第5章は元桑名市民病院副院長の中山尚夫というお医者様と、桜井さんの対談を中心に編んでいます。
まず膣は免疫機能にすぐれた外敵を体内に侵入させにくい構造と機能を有していることが説明されます。
続いて、桜井さんが「ということは、男女の性行為と違って、男性同士の同性愛の場合は、ペニスと肛門の組み合わせになります。これは人体のつくりに適ったものではない、ということでしょうか」と質問を発する。
中山医師は「そうです。ホモの行為では、ペニスは肛門から直腸に挿入されます。そのような部分は、すぐに痔になることでわかるように脆いところです」という。言いたいことは分かるけれど、痔になるのと免疫機能とはまた別の問題だと思われます。痔は直立二足歩行の代償だというのが通説となっている。
しかし、肛門がウイルスや細菌の感染を起こしやすい部分だというのは間違いないだろう。そこから感染が起こりやすいことも間違いない。
そういう前振りから突然「一夫一婦制の医学的価値」へと話が進む。
中山医師は「鳥以上の、高等な生物には免疫システムが備わっています。免疫システムというのは、ウイルスや細菌の侵入、自分以外の異種タンパク質から自分を守るための防御システムを意味します」と言う。
「鳥以上の高等な生物」というのが指す範囲がまったく不明である。
「鶴は一夫一婦制を守る純潔性の高い鳥と言われていますが、鶴のような高等な鳥類や哺乳類といった生物は、自身の命を破滅させるような行動はしない習性や知恵を本能的に身につけています。ところが万物の霊長といわれる人間だけが、雑交という、生きる掟を破る危険な行為をしています」というあたりで、怪しくなってくる。この人は動物学の成果を参照していない。わたくしたちは日本人であるからニホンザルが乱婚型の生殖をすることくらい常識の類である。一夫一婦制だと思われていた鳥類もオシドリは離婚を繰り返すことが分かっているし、ペンギンも旦那の留守中に隣のオスと交尾することが分かっている。遺伝子を用いた父子鑑定が行われるようになって、かなりの割合で召すの浮気があることが明らかになっている。こうした行動の進化的な意義を探る研究は、進化学での大きなトピックスとなっている。
次に性感染症の話に移り、症状の説明とともに、女性のほうが重篤な後遺症を残すことが説明される。ここは異論ない。
性病予防にコンドームは役に立たないことを言い立てて、まず「いつもコンドームを使う」と答えたカップルの15%が避妊に失敗しているというデータを示して、これが「精子がコンドームを通過したせいだ」と考える。そしてこう述べるのだ。
「精子とHIVウイルスの大きさを単純に比較してみても、精子は全長50マイクロメートル、一方、HIVウイルスは直径約100ナノメートルなので、HIVウイルスは五百分の一ということになります。
これでは、素人判断でも、、HIVウイルスは、精子よりもさらに容易にコンドームを通過できるだろうなあ、と思うのですが。」
これに対して、中山医師は否定も肯定もせず、コンドームでは性器ヘルペスや尖圭コンジロームなどの場合には病変部を完全にカバーできないことをあげた後、「このコンドームですが、電子顕微鏡で見れば網目があって隙間だらけです。加えて、日本ではゴムの薄さを売りにしてきました。しかし、この薄さは破れやすいだけでなく、このミクロの隙間からウイスルが通過する可能性無きにしもあらずと指摘され、少し厚めの製品に変わる動きがありました」という。これが本当なら大変なことである。
そこでコンドームメーカーに問い合わせてみまた。
不二ラテックスからの解答。
玉野様
たいへん遅くなりましたが、
弊社技術部より回答がありましたのでお知らせします。
”コンドームのウイルス透過性試験について”
バイオハザード取り扱い認定を受けた外部機関にて
HIV(90~130nm)より小さいウイルスを用いて透過性試験を行い
透過しないことが確認された。
ヒト精子の大きさは(50~60μm)ですので
当然透過しない。
と言うことでございます。
相模ゴムさんからの解答
玉野様がお読みになりました本をはじめ、性教育に関する本の中にはコンドームに数ミクロンの孔が開いており妊娠の予防、エイズなどの性感染症の予防に無効性を主張する専門家の意見が載っているものもあれば、孔は開いておらず避妊に有効な避妊具と唱える肯定的な専門家の意見も載ってあります。
