映画と本の『たんぽぽ館』

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「真夜中の五分前/sideB」 本多孝好

2007年07月29日 | 本(恋愛)

「真夜中の五分前/side-B」 本多孝好 新潮文庫

さて、続きのside-Bです。
side-Aから2年ほども経過しており、なんとそこに、あのかすみがいない!
完璧ネタばれですが、そこに触れないと話が進まないので失礼します。

なんと、かすみはスペインへ妹のゆかりと旅行したときに列車事故で、命を落としてしまった。
ゆかりの方は、ひどい怪我をしたけれども、一命をとりとめた。
いきなり2年後からストーリーが始まったのは、「僕」のショック、喪失感が、幾分癒えてきたところだからでしょう。
実際、その事件の描写などされたら、つらすぎます。
それにしても、愛する人をまたもや失ってしまった「僕」に、同情してしまいます・・・。

ところがある日、今はゆかりの夫となっている尾崎氏に会い、聞かされた話は、
「妻は本当にゆかりなのだろうか?」と。
本当は、生き残ったのはかすみの方で、愛する尾崎氏の妻に成りすましているのではないのか・・・、そんな疑惑に駆られ、げっそりやつれている尾崎氏。
そんな、馬鹿な、といいつつも、否定しきれない想いが残る「僕」。
かすみは本当に僕を愛していてくれたはずだ。
けれども、尾崎氏への想いが断ち切れないで苦しんでいたことも知っている。
その真相はいったい・・・。

混沌としています。
最期まで読んでも、やっぱり真相は分からない。
何しろ、「ゆかり」当人も事故の後、記憶が混乱し、自分の記憶も、姉妹から聞いた記憶も渾然となってしまっていて、自分でも自分がわからない。
ここでまた、side-Aで考えさせられるテーマに戻っていくのです。
相手の何を見て人は人を好きになるのか。
姿かたちが同じならいいというわけではない。
たとえDNAが同じでも、人は人を形作る魂を愛する、ということでしょうか。
すでに、混乱した「ゆかり」はゆかりでも、かすみでもなくなってしまっている。
尾崎氏は結局「ゆかり」と別れました。
そこで、「ゆかり」は、「僕」に、すがろうとします。
けれども、もし、万が一、それが本当にかすみであったとしても、以前に「僕」が愛したかすみとは別人。
やはり、別れが結論でした。

切ないストーリーです。
さて、題名の「真夜中の五分前」とは。
「僕」は、自分の家の時計をいつも5分遅らせています。
真夜中、世間一般で、日付が変わるときに、まだ、自分だけが5分だけ前の日に取り残されている。
その宙ぶらりんの5分間で、
『かすみのことを思う。水穂のことを思う。そのとき、そこにいた自分のことを思う。その時間は、僕の胸に静けさと穏やかさを運んできてくれる。』、
そんな時間。
このような時間のかけらが、また、自分を形作って行くのだろう、と彼はおもう。
それは、彼自身、この体験から、仕事や彼の周りの人々の見方に変化があったと感じているから。


満足度 ★★★★★