「私の名前はジュリアン・ポール・アサンジです」それで、ウィキリークスの創設者は、彼の法廷闘争の最新の、そしておそらく最後の、並外れた章が始まって以来、集まったジャーナリストや支持者が彼から聞いた最初の言葉を発した。サイパン海岸の緑豊かな丘陵の麓にある木製パネル張りの裁判所で、アサンジは、オーストラリアにいる家族と再会できる取引で、アメリカ諜報法違反の罪を認める3時間の審理を待っていた。真っ青な空の下、法廷に入ると、アサンジは、群がるマスコミから何の質問も受けなかった - その多くが、北マリアナ諸島の、40,000人の人口を抱える、この辺境のアメリカ前哨基地に、何千マイルも飛んできたのだ。ある人は、ロンドンよりもサイパンの気候が好きかどうか尋ねました。裁判長のラモナ・V・マングロナが開廷した。彼女は、法廷が異常に満員だったことを指摘し、アサンジに、彼が何をしたのか、なぜ有罪を認めたのかを確認するよう求めた・・・・何だったっけこの事件?ウィキリークスとウィキペディアが同じだと思ってたくらいのネット頓珍漢だから詳しいことは知らないんだけど、魂を売って自由を獲得したってことかいな。まぁ、自由に勝るものはないと言われたらそれまでだけど、言いたいこと、言いたかったこと、墓まで持って行くのかなぁ。それでも地球は回るって言うからなぁ。
国民によって代表として議員になった者が
国民の税金によって
生活を成り立たしている者が
国民に言ってはいけないという
法律を作るっていうのもナンだなぁ
国民の知る権利っていうのは
無きにしも非ずくらいなもんかね
国家の存亡にかかわると言っても
国家を作っているのは国民なんだから
アサンジもそう思ったんだろうな
まぁオーストラリアでゆっくりして
とりあえずアサン爺になるだろうけど
ジャーナリズムは死なずだよね