現在に至ってもどちらが正しいのか物議をかもしているところです。
弊社のラテックス製コンドームは「二重加工」になっております。コンドーム製造過程をお話ししますと、コンドームの形をしたガラス型をラテックス液にまず1回浸し、乾燥させ、この際出来た隙間を塞ぐ様に再度ラテックス液に浸し乾燥させております。
電子顕微鏡でラテックス製コンドームの皮膜表面を観察しますと凸凹状になっており、一見孔が開いているように見えておりますが、2000倍に拡大しても明らかな隙間は認められてはおりません。
パッケージをご覧いただくとお分かりになりますが、コンドームは管理医療機器でして、厚生労働省指導のもと「避妊」「性感染症」の効果について記載しております。もし、精子やウイルスが皮膜を通過してしまうものでしたら、厚生労働省よりこのような指導はございません。
続く「100%の効果を保証するものでは有りません。」の部分ですが、これは使用者が個包装開封時または装着する際、爪や鋭利な物でコンドームを傷つけてしまい、それに気づかず使用してしまう場合が考えられますので、このような表記をしております。
また、薄くなるほど避妊に失敗したり、性感染症になる可能性については一概にはそう言えません。
といことです。
厚生労働省の指導ということなので、もし本当にウイルス漏れで感染の機会があるのだとすると、そのことを承知しながら認可を続けた厚生労働省はまたもや、薬害と同等の罪を犯したことになる。
桜井さんらが主張するように、セックスなんてしなければ絶対に性感染は起こらない。だから、性感染症を防ぐためには、セックスをするなといえばいいということになる。
しかし、これだけ性に関する情報が蔓延する現代社会で、それが実際的なのか、と言う問題が当然のことながら思い浮かぶ。 次世代を作るためにはセックスをしなければならない。こうした性感染症の危険もあり、相手と性関係に持ち込む面倒くささを乗り越えてセックスをしなければならない。自由恋愛の社会になると、そのためのエネルギーを多く持ってないとセックスにいたれないということになります。それでもセックスをするためには、それなりの欲求や衝動がなければならない。そのために、「気持ちいい」という報酬系が備わっている。もちろん人間だから理性である程度の抑制はきくのだろうが、完全に抑制するのは難しい。
さらに本書では、家庭における愛に飢えた子どもがやさしくされた経験で簡単に男にべったりになり、セックス三昧に陥ることもあるという。若者が自我の隙間を埋めるためにセックスをするのは珍しいことではないだろう。しかし、だからといって「温かい家庭を!」といっていればいいというだけではないだろう。どうしても、そこからはこぼれ落ちる人が出るからだ。とくにこれだけ貧困層が拡大してくると、子どもと向き合ってしっかり育てていきたいと願ったところで、いくつもの格安アルバイトを掛け持ちせざるを得ない人たちがいて願いかなわない。中山医師は「せめて十歳まで、親は育児に全身全霊で取り組んで欲しい」というが、そういわれてもそうできない人も大勢いるのである。
次に中山医師は、ジェンダーが幼少期には可塑性があるということをいって、男の子を作るためには、木登りや探検ごっこなどの冒険や遊びがなければならないという。その過程で「性的二型核」が男子タイプになるのだそうだ。こういうことを証明するデータは私は寡聞にしてしらない。男性同性愛者には女の子が好む遊びを、ジェンダーを構成する文化に接する以前から好む傾向があることは、レトロスペクティブにもプロスペクティブにも示されている。そのあとで、木登りや探検ごっこを強制的にやらせたところで、時すでにおそしかもしれない。
こうしてみてくると、桜井さんはイデオロギーの違いを考えなくても(私は性教育は適切に行うべきだと考えている。何が適切なのかと言うことろで議論は残っているにしても)、「そこからこぼれるもの」に対する視線が全くないことが分かる。自分たちの正義を押し付けて、それを声高に主張するのは結構だが、不可抗力にしろなんにしろそこからこぼれてしまう者への視点を持っていただきたいと思う。
さらに、自説を補強するためには、科学的な結果も、科学的でない憶測も、はっきりとした間違いも援用している。「科学的」を標榜するよりも、良心を欠くのではないだろうか?
