見る思い。

以前は駅員が常駐していた記憶があるのだけど、合理化が進んでいるのか、最近は駅員の勤務時間は短縮されているようです。島式ホームと本屋は構内踏切で結ばれており、本線の外側に長い副本線を持っていて、貨物列車の退避が頻繁に行われています。関東平野の西の外れに慎ましやかに佇む波久礼の駅、何となく惹かれて立ち寄ってしまう場所です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつまでも 若手と呼べぬ 歳だけど

2020年04月18日 15時00分00秒 | 秩父鉄道

(秩父の青空@野上~樋口間)

秩父の電機の中でも最若番となるデキ507が、冬の青空の下、野上のストレートを行く。最若番と言えども1980年(昭和55年)製造で、車齢で言ったらもう40歳にもなるんですね。最若手で40歳ってのがなんだか田舎の商工会青年部っぽいのでありますが、ようは秩父ではこれ以降新しい機関車が作られていない訳で、今後新造機関車の投入とかってあるんですかね?という若干の疑問が。同じ1980年生まれの鉄道車両と言えば、現在同僚として走っている東急の8590系が同い年に当たりますが、そう考えると8590って見た目若いなあ・・・(笑)。東急車輌のステンレスはなかなか歳を取りませんな。

武州原谷で鉱石を積み込んで、デキ507が三ヶ尻行きの7206レで戻って来ました。ゆっくりと樋口の副本線に進入するデキ507、通風孔が残照に輝きます。そう言えば、扇町~三ヶ尻の石炭輸送が廃止された余波で、熊谷貨物ターミナル~三ヶ尻間の廃止(2020年9月30日付)が先日プレスリリースされていましたね。石炭輸送以外にも、東武鉄道や日比谷線の車両の新造に伴う甲種輸送のルートでもあったんですが、ひとまず日比谷線の車両置き換え(03系→13000系)に伴う甲種が完了したことでの区切りとなったようです。

プレスリリースには、三ヶ尻線の廃止理由として「同区間は今後これら(石炭輸送)に代わる貨物輸送が見込めず、また、経年による設備の老朽化等による設備更新費用として多額の支出が見込まれます。以上により、事業(路線)の採算性から総合的に判断し、廃止を決定いたしました。」とあります。かつては寄居や熊谷から全国に向かってセメントを中心とした関連製品が出荷され、京浜工業地帯からは国鉄経由で貨車を連ねてセメント工場で使われる燃料や資材が搬入されていたのですが、もう出荷するものもないし、受け入れるものもないよ、という事でしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉱山鉄道の行方

2020年04月08日 17時00分00秒 | 秩父鉄道

(白いダイヤを牽き出して@三輪線)

デキが登坂で砂箱から砂を大量に撒くせいか、やたらジャリジャリしている三輪線のレール周り。定番構図の湯ノ澤橋から、ヤマで積み込みを終えたデキ108の牽き出しを撮影します。そう言えば、最近はこの奥にある鉱山関連施設(三輪鉱業所)のマニアによる撮影に関しての是非みたいなものが盛んにネット上で喧伝されておりますね。そこそこ前から何度も撮影をさせていただいた場所でもあるので、撮禁ということであればそれは残念な話ではあります。先日の訪問時は、具体的に撮影を禁止するような立て看板や職員の方からの警告のようなものはなかったんですけどね。

三輪の鉱山と三輪線をどう考えるか。確かに、現役の鉱山と言う保安体制の厳重な施設(爆薬とか扱っているわけですし)について、セキュリティの観点から撮影禁止とする事も理解は出来ます。日本だから結構ユルい規制しかかかってないですけど、海外であれば鉱山って軍事施設と同義ぐらいの考えのところもあるみたいですから・・・鉄道趣味界隈も、撮るモノなくなって煮詰まってる割に人数だけはどんどん増えてるんで、スキモノしか来ないはずだった三輪線もジワジワ人が増えてるんですよね。マニアの良識のあるなしにかかわらず、量の増加は質の低下なので、無用なトラブルを避けたいという思惑もあるのでしょう。逆に最近まで構内に入らなければ撮影を特に咎められることもなかったというのは、とても幸せな事だったのかもしれませんが。

影森の駅付近から、仰ぎ見る武甲の山。この町は、昭和電工の秩父工場と、太平洋セメント三輪鉱業所を抱える鉱工業の町。しかしながら世相がこうなって来ると、撮影出来るか出来ないかよりも心配なのが、このコロナ禍が過ぎた後の経済状況ですよね。オリンピック以降のハコモノ需要の減退によって間違いなくセメント関連製品の落ち込みは想定していたと思いますが、コロナ関連の景気の打撃がどこまで波及するかは正直想像も付かない。そうなると、セメントの生産調整と合理化の一環で三輪からの積み出しがなくなって、原谷~三ヶ尻だけが残る・・・なんて事にならなけりゃいいんだけど。荷主が「やめる」といえばすぐ終わってしまうのが専貨の宿命。地元の方が言うには、もともと武甲山は自然保護の観点からも環境アセスが厳しく、採掘する余地もあまりないんだそうで。三輪鉱山の行く末とともに、この光景が見られるのもいつまでかなあ・・・なんて思ってしまいますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする