映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「札幌学」 岩中祥史

2009年03月14日 | 本(解説)
札幌学 (新潮文庫)
岩中 祥史
新潮社

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この著者は、「出身県でわかる人の性格」などという本を書いていますね。
知られざる札幌と札幌人の正体とは!
さて、札幌の地元に住んでいる身として、この本はどうなのか。
多分に興味を持って読んでみました。

まずは札幌人の分析ですが…、
まあ、札幌人というよりは北海道人といってもいいですね。
北海道は大変歴史が浅く、住んでいる人も日本各地から集まった人々です。
それぞれの、風俗・習慣、言語・文化、信仰など、
多種多様であったはずですが、
これにこだわっていると事が成り立たなくなってしまう。
ひとたび、それぞれに当たり前と思ってきたことを、捨て去る必要があった、と。
それで、「北海道流」、「札幌流」のやり方が生まれたといいます。

それはどういうことかというと、つまり人のしがらみに縛られない。
どこかのんびりしていて、
他人を押しのけてでも何かをしようという気持ちに欠ける、
と著者は言っておりますね。
自由、開放的、大陸的。
…といえば聞こえはいいですが、大雑把、無頓着ともいえます。

しかしまあ、私など生まれたときからこちらに住んでいるので、
これで当たり前と思っておりまして、
この本で指摘されて始めて、「ああ、そうなのか・・・」と認識するしだいです。

私は、冬になるとつくづく思うことがあるのです。
それは、よくも、うちのご先祖は
(といってもせいぜい私の祖父母なんですが)
物好きにもこんな寒いところに移り住んできたもんだなあ・・・と。
多分、「北海道は土地がたくさんあって、自由だ」・・・とか何とか、
だまされて渡ってきたのでは・・・?
などと推測するのですが。
うちの祖父母の出身は岩手・山形なので、
まあ、もともと暖かいところではないですけどね。

そんな風に、目新しいものに興味を持ってすぐ飛びつく。
そんな人たちが集まった土地であるわけです。
・・・だから、札幌は何でも流行の最先端を行くそうですが、納得できますね。

著者があげた、札幌のここが変。
◆通夜は最初から最後までいるのがルール。
 途中退席はなし。
 香典を出すとすぐに香典返しの品が渡され、
 その後、包んだ金額の半返しで品物が送られるなんていうことはない。
◆おせち料理は、大晦日から食べる。
◆結婚式は会費制。大金をお祝いに包むなんてことはなし。
◆50キロ制限の道道を堂々80キロで疾駆。(これは実は観光客に多い)
◆人目をあまり気にしない・・・という気質から、離婚率が高い?
すみません・・・すべて本当です。

しかし、文中、それは嘘だよ~、という部分もありました。
それは、

この地の人たちには、「結婚」そのものに緊張感というか、
人生の一大事といった感覚がほとんどない。
・・・「今度結婚するから」
「娘さんと一緒になりたいので、よろしくお願いします」
といった電話一本で済ませてしまう。
・・・いわれた親のほうも、「あっ、そう」で終り。

いくら北海道でも、こんなことは普通ではありません!!
すすきのとか、よほど特殊な場で仕入れたネタなんじゃないでしょうか。
まともに生活している方々なら、
絶対にこんなことはないので、
くれぐれも、「楽そうだから北海道の女性と結婚しよう」
などと思いませんように。

それから、著者の指摘で、考えさせられたのは、
北海道の人は官への依存度が高いということ。
北海道の開拓自体、官主導で行われたわけで、
だから、自分たちは何もしなくてもお上がナントカしてくれる、
そういう意識が強いというのです。
これは私自身、あまり感じたことがなかったので、
これからはちょっと頭のスミに置いて、
いろいろなことを見聞きしてみたいと思いました。

この本には、もちろん札幌の良いところもたくさん紹介されているので、
興味のある方はぜひ読んでみてください。

札幌に赴任してくる人は2度泣く、といわれています。
一度目は赴任が決まったとき。
あんな辺鄙で寒い土地に…と、すっかり気分左遷。
泣く泣くやって来るわけです。
そして、二度目は、札幌から離れる時。
こんないいところを去るのはつらい、離れたくない・・・と。

北海道の他の地はともかく、
札幌は自然に恵まれていながら適度に都会なので、
実際すみやすいと思いますよ。
私も、冬はいやだといいつつも、
だからといって、老後は暖かいところに移住しようなどとは全く思いません。

札幌の自慢は6月。
若葉と花々に彩られ、梅雨のないさわやかな初夏。
まあ、ぜひ一度は来てみてくださいませ。

満足度★★★★☆


シャレード

2009年03月13日 | オードリー・ヘップバーン
シャレード [DVD]

ファーストトレーディング

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信じられるのは誰・・・?

                  * * * * * * *

スキーのバカンスからレジーナ(オードリー・ヘップバーン)が
パリの自宅に戻ってみると、家は家具もなく、すっかりもぬけの殻。
おまけに夫が殺害され、発見されたと警察からの知らせが・・・。

夫の葬儀に現れた怪しげな三人の男。
実は夫は戦時中この男たちと共謀し、25万ドルを隠匿。
戦後山分けをすることになっていたのですが、
この夫が裏切ったために殺されたらしいのです。
しかし、その25万ドルの行方は分からないまま。
そこで男たちは、
レギーナが25万ドルを持っているとにらんで襲いかかろうとする。
レギーナは、スキー場で知り合ったジョシュア(ケーリー・グラント)の助けを借りるのですが・・・。

「シャレード」は映画音楽でも有名な、サスペンス×コメディ×ロマンスの名作。
好ましいと思えたジョシュアというのは実は偽名で、
彼はレギーナをだましていたということが分かってくるんですね。
一体誰が真実を言っているのか、
信じられるのは誰なのか。
そういうところが山場となっています。

そして、25万ドルは一体どこへ消えたのか・・・。

これにはちゃんとヒントもあったんですが、気づきませんねー。
なかなかおいしいミステリです。
そして最後の最後にある、またとんでもないサプライズ。
作り方によっては、もっとハラハラと怖い話にもなったと思いますが、
ここではコメディータッチで、軽妙さを楽しむ作品となっています。

ここに出てくるオードリーは、ちょっと天然っぽいところがあってかわいい。
亡くなった夫とは離婚を考えていた矢先だったのですが、
警官に、夫の何を聞かれても”I don’t know”
こんなに何も知らないで、一体どうやって知り合って結婚したのだか、
全くの謎ですが、
何しろ夫は出てくるなり死体ですから・・・。
夫は、逃亡のための隠れ蓑として、
オトリの彼女と電撃結婚をしたのでしょう・・・(多分)。

この映画の彼女のファッションが飛び切りステキです。
鮮やかな色のコートも、なんて彼女に似合っているんでしょう。
この映画の舞台はパリですから、多分ファッションにもかなり気を使って撮影されたものと思います。

1963年/アメリカ
監督:スタンリー・ドーネン
出演:オードリー・ヘップバーン、ケーリー・グラント、ウォルター・マッソー、ジェームズ・コバーン


暗くなるまで待って

2009年03月12日 | オードリー・ヘップバーン
暗くなるまで待って [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ

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唯一残されていた明かり                    

                * * * * * * *

これはブロードウェイ舞台劇の映画化です。
スージーの住む家の中のシーンがほとんどなので、
舞台劇、というのは容易に想像がつきます。

オードリーの演じるスージーは盲目の女性。
夫マイクと共に住んでいます。
ある日夫が旅行中、
飛行機の中で知り合った女性から人形を預かる。
ところがそれは麻薬が仕込まれた人形。
その人形を取り戻すために、悪党たちが家に侵入してくるのです。
おりしも夫は留守。
さっさと人形を返してしまえばいい訳なのですが、
その人形がなぜか見つからない。
この危機をスージーはいかに乗り切るのか・・・。

この作品は私が中学校の頃TVで見たのだと思います。
あの、淀川長治さんの日曜洋画劇場ですね。
その解説でなぜか覚えているところがあるのですが、
それが、
「男たちの動きを封じようと、彼女は部屋中の電気を消すんですね。
盲目の彼女は明かりがなくても平気。
さあ、思いつく明かりはすべて消しました。
ところが、たった一つ、消してなかったところがあるんですね。
それがなんと冷蔵庫。
盲点ですね~。
冷蔵庫の扉を開けると、うす青い明かりが部屋を照らすんです。
すっかり見えてしまっているんですね。
怖いですね~。」
・・・・というような感じ。
おお、その記憶の正しさをこのたび確認しました。

か弱い盲目の女性が1人、3人の悪党たちと対峙するのです。
彼らは初め巧みに彼女をだまして、人形のありかを口にさせようとする。
こんな女性をだますのはわけもないと思っているのですね。
ところが、彼女は盲目ゆえに人並み以上に気配に敏感で鋭いのです。
見えないのをいいことに、
彼らは彼女のいるそばで、
部屋のブラインドを開け閉めして外の仲間に合図を送ったり、
階段の手すりを拭いて指紋を消したりするのですが、
彼女にはすべてわかっている。

「あの人たちはどうして、何度もブラインドを開け閉めしていたのでしょう・・・。」
「部屋が汚れているんでしょうか。あの人は階段の手すりを拭いていました・・・。」

頭の良いスージーが、次第に彼らの嘘を追い詰めていくんですね。
しかし、ついに彼らは逆切れして・・・!

まあ、今時の映画からするとスリル・サスペンス度はそこそこですが、
悪党の1人は結構憎めない奴だったりして、
なかなかの人間ドラマでもあります。
また、この家に出入りしてスージーの手助けをしている少女、
グローリアの存在も重要です。
初め、スージーはこの子を苦手に思っているんです。
どうも、意地悪をされているような気がする。
けれど、この子のために事件はおこり、この子のために事件は収まる、
そうもいえますね。
彼女の真っ赤なセーターが印象的。

1967年/アメリカ/
監督:テレンス・ヤング、
出演:オードリー・ヘップバーン、エフレム・ジンバリスト・ジュニア、アラン・アーキン、リチャード・クレンナ


始発駅と終着駅が同じ銀河鉄道

2009年03月11日 | インターバル
先日、知人の娘さんが亡くなりました。
22歳。
全く普段通りご家族で生活していた中での、突然死だったそうです。
葬儀の遺影は、おそらく成人式の時のものなのでしょう、
晴れ着をきた娘さんが、花のように微笑んでいる。

このように若い方の死というのはなんと切ないのでしょう。
高校生らしき弟さんが泣きじゃくっていて、思わずこちらも涙・・・。

この先あったかもしれない彼女の恋や結婚・・・。
あったかもしれない彼女が築く家庭。
かなえられたかもしれない彼女の夢。
これらが一瞬に「ないもの」になってしまった。

また、ご家庭では、
いつも彼女がいた部屋、
座っていたいす、
使っていたお茶碗・・・、
何を見ても思い出し、
そのぽっかりと明いた空間に、胸を痛めているのではないでしょうか。

私たちは、「ないもの」を思うときには、
何もない空間を頭の中に描くのではなく、
「あるもの」を想像して、それが消え去ったときのことを頭に描くんですね。
だから、「ないもの」は哀しいのです。
それは自分の一部の喪失だから。


お坊さんがこんな話をしていました。
私たちは銀河鉄道に乗って旅をしている。
けれども、亡くなった娘さんは、
これを降りて、下りの銀河鉄道に乗り換えたのだと。
しかし、実はこの銀河鉄道は
始発駅と終着駅が同じところにある。
だから、もう二度と会えないと悲しむことはないのだ。
いつか私たちが終着駅についたときに、
きっと彼女はそこで待っているだろう・・・。


死とは生まれたところに還っていくことなのか。

そうは言っても、ご家族の喪失感は、
時が解決するしかないのだろうと思います。
同じような年頃の娘を持つ私には身にしみます。

合掌。

「40 翼ふたたび」 石田衣良 

2009年03月10日 | 本(その他)
40―翼ふたたび (講談社文庫)
石田 衣良
講談社

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「78」の次が「40」というのも、なんだかしゃれているでしょう。
これはレコードの回転数ではなくて、年齢です。
今時、アラフォーという言葉があるくらいで、注目される40歳ですが・・・。

40歳というのは、人生の折り返し点。
自分がうんと若い頃には、40歳は「立派な大人」に見えたものです。
ところがいざ自分が40になってみれば、
意識は若い頃とちっとも変わった気がしない。
安定もせず、達観もしていない自分に愕然とさせられる・・・。


このストーリーの主人公、喜一は、会社をやめ、
個人でプロデュース業を始めます。
その彼の元を訪れる40代の依頼人たち。

凋落したIT企業の社長。

やり手の銀行マン。

高校生の時以来の引きこもり中年・・・。

擬態語が口癖のオタクおじさん。

末期がんのコピーライター。

同じく40歳でも、人生いろいろ。
それぞれに行き詰まり、進むべき道を見失ったり、迷ったり・・・。
それが喜一とのやり取りのなかで、自分の進むべき道を見出していくのです。
いわば人生の再生の物語。


私は、表題の「翼ふたたび」の話には、胸を突かれました。
23年間、自室に引きこもった”もと青年”は、
自分を"ネット廃人"と呼び、
喜一と部屋の戸口を隔てたまま、姿を現そうともしない。
返事は部屋の壁を一つたたけばイエス。
二つたたけばノー。
よほど言いたいことがあればケータイにメールをよこすのみ。
年老いた両親に頼まれてやってきた喜一でしたが、
自分に何かできるとはとても思えず、ただ、彼との雑談を心がけるのです。
そんななかで語られた彼の夢は、「1人で夜の街を散歩」すること。
・・・これが40男の真剣な夢なのか・・・。
その後語られる、彼が引きこもりを始めたときの顛末には、涙があふれました・・・。
高校生の純粋な心のままに、絶望を背負ったまま、23年・・・。
このように、人の心に素直に寄り添うことができる、この喜一さんは、
なかなかの人物ですよねー。
実際にいたら好きになってしまいそうだなあ。

さて、その40をとうに超えて、50をもちょっと過ぎてしまった私から見ると、
「40歳はすごく若いじゃん」って、思えるのです。
40が50になっても、やはり、安定も達観もしていない
というのが正直なところなんですが、
体の方だけはしっかり年を感じるんですねえ、これが・・・。
とはいえ、40くらいの時、私も確かに
これでいいのか、このままでいいのか・・・
とあせりを感じた記憶があるんです。
でも、今は、
そんなにあせらなくてもいい。
そんなに頑張らなくてもいい。
そういう風に思えるようにはなっているんですね。
夢をなくしたわけではない。
まあ、マイペースでやりましょう・・・と、そんな感じでしょうか。

ともあれ、それぞれの40歳が、自分なりの答えを見出してゆくこの本は、
40歳ではない皆さんも、ぜひ読んでみると良いと思います。
感動作です。

満足度★★★★★


「78」 吉田篤弘

2009年03月09日 | 本(その他)
「ない」ものの痕跡
78 (小学館文庫)
吉田 篤弘
小学館
                 * * * * * * * * * *

「78(ナナハチ)」とは・・・。
昔のSPレコードの回転数です。
今やレコード自体が懐かしいのですが、
SPレコードとなればもはや相当珍しい。

また昔話になりますが、私の子どもの頃には、まだ家にかろうじてあったんですよ。
祖父か誰かからもらった、
小型のトランクのようながっちりしたケースに入った何十枚かのレコード。
蓄音機ではなくて、一応レコードプレーヤーで聞いたのですが。
子ども向けの絵のついた童謡のレコードもありました。
あのなんだかまったりとした感じの音質が懐かしいです。

本の文中に
「SPレコードにはその録音した時の空気の振動が記録されている。
だからその音を聞くと、そのときの周りの雰囲気が再現される」
・・・そんなセリフがありました。
すごく納得できる気がします。
SPレコードとまでは行かなくても、
いつぞや、なつかしのビートルズのレコードを聴いたんですね。
今でも時々ビートルズは聴きますが、CDです。
でも、そのとき、レコードを聴いたら、
同じ曲でも、わ~っと懐かしい気がしたんです。
つまり、その曲の発売当時は、やはりレコードを聞いていたんです。
そのときの音がしたんですね。
CDとレコードは音が全然違います。


さてさて、しょっぱなからすっかり話が逸れました。
この本は、まず"ハイザラ"と"バンシャク"という二人の少年の
ささやかな冒険旅行から始まります。
廃線になった線路をたどって、住んでいる町から初めて自分で足を踏み出す冒険。
ちょっと、「スタンド・バイ・ミー」の雰囲気があります。
そして二人がたどり着いた、
今はもう廃屋となった終着駅の駅長室で、
SPレコードを見つけるのです。
"バンシャク"はその一枚を大切に持ち帰り、
しかし、聞く機械もないので、
ベッドの下において、時折眺めては、
その中の音楽を想像し、あこがれていた・・・。
これが第一話。

この二人の話が続くのかと思いきや、
次には語り手も時代も変わりながら、しかし、同じ町の風景が語られていく。

次第に見えてくるのは1人の女性と彼女を囲む3人の男性像。
かと思えばいきなり50年近くも前の話になり、
しかし、そこでも現れる一人の女性と3人の男性像。

まるでレコードのように、
時代はまわりまわって、そして同じ音楽を奏でる。
繰り返される人間模様。

そして、この過去と現在の相似形である四角関係も、
思わぬ形で幕が下ります。
過去と現在、相似形なのはもちろん、そこにはしっかりとつながった糸もある。

なんと良く練られたストーリー。
そして、忘れられたレコードのように、セピア色をしたストーリーです。
"バンシャク"は語ります。

それにしても、こうしてほんの少し思い出してみただけでも、
自分がいかに「いまはもうないもの」に取り囲まれていたか分かる。
これは僕の人生全般に関わる大きな問題かもしれないが、
そういう運命なのか、
それとも知らず知らずに、自ら求めただけなのか、
とにかく振り返ってみても、
あるいは、このたったいまを眺め渡してみても、
僕のまわりにはいつでも「ない」がつきまとっている。

「ないもの、あります」を描いた著者の
「ないもの」へのこだわりが、こんなところにもあふれていたりするのが楽しい。

完全に「ない」のならまだいいけれど、
「ない」ものの痕跡やら尻尾のようなものが残されているのは「哀しい」というのです。


そうですね、私にとっての「ないもの」。

子どもの頃に住んでいた、団地のアパート。

デパート最上階の大食堂で食べたお子様ランチ。

クリスマスにサンタさんから届いた12色のクレヨン・・・。

母について行った市場で嗅いだ、白いバットに山盛りの真っ赤なイチゴの香り。

・ ・・三丁目の夕日の風景に近いかな。
そうか、あの映画は今はもう「ないもの」だから
ちょっぴり物悲しさが漂っていたんですね。

「78」吉田篤弘 小学館文庫

満足度★★★★★


007/慰めの報酬  

2009年03月08日 | 007
戻らない愛を胸に秘めて・・・

            * * * * * * *

さて、実際には2年を経て公開された
前作「カジノ・ロワイヤル」の続編なのですが、
私は、2日連続で一気に見てしまいました。

まあ、ここで前作のネタ晴らしにはなってしまいますが、
前作ではジェームズ・ボンドの愛したヴェスパーが命を落としてしまい、
今作ではその復讐戦ともいえる戦いになっていきます。
もろに続きの話になるので、
やはりこの作品を見る前に「カジノ・ロワイヤル」を見ることをおススメします。

さて、続編とはいえ、前作とは監督が異なるんですね。
アクションとしては前作の方がドキドキしたような気がします。
この作品のアクションはスピーディすぎて、
何がなんだか良くわからない・・・。

ここでは前作の黒幕から更に背後にある謎の組織の存在が明かされ、
その幹部、グリーンが標的となります。
彼はボリビアの政府転覆と天然資源の支配をもくろんでいる。
ここでもボンドは、数々の命令無視を繰り返し、
あくまでも自分自身の正義感で突っ走ります。
行く先々で死人が出るので、まあ、これも一種疫病神・・・。
またまた頭を悩ます“M”のジュディ・デンチ。
しかし、彼女の登場シーンがなかなか楽しいですよ。
自宅で料理をしていたり、
クリームで顔のマッサージをしていたりするんですね。
そこへ「またボンドが・・・」という連絡が入ってくるのです。
このオバサマは、苦言を呈しつつも、ボンドを信頼しているところがあって、
多分、厳しいけれども、部下の信頼を得ていることがよくわかりますね。
こういう上司に仕えてみたいものであります。

ともあれ、この手垢にまみれたような007という題材も、
現代を舞台とすることで、まだまだストーリー展開の余地があると見ました。
ダニエル・クレイグの007はもっと続けて欲しいです。
少し大人のゆとりのあるジェームズ・ボンド。
こういうのも見たいです。

それにしても、前作も、今作もオープニングがカッコイイです。
前作は、カジノが舞台だけにトランプをモチーフにしたアニメ。
今作は、砂丘らしき風景が女体と重なり、なかなか色っぽい。
何にしてもスタイリッシュで、
内容に、ぐーんと期待感が沸く、さすが老舗の007なのでした。

2008年/イギリス・アメリカ/106分
監督:マーク・フォレスター
出演:ダニエル・クレイグ、オルガ・キュリレンコ、マチュー・アマルリック、ジュディ・デンチ

【最新映画】007慰めの報酬 予告編 



007/カジノ・ロワイヤル

2009年03月07日 | 007
こうして007は誕生した

          * * * * * * * *

何しろ、すでに私の子どもの頃からあった007のシリーズなのですが、
私はほとんど観たことがありませんでした。
ところが、このダニエル・クレイグの6代目007は、
これまでより評判もいいようですし、観てみようという気になりました。
現在この2作目「慰めの報酬」が公開中ですが、
それはこちらの「カジノ・ロワイヤル」の続きの話、
ということで、まずは「カジノ・ロワイヤル」です。


私はいきなり冒頭のシーンで驚かされました・・・。
ある男をジェームズ・ボンドが追跡。
男は建築現場のまだ鉄骨だけのビルを、上へ上へと逃げ登ってゆく。
・・・まるで忍者です。
高所恐怖症の私は、こういうシーンを見ただけでぞっとします。
第一上へ上へといっても、
最後には逃げ場がなくなるのは解りきっているではありませんか。
何で、そんな方へ行くんだか・・・、
と思ううちに、クレーンを伝ってあちらこちらと飛び移り、飛び降り、
とても人間業とは思えない身のこなしで逃亡。
しかし、われらがジェームズ・ボンドも負けてはいない。
しっかりついていくんです、これが。
多分、今までも、ここまで身の軽いボンドはいなかったのではないでしょうか。
このようなシーンで、まず観客をぐっとひきつける。
しかしまだ、ここはほんの導入のシーンです。

この映画のジェームズ・ボンドは
007に昇任したばかりの、功名心にはやるまだ向こうみずな若手。
(若手というほど若くもなさそうですが・・・)
この作品は現代が舞台なんですね。
もともとは共産圏の国を敵としていたはずなのですが、
さすがに、今のご時勢、それはないですね。
現代は国際テロ組織が相対する敵です。
テロ組織から預かった資金でマネーゲームをするファンドの経営者ル・シッフル。
これが目下の相手。
ボンドが豪華なカジノで高額な掛け金のポーカー対決。
これも途中でボンドは毒を飲み死にかけたりしながらも、
また、そ知らぬ顔でポーカーを続けるなど、なかなか壮絶です。
ボンドガールとして登場するのはヴェスパー。
大変魅力的な彼女とボンドは恋に落ちるのですが・・・。

職務熱心のあまりついやりすぎて、トラブルを巻き起こすボンド。
そんなボンドに手を焼くジュディ・デンチの“M”もなかなかいい。

こういうこれまでとは一味違う、現代のジェームズ・ボンド。
この話は切なく終わってしまいますが、ボンドの苦難は終わらない。
次回へ続く・・・。

2006年/イギリス・アメリカ/144分
監督:マーティン・キャンベル
脚本:ポール・ハギス
出演:ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーン、マッツ・ミケルセン、カテリーナ・ムリーノ、ジュディ・デンチ


