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映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

ノルウェイの森

2010年12月15日 | 映画(な行)
監督の“イメージ”を楽しめばいい



           * * * * * * * *

この作品、最近見るどの映画の時にも予告編をやっていて、正直予告編は飽きました。
しかし、元々大好きな作品。
やはり見ないで済ますわけに行きません・・・。
ある解説によれば、小説を読んだ自分のイメージを損ないたくない人は見ない方がいい、
なんて書いてありましたが・・・。
確かに、村上春樹作品には読み手それぞれのイメージがありそうです。
この作品はトラン・アン・ユン監督のイメージでまとまっているわけで、
合うかどうかはその人次第。
まあ、私は自分のイメージにそう固執するわけではないので・・・。
とりあえず見た感想としては、まあ、こんなモノかな・・・という感じでした。
でも特に、ワタナベ君に関してはもう、ドンピシャリ。
言うことナシ。


ストーリーについては、こちら→ノルウェイの森 をご参照ください。


ワタナベと直子が東京で再会してから心を寄せ合うことについて・・・
ワタナベはもともと彼女にひかれていたんですよね。
キズキの彼女であった頃から。
キズキを失った後での二人は、
たぶん、身寄りのない孤児がお互いのぬくもりを分け合うような感じで、
会っていたのだと思う。
二人の持つ喪失感は同じものなのですが、でもいかにも二人は若い。
本来なら、いずれ喪失の底から脱出するエネルギーを持っているはず。
ワタナベは実際、その喪失感から抜け出し、明るい方を見ることもできる力がある。
けれど直子の方は喪失感から逃れられない。
というより、自分で逃れることを拒んでいるようなところがある。

トラン・アン・ユン監督はこの作品映画化のために、
村上春樹氏と何度も打ち合わせを重ねたといいます。
そんななかで、原作にはないセリフを村上氏が書き足したのだとか。
それが直子のこのセリフ。

「人は18歳と19歳の間をいったり来たりすればいいのよ・・・」

彼女が20歳の誕生日に言ったセリフですね。
彼女はキズキを忘れることに罪悪感を覚えるのでしょう。
むろん無意識のうちにということですが。
自分だけ大人になって、彼との思い出を置き去りには出来ない・・・。
そうだからこそ、このような結末になってしまうのだなあ・・・。



さて、村上春樹作品の登場人物たちの会話は、
いつも何か密やかで象徴的で言葉少なですよね。
これが本の上では私たちの想像力を膨らまし、
だからこそ各自のイメージが大切になってくる。
でもこの映画のように、ナマの人物がその会話をそのまま声に発すると、どうも・・・。
イメージの余地がなくなって、やけに薄っぺらく聞こえてくる。
やっぱり問題はそこら辺なんでしょうね。
特に、緑の台詞。
本を読んだときはさほど感じなかったのですが、
この作品では、妙にムカつく感じがしてしまったのはなぜでしょう・・・? 
エキセントリックな美少女としては、まさにはまり役に見えるのですが。
そういえばこの緑という子のイメージは、うんと若い頃の秋吉久美子だなあ・・・。



ああ、でも映画だからこそ表現できる場面もありました。
それは全体に漂う時代感。
当時の雰囲気ですね。
まあ、実際にそのときを過ごしていた私が言うのだから間違いありません! 
学園闘争華やかな頃、
でも一方では「シラケ」などという言葉もあって、
LPレコードがあって、赤電話があって・・・。
彼らのファッションも懐かしい雰囲気。


それから音楽なのですが、始めの方はまだよかった。
でも終盤、やけにバックミュージックが重厚になってきてうるさい。
まるで何十年も前の古い映画のような感じ。
これも当時の時代色の演出なのでしょうか? 
エンディングテーマとしてやっとビートルズの「ノルウェイの森」が流れるとホッとする。
これって「ノルウェイの森」を引き立てるためだったとか・・・?

茂った草原が風で波のようにうねる。
そんな中のワタナベと直子。
このシーンは好きでした。
「もちろん。」

2010年/日本/133分
監督・脚本:トラン・アン・ユン
原作:村上春樹
出演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、高良健吾、玉山鉄二