映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

2007年07月26日 | 本(エッセイ)

究極の字幕は「透明な」字幕。
これからも、お世話になります!。日本語をしゃべるジュード・ロウは嫌です!

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「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」 太田直子 光文社新書

この本の作者の本業は映画の字幕作成。
いつも私は大変お世話になっております。
近頃はハリウッド映画の話題作などでは、吹き替え版もありますが、私は絶対に字幕派。
だってねえ、吹き替え版って、ガキンチョの見るもんだよ・・・、というのは若くはない私の思い込みか。
・・・まあ、その思い込みはこの際無視するとしても、俳優さんの魅力は声も含めてあると思うのです。
つい先日、テレビで吹き替えの「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見たのですが、ウソーというくらい、ジョニー・デップもキーラ・ナイトレイもただの凡庸な俳優に見えてしまった。
これを見る限りでは、彼・彼女をステキとはとても思えない。
吹き替えの声優さんってよほど人数が少ないのでしょうかね。
どの映画を見てもみんな同じ人・・・。
話し方もなんだか妙にクサイかんじで、どうも好きになれない。
顔、スタイル、しぐさ、声、話し方・・・トータルしたものが俳優の持ち味であり、魅力だと思うのだけれど、その多くの部分を占める声、話し方を、ばっさり切り捨てて、別のものにしてしまうのはあまりにも、もったいないことだと思います。
でも、時として、字幕に気をとられて、肝心の繊細な表情の変化など見逃してしまうこともあったりして・・・。
字幕に頼らず、言葉が理解できれば何の問題もないのですけどね。今のところちょっと無理。

さて、そういうことで、やはり字幕にお世話にならざるを得ない身としては、この本は大変に興味のあるものでした。
太田氏は、字幕は翻訳でなく、要約であるといいます。
台本をそのまま訳すと、すごく文字が多く、文が長くなってしまって、そのシーンで字幕を読みきれない、ということになってしまう。
いかに、簡潔な表現で意を伝えるか、というのが腕の見せ所、ということのようです。
だから、この仕事はただ単に英語などが得意ということではダメで、ことばのセンスが問われるのでしょう。
時には、英語の堪能な方に、字幕と実際のセリフが違うと、指摘を受けることがあるそうなのですが、以上のような事情によるものだということです。

たとえば、直訳だと、こんなセリフ・・・
男「どうしたんだ」
女「あなたが私を落ち込ませてるのよ」
男「僕が君に何かしたか」

これをもっと、字数を少なくしなければならないというときに、
男「不機嫌だな」
女「おかげでね」
男「僕のせい?」

・・・みごとですね。最小限の言葉で、しっかりニュアンスが伝わります。

字幕に使う漢字や内容について、一般常識と思えることが、近頃は通用しなくなってきていることとか、禁止用語のこと、日本語の男女の言葉の使い分けのこと、映画会社との思惑の行き違いのこと、等等・・・。
様々な苦労があるものなのですね。
太田氏は語り口が飾り気なくまっすぐばっさり、という風で、私は好きです。

彼女の言う理想の字幕とは、「読んでいることを意識させない字幕。」
「なんとなく目の端で読んでいるのだが、外国語のせりふそのものを聞いて直接分かっている気持ちにさせる」、「透明な」字幕。

そうですね、でも、たいていの映画はそのように字幕を特別意識せず、見ているような気がします。
字幕作成者ががんばるほど、その存在が意識されない。
なんだかいいですね。
寂しい気もしますが、それって大事ですね。

ちなみに、太田氏が字幕作成した映画。「コンタクト」、「17歳のカルテ」、「初恋のきた道」、「アザーズ」、「シュレック2」、「エルミタージュ幻想」、「ヒトラー最期の12日間」 他1000本あまり!

満足度 ★★★★


トゥモロー・ワールド

2007年07月26日 | 映画(た行)

2027年が舞台という、近未来SF。
実は予想したよりずっと地味目な作品でした。
この2027年時点では、地球上に子供が一切いない。最後に子供が生まれてから18年間、新たな子供の誕生を見ていないという設定です。
つまり、人類に生殖能力が一切なくなってしまった。
このままでは当然、人類の未来はない。
この作品では原因については特に言及されていません。
人類はすっかり絶望し、秩序をなくし、ほとんどの国は国家の形をなし得ず崩壊。
舞台のイギリスは、独裁政権と軍事力で、どうにかやっと国家の機能を果たしている、数少ない国の一つ。
それでも、テロやら不満分子の氾濫やらで、大変治安の悪い状況となっている。
主人公は、ごく普通の公務員のセオ。
特別人類の未来に責任のある立場でも何もないのだけれど、行きがかり上、フィッシュという地下組織に関係し、ある一人の女性を「ヒューマン・プロジェクト」というこれも謎の組織へ送り届ける役割を受け持つことになる。
その女性キーは、なんと、妊娠しており、臨月を迎えている。
なぜここで突然妊娠可能な女性が登場するのか、この先はどうなるのか、その説明もまったくなし。
その子は人類の未来を背負った子供というわけですが、・・・大変なことです。

この映画はその、身重の女性を(途中で、辛くも無事出産します)主人公がひたすら守っていく、ほとんどそれだけのストーリーです。セオも、ごく普通の男性なので、派手なアクションなど無し。
とにかく、銃撃戦に巻き込まれないよう、物陰に潜みつつ、進んでいく、それのみ。
監督が凝ったらしい、8分間ノーカットの戦闘シーンがあります。
ここはひたすら様子を見て、銃弾を避けつつ前進する。
セオの心情と観客の心情が一致する、なかなかいいシーンだと思いました。

また、これはロンドンが舞台の近未来の設定なので、ロンドンに住んでる人なら、ああ、これはどこの何の通り・・・ということがよく分かるシーンが多いといいます。
まあ、わが街札幌で言えば、4丁目の交差点で銃撃戦をしたり、時計台や赤レンガの建物が爆破されたりなんて、そんなシーンがあるということで、それだと、結構興味を持ってみてしまいたくなりそうですね。
恐ろしいのは、そのように無秩序な人々の日常がいつまで続くのだろう・・・ということです。
どうでしょう。今日から、一切子供が生まれなくなったとしたら。
保育園・幼稚園・学校、まったく成り立たなくなります。教師も教育産業の従事者も全員失業。
ただでさえ、将来の見通しが暗い年金は、もう、その年金体制を支える若年層もおらず、制度自体崩壊。
たしか、この映画では日本も早々崩壊した国のひとつとなっていたと思いますが、案外、日本はそれでも持ちこたえるような気がします。とにかく、まじめで勤勉、そして従順な日本人ですからねえ・・・。あきらめのうちにも淡々とと規則を守って、老人大国のまま、新世界へなだれ込んでいくのではないでしょうか。
今の若い人はそんなに従順ではない?
そうかも・・・。

いろいろ、想像をふくらませてしまうストーリーですねえ。
この後また、ぽろぽろと子供が生まれてくる未来が待っていそうな気もします。

「トゥモロー・ワールド」
2006年

監督:アルフォンス・キュアロン、クライブ・オーウェン