カジノロワイヤル予告編



ローマの休日

2009年03月06日 | オードリー・ヘップバーン
ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 [DVD]

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

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永遠の妖精

            * * * * * * * *

おそらく誰もが知っている、オードリー・ヘップバーンの名作。

ぼちぼちと、ヘップバーンを追ってみようかと思います。

彼女の生は1929年~1993年。
アンネフランクと同年の生まれだそうですよ。
その第二次世界大戦時は彼女もオランダに住んでいた。
そして終戦後、イギリスへ。


この作品は、彼女のアメリカ映画初出演。
オーディションでこのアン王女役を手に入れたそうです。
まさに、可憐な彼女にぴったりのこの役。
ストーリーはいまさら言うまでもありませんが、
ヨーロッパ親善旅行中の小国の女王アンが、
その窮屈な毎日にうんざりしてローマの大使館を抜け出す。
そのたった一日の彼女の自由気ままな休日を描いたもの。
アメリカの新聞記者ジョーは、トクダネ目当てに、
彼女を女王と気づかないフリをして連れ回します。
長い髪をばっさりと切るシーンが、
私にはずいぶん印象深く残っていたのですが、
確かに、ショートカットの彼女がまた、一段とかわいい!

スペイン広場でアイスをほおばり、
真実の口ではドッキリ。
夜の船上パーティーのロマンチックと乱闘騒ぎ。
どこをとっても楽しいシーンばかりです。

これは1953年作品なんですよ。
一応お断りしておきますが、まだ私は生まれてません!!
したがって私が物心ついてみた時点ですでに、
「往年の名作」であったわけですが・・・。
しかし、モノクロではあるものの、さほど古めかしい感じもせず、
十分以上に楽しめてしまう。
映画ってすごいですねえ・・・。

このローマの休日を現代版に焼きなおしたのが
「チェイシング・リバティ」という
2004年作品。
これは米大統領の娘アナの冒険のストーリーでした。
さがせばもっと似たようなストーリーはありそうです。
お姫様のちょっとした冒険とロマンス。
アンは王女でありながら、庶民と同じく、退屈な公務なんて大嫌いでお転婆。
ただでさえ、女の子はお姫様が好きですが、
これが等身大なんで乙女心を掻き立てるわけです。

グレゴリー・ペックの新聞記者もすてきですよ。
眠りこけているアンをやむなく自室に連れてきてしまったけれど、
ベッドは一つしかない。
そこへ倒れこんで寝てしまったアンを、
長いすの方へどけて、ベッドは自分でつかって一夜を明かす。
しかしそのあと、彼は彼女が王女だということを知るんですね。
まだ寝ているアンをいそいでベッドの方へ移しておく。
目覚めたアンは
「どうもありがとう。長いすでは寝づらかったでしょう・・・。」
これぞ欧米のユーモアセンスですねー。

1953年/アメリカ/118分
監督:ウィリアム・ワイラー
出演:オードリー・ヘップバーン、グレゴリー・ペック、エディ・アルバート、ハートリー・パワー

「犬のしっぽを撫でながら」 小川洋子

2009年03月05日 | 本(エッセイ)
犬のしっぽを撫でながら (集英社文庫)
小川 洋子
集英社

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「犬のしっぽを撫でながら」 小川洋子 集英社文庫

小川洋子さんのエッセイです。
小説家のエッセイはやはり読みやすく、内容も濃いので、充実しています。

まず初めの方には、『博士の愛した数式』を巡ったいろいろなことを描いています。
私は、算数は苦手・・・。
でも、この本を読んだ時に、著者小川さんは数学が得意な方かと思いました。
「世界は驚きと喜びに満ちている・・・」
こう言って、数学にまつわる話を中心に進む驚くべきストーリー。
・・・しかし小川さんは、数学が大の苦手だったとあります。
でも、わかる気もするんですね。
数学が苦手で、普段数字から縁が遠いからこそ、
数字が時として見せる神秘、美しさ、
そういうものにいっそう驚きをもって気がつくのかも。
数字は苦手ながらも、私でも、
「友愛数」などの説明を聞くと「ほう~」と思わされます。
数学のできる方は無条件に尊敬する。
この、私の生活信条は今も変わりません。


また、この本では「アンネ・フランク」のことにも触れています。
著者はアンネ・フランクの足跡をたどる旅をしたことがあるそうです。
フランクフルトの生家。
アムステルダムの隠れ家。
ポーランドのアウシュビッツ。
隠れ家へ続く薄暗い階段の一段一段に、
アウシュビッツの引き込み線に生えた小さな花の一つ一つに、
死は忍び込んでいた。
・・・と、表現しています。