HIV感染者にしろ、同性愛者にしろ、恵まれた家庭環境を与えられなかった子どもにしろ、与えることができなかった親にしろそれはどうしようもないことである。人間、多少の逸脱をすることもあるだろう。とくに性という強い報酬系が働く場面では、避けがたいことだ。どんな教育をしたってマスで見ると一定割合で、性の規範に逸脱する人は出てくる。その割合をできるだけ最小化するための方策を話し合うべきだろう。そして、それでもそこから逸脱するマイノリティに対して、単に軽蔑的な視線を投げかけるのか、そこから最善の方向を一緒に考えていけるのかというところが、問題になるのだろう。
少しでも包摂性の高い社会を目指したいものだ。
まず膣は免疫機能にすぐれた外敵を体内に侵入させにくい構造と機能を有していることが説明されます。
続いて、桜井さんが「ということは、男女の性行為と違って、男性同士の同性愛の場合は、ペニスと肛門の組み合わせになります。これは人体のつくりに適ったものではない、ということでしょうか」と質問を発する。
中山医師は「そうです。ホモの行為では、ペニスは肛門から直腸に挿入されます。そのような部分は、すぐに痔になることでわかるように脆いところです」という。言いたいことは分かるけれど、痔になるのと免疫機能とはまた別の問題だと思われます。痔は直立二足歩行の代償だというのが通説となっている。
しかし、肛門がウイルスや細菌の感染を起こしやすい部分だというのは間違いないだろう。そこから感染が起こりやすいことも間違いない。
そういう前振りから突然「一夫一婦制の医学的価値」へと話が進む。
中山医師は「鳥以上の、高等な生物には免疫システムが備わっています。免疫システムというのは、ウイルスや細菌の侵入、自分以外の異種タンパク質から自分を守るための防御システムを意味します」と言う。
「鳥以上の高等な生物」というのが指す範囲がまったく不明である。
「鶴は一夫一婦制を守る純潔性の高い鳥と言われていますが、鶴のような高等な鳥類や哺乳類といった生物は、自身の命を破滅させるような行動はしない習性や知恵を本能的に身につけています。ところが万物の霊長といわれる人間だけが、雑交という、生きる掟を破る危険な行為をしています」というあたりで、怪しくなってくる。この人は動物学の成果を参照していない。わたくしたちは日本人であるからニホンザルが乱婚型の生殖をすることくらい常識の類である。一夫一婦制だと思われていた鳥類もオシドリは離婚を繰り返すことが分かっているし、ペンギンも旦那の留守中に隣のオスと交尾することが分かっている。遺伝子を用いた父子鑑定が行われるようになって、かなりの割合で召すの浮気があることが明らかになっている。こうした行動の進化的な意義を探る研究は、進化学での大きなトピックスとなっている。
次に性感染症の話に移り、症状の説明とともに、女性のほうが重篤な後遺症を残すことが説明される。ここは異論ない。
性病予防にコンドームは役に立たないことを言い立てて、まず「いつもコンドームを使う」と答えたカップルの15%が避妊に失敗しているというデータを示して、これが「精子がコンドームを通過したせいだ」と考える。そしてこう述べるのだ。
「精子とHIVウイルスの大きさを単純に比較してみても、精子は全長50マイクロメートル、一方、HIVウイルスは直径約100ナノメートルなので、HIVウイルスは五百分の一ということになります。
これでは、素人判断でも、、HIVウイルスは、精子よりもさらに容易にコンドームを通過できるだろうなあ、と思うのですが。」
