映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「落花は枝に還らずとも 会津藩士・秋月悌次郎(上・下)」中村彰彦 

2013年05月09日 | 本(その他)
幕末~明治を生き抜く、会津藩士

落花は枝に還らずとも〈上〉―会津藩士・秋月悌次郎 (中公文庫)
中村 彰彦
中央公論新社


落花は枝に還らずとも〈下〉―会津藩士・秋月悌次郎 (中公文庫)
中村 彰彦
中央公論新社


            * * * * * * * * *

幕末の会津藩に、「日本一の学生」と呼ばれたサムライがいた。
公用方として京で活躍する秋月悌次郎は、
薩摩と結び長州排除に成功するも、直後、謎の左遷に遭う…。
激動の時代を誠実に生きた文官を描く歴史長篇。
新田次郎文学賞受賞作

            * * * * * * * * *


突然に、私としては珍しい本を読みました。
時代小説ではなく、幕末の実在する人物を描いた作品。
会津藩といえば・・・、そう、今やっているNHK大河ドラマ「八重の桜」。
これを見ていた先日、会津藩の秋月という人が
蝦夷地の斜里代官に任官されたというところで、思わず絶句してしまったのです。
斜里といえば、北海道知床の町。
(知床半島の付け根のあたりです。)
札幌の私からしてもとんでもない地の果てと思えるのですが、
当時の会津からするとどうなのか。
そもそも当時そんなところに町があったのか?
・・・などと、今の現地の方に怒られそうな思いまで湧いてしまい、
非常に興味を惹かれました。
そこで調べてみると、へええ・・、ちゃんとこんなふうに本まで出ている。
そこですぐにKindleにて、購入。
実は、それよりまず山本覚馬でしょ!!と、
西島ファンなら思うわけですが、
同時に「山本覚馬」ももちろん購入。
そちらは後のお楽しみです。


秋月悌次郎は会津藩のお侍ですが、
武官ではなく文官ですね。
京都守護職についた松平容保(かたもり)とともに、京都へやってきて大変な苦労をする・・・。
いえ、この方の場合、苦労をするのはその後、ということになります。
山本覚馬もそうですが、昌平坂学問所で学び、
様々な藩の人と語らい、教えを受け、海外の知識もある。
けれど会津の超保守的な藩士たちにはそれが鼻につくというか、
煙たいところがあったようなのです。
で、何がなんだかよくわからないけれども、突然斜里に飛ばされた・・・。


どうやって斜里に行くのかと思ったら、船でした。
なるほど・・・。
新潟から日本海を北上し江差まで。
そこからまた船で函館へ行き、更に乗り換えていよいよ斜里まで。
この時は奥様も同伴で、ついて来た奥様も偉いなあ・・・。
斜里は漁業の町。
その地の管理を会津藩にまかされていたということなのです。
当時頻繁に出没したロシア船の見張りの意味もあったようです。


さすがの秋月氏も、冬の斜里で、
こんなところに流されてしまったという寂寥感に
打ちひしがれそうになったという描写があります。
しかし彼は厳寒の空に満天の星を見る。

「わけても北斗七星は冴えわたった北の空に力強く輝き、
物言わぬままなにかを語りかけてくるかに見える。
(京から六百里の参加を隔ててまた仰ぐ七曜星がなおも光を注いでくれるのであれば、
この秋月悌次郎もどこまでも定次郎らしく歩んでいかねばならぬ)・・・」


そう考えて、力を漲らせたというシーンが実に印象的でした。
蝦夷地らしく熊と遭遇するシーンもあります。
そして結局斜里にいたのは1年4ヶ月。
また、突然に京へ呼び戻されることに。
せっかく一度引っ込んだはずの長州藩が、
秋月氏がいないうちにまた力をつけ始め、
お偉方が慌て始めたというのがよくわかります。
全く宮仕えは辛いのです。
しかしこの時、季節は冬。
12月ということで、まだ流氷はきていなかったでしょうが、
海は荒れて危険なため船は出ない。
この時ばかりはやむなく陸路で釧路へ、
そして様似まで行って、そこから船。
雪と氷に覆われた山道を命がけで歩くことに・・・。


実のところ、この本は語り口も固く、やや難しく感じられたのですが、
この斜里のくだりで俄然面白みを感じ始めました。
京都での様々な思想的やり取りは実生活からは遠く感じられますが、
この場面は妙にリアルに身近に感じてしまいます。


会津藩はその後京を追われ、地元会津での戊辰戦争に突入。
鶴が城に立てこもり、絶体絶命となりますが、
降伏のための道のりをつけたのが、この秋月氏。
それにしても会津藩のなんとも理不尽な命運・・・。
いまさらですが同情を禁じえません。
八重の桜を見ていてもそうですが、明治維新の英雄とうたわれる
薩摩や長州藩が非常に胡散臭く思えてしまいます。
歴史というのは、色々な面があるんですね。


秋月氏は明治維新後、生涯を青少年の教育のために捧げました。
なんと、熊本の第五高等学校(今の熊本大学)で、
ラフカーディオ・ハーンと教職を共にした時期があったといいます。

個人を軸に歴史を考えるのもなかなか面白い。
すばらしい一冊でした。


「落花は枝に還らずとも会津藩士・秋月悌次郎(上・下)」中村彰彦 中公文庫
満足度★★★★☆

今作中、山本覚馬の名前は幾度か出てきますが、
直接会話するシーンはありません。
しかし、会津藩が京を追われて出るときに、
「山本覚馬は失明のため京へ残った」という一文が。
非常に気になるところです。
次の本に行きます!