たとえば、年齢を偽り、身分証明書を偽って、かろうじて生き残ったユダヤ人。
また、もしくは飛行機に子ども一人を乗せて旅をさせたばかりに
その飛行機が事故でその子を失った母親。
このようなときに、人は罪の意識にとらわれるのです。
死ぬべき自分が助かってしまった・・・、
子どもを1人で飛行機に乗せた自分のせいで子どもは死んだ・・・。
実際はその死は自分の責ではないのにもかかわらず・・・・。
死そのものを悲しむだけでは足りずに
自分に罪を着せるというフィクションの中で
更に苦しみを深めてゆく・・・。
しかし著者は、この営みは、
人間の持つ最も崇高な善の有様が表されているといいます。
自分が死者でない事実が、安堵よりも悲しみをもたらし、
悲しみに身体を浸すことで、祈りが生まれると。
深い言葉です。

また、他にはひたすら散歩を待ち望む愛犬ラブの話もあり、
(ここでようやく表題の『犬のしっぽを撫でながら』に結びつくのですが)
数の神秘、命の静謐、・・・としんみりとしたところで、
愛くるしい犬のしぐさにほっと癒されるという、心憎い配置になっています。

満足度★★★★☆


「カムイ伝講義」 田中優子

2009年03月03日 | 本(解説)
カムイ伝講義
田中 優子
小学館

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こんなに、がっちりと密度の濃い本を読むのは久し振りかもしれません。
以前から気になっていたのです。
カムイ伝のファンなもので・・・。
「カムイ伝」はコミック界巨匠、白土三平氏のライフワーク。
カムイ伝に初めて触れたのは私が中学生の頃でしょうか。
江戸時代の格差・階級社会に翻弄され、苦しみ、生き抜き、そして死んでゆく、
膨大な登場人物たちの物語。
この本の初めにこんな言葉があります。

  カムイの持ち続けるものは
  「自由」ではなく「批判」のエネルギーである。
  「カムイ伝」は江戸時代を舞台にしながら、
  その向こうに近現代の格差・階級社会を見ている。
  21世紀にもなって、この日本は驚くほど変わっていない。
  ちゃんと階級もあり、格差もますます健在だ。
  私たちは歴史の中で、いったい何者なのかと問い、
  何ができるのかと考え、
  カムイは今どこにひそんでいるのか、と
  耳をすまさなければならない。

本当に、驚くほど変わらないこの日本を見つめなおすために、
未読の方は、ぜひ読んでみるといいですね。
(とはいえ、分量がタダモノではありません・・・!)


この本では、カムイ伝の様々なシーンを例に取りながら、
江戸時代の様々な人々の営みを解説しています。
江戸時代は、リサイクルが当たり前に行われていた、とは近頃良く耳にします。
この本では、下肥(つまり人糞!)のシステムについて詳しく書かれていますが、
なかなか興味深いですよ。
新田開発や農業技術の進歩によって、
下肥に肥料としての価値が出てきたんですね。
その需要が急増し、回収し流通するシステムが出来上がっていった。
人糞ばかりではなく、ありとあらゆるものが
リサイクルしつくした最後に肥料となって使われていたようです。
江戸では急激に人口が増えていった時には、
糞尿などの処理はやはり問題だったようなのです。
川に垂れ流しにしていたので、川がひどく汚れてきた・・・。
また、家などを建てるためには、
材木をどんどん山から切り出さなければならない。
すると、森林を失った山のふもとでは、少しの雨でもたちまち洪水が起きる。
このようなことをしっかり見極めて、糞尿を川へ流すのはやめる。
木を切ったあとには植林をする。
・・・こうして先人たちは自然環境を守ってきたんですね。
悪いところばかりではなく、江戸の知恵には見習うべきところもあるということです。

著者田中優子氏は、法政大学社会学部教授。
実際に講義では「カムイ伝」を参考書に使っているそうで、
そんな授業を受けられる学生は幸せですね・・・。
なんというか、自分が実際に学生の頃は、
講義はやたら退屈に思えたりもしましたが、
学校を出てからは、返って積極的にこういう知識を身につけたくなってくる。
・・・まあ、そんなものですよ・・・。

蛇足ですが、実は「カムイ伝」よりも、
「カムイ外伝」の方がミーハー的見地から大好きです。
アニメもありましたねえ。
あ、そういえば映画も製作中・・・。
抜け忍としての過酷な人生に独り立ち向かう、カムイ。
ひたすらにあこがれた、中学時代の乙女な私でした・・・。
(遠い目・・・)

満足度★★★★☆

 


オーストラリア

2009年03月02日 | 映画(あ行)
映画を楽しむための映画

          * * * * * * * *

第二次世界大戦前夜のオーストラリア。
イギリス貴族のサラがオーストラリアの夫のもとにやってきました。
出迎えたのはなんとも無骨で荒っぽいカウボーイ、ドローヴァー。
牧場についてみると、なんと夫は何者かに殺されていて、経営も思わしくない。
サラはドローヴァーの手を借りて1500頭の牛をダーウィンの港まで連れて行く旅に出ます。

この写真のシーンは、乾季の後、雨季の始まりを告げる大雨。
まさに恵みの雨なんです。
大抵雨は悲しみのシーンが多いのですが、
喜びの雨、こういうのもいいですね。

この映画は、広大なオーストラリアという舞台を生かし、
愛とロマンにあふれるアドベンチャー作品となっています。
古き良きハリウッド映画。
・・・というような、ちょっとクラシカルな感じがするんですよね。

男はあくまでも男っぽい荒くれのカウボーイ。
女は美しく、気が強くて、冒険心に富んでいる。
老人は頑固で偏屈で、しかし、知恵に満ちている。
子どもは勇気があってけなげ。
そして悪役はどこまでも憎憎しい悪役に徹している。
自然は雄大で美しく、また、時には過酷。
また、空襲を受け、町が炎上というスペクタクルもあり・・・。

こういう図式を、あえてはずさなく作ってあるんですね。
この映画中に「オズの魔法使い」の上映シーンがあるのですが、
こういうところを見ても、
この作品はどこか古き良き懐かしい映画作品へのオマージュを意識しているように思えます。
見る人によっては話がありきたり、問題提起はあるけれど浅すぎる・・・、
そんなことをいうかもしれませんが、
私はしっかり楽しませてもらいまして、大満足です。

この作品にスパイスを効かせているのは、この大地に根付くアボリジニの生活でしょう。
どこかスピリチュアルな雰囲気を持たせつつ、それが過剰ではない。
そんな不思議もあるかも・・・と思ってしまうのは、
日本人も、自然の中に神が宿ると、
どこかにそういう信仰が未だに根付いているからかもしれません。
オーストラリアが続けていたアボリジニ混血児の同化政策について、
もっと深く考えてみたい方は「裸足の1500マイル」をご覧ください。

貴婦人が開拓地にやってきて、そこで、荒っぽい男性と恋に落ちる
・・・という話は以前に見たことがある
・・と思ったら、「愛と哀しみの果て」でした。
これはオーストラリアではなくて、アフリカはケニアですが。
植民地政策全盛の時代の名残りですね。
こちらはメリル・ストリープとロバート・レッドフォードでした。
・・・うむ、そうしてみると、この、ヒュー・ジャックマンのほうが、
よりいっそう野生的な感じがして素敵なんですよね~。
舞踏会の場面で、
それまでずっと無精ひげ(いや、でもあれでもちゃんと手入れをしているシーンがありましたね!)をはやしていたのを、
キレイに剃っているシーンがある。
そこがまた、なんともにくい演出ではありませんか。
きゃー、かっこいい!!

165分という長い作品でしたが、この広大な大地のストーリーにはふさわしい長さでした。

2008年/アメリカ・オーストラリア/165分
監督・脚本:バズ・ラーマン
出演:ニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマン、デヴィッド・ウェンハム、ブライアン・ブラウン


「オーストラリア」本予告



「ないもの、あります」 クラフト・エヴィング商會

2009年03月01日 | 本(その他)
ないもの、あります (ちくま文庫)
クラフト・エヴィング商會
筑摩書房

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「つむじ風食堂」があまりにも気に入ったので、すぐにこれを買いました。

クラフト・エヴィング商會は、吉田篤弘氏とパートナーの吉田音さんの著作と装丁のユニット名。
「會」の字が古風なのがなかなかしゃれています。
(漢字変換がすぐ出てこないのが玉にキズ・・・。)

この本は、このボリュームの文庫で900円とはちょっと高いではないか!と、
今気づいたのですが、
イラスト入り3色刷り・・・あ、後ろの方にはカラー写真も・・・。
仕方ないですね。
しかし、これもよい本ですよ~。

さて、「ないもの、あります」とは。
良く耳にするけれど、一度も見たことのないもの。
この本は、こういうものたちのカタログとなっております。

例えば、<堪忍袋の尾>。
これをうっかり切ってしまったが、何とかもう一度やり直したい・・・。
そんなときに新しい<堪忍袋の尾>があれば、すごく助かるではありませんか。

また、<転ばぬ先の杖>。
これがあると、とても安心に思えますが・・・・。

このクラフト・エヴィング商會では、
このように大変貴重な品を紹介してくれています。
ただし、結構取り扱い注意なモノも多そうですので、
よ~く読んでからお求めください。
<左うちわ>、<捕らぬ狸の皮ジャンパー>、<目から落ちたうろこ>などなど、
他にもいろいろ・・・。

私が欲しいなあーと思ったのは、やはり、<左うちわ>でしょうか。
これさえあれば、毎日遊んで暮らせる。
毎日が竜宮城状態。
しか~し! 
これを購入したら、常時これをぱたぱたとあおいでいなければならない。
これをひとたびでも止めると、
ただの遊び人、ごろつき、世捨て人になってしまうという・・・。
しかもとっても高価だそうで・・・。
・・・そんなものを買うお金があるくらいなら、
何もこれを買う必要もないではありませんか・・・。
トホホですね。
うまくいかない世の中であります。
なるほど・・・と思いながら、クスリと笑ってしまう。
そんな一冊です。

満足度★★★★☆