これに対して、中山医師は否定も肯定もせず、コンドームでは性器ヘルペスや尖圭コンジロームなどの場合には病変部を完全にカバーできないことをあげた後、「このコンドームですが、電子顕微鏡で見れば網目があって隙間だらけです。加えて、日本ではゴムの薄さを売りにしてきました。しかし、この薄さは破れやすいだけでなく、このミクロの隙間からウイスルが通過する可能性無きにしもあらずと指摘され、少し厚めの製品に変わる動きがありました」という。これが本当なら大変なことである。
そこでコンドームメーカーに問い合わせてみまた。
不二ラテックスからの解答。
玉野様
たいへん遅くなりましたが、
弊社技術部より回答がありましたのでお知らせします。
”コンドームのウイルス透過性試験について”
バイオハザード取り扱い認定を受けた外部機関にて
HIV(90~130nm)より小さいウイルスを用いて透過性試験を行い
透過しないことが確認された。
ヒト精子の大きさは(50~60μm)ですので
当然透過しない。
と言うことでございます。
相模ゴムさんからの解答
玉野様がお読みになりました本をはじめ、性教育に関する本の中にはコンドームに数ミクロンの孔が開いており妊娠の予防、エイズなどの性感染症の予防に無効性を主張する専門家の意見が載っているものもあれば、孔は開いておらず避妊に有効な避妊具と唱える肯定的な専門家の意見も載ってあります。
現在に至ってもどちらが正しいのか物議をかもしているところです。
弊社のラテックス製コンドームは「二重加工」になっております。コンドーム製造過程をお話ししますと、コンドームの形をしたガラス型をラテックス液にまず1回浸し、乾燥させ、この際出来た隙間を塞ぐ様に再度ラテックス液に浸し乾燥させております。
電子顕微鏡でラテックス製コンドームの皮膜表面を観察しますと凸凹状になっており、一見孔が開いているように見えておりますが、2000倍に拡大しても明らかな隙間は認められてはおりません。
パッケージをご覧いただくとお分かりになりますが、コンドームは管理医療機器でして、厚生労働省指導のもと「避妊」「性感染症」の効果について記載しております。もし、精子やウイルスが皮膜を通過してしまうものでしたら、厚生労働省よりこのような指導はございません。
続く「100%の効果を保証するものでは有りません。」の部分ですが、これは使用者が個包装開封時または装着する際、爪や鋭利な物でコンドームを傷つけてしまい、それに気づかず使用してしまう場合が考えられますので、このような表記をしております。
また、薄くなるほど避妊に失敗したり、性感染症になる可能性については一概にはそう言えません。
といことです。
厚生労働省の指導ということなので、もし本当にウイルス漏れで感染の機会があるのだとすると、そのことを承知しながら認可を続けた厚生労働省はまたもや、薬害と同等の罪を犯したことになる。
桜井さんらが主張するように、セックスなんてしなければ絶対に性感染は起こらない。だから、性感染症を防ぐためには、セックスをするなといえばいいということになる。
しかし、これだけ性に関する情報が蔓延する現代社会で、それが実際的なのか、と言う問題が当然のことながら思い浮かぶ。 次世代を作るためにはセックスをしなければならない。こうした性感染症の危険もあり、相手と性関係に持ち込む面倒くささを乗り越えてセックスをしなければならない。自由恋愛の社会になると、そのためのエネルギーを多く持ってないとセックスにいたれないということになります。それでもセックスをするためには、それなりの欲求や衝動がなければならない。そのために、「気持ちいい」という報酬系が備わっている。もちろん人間だから理性である程度の抑制はきくのだろうが、完全に抑制するのは難しい。
さらに本書では、家庭における愛に飢えた子どもがやさしくされた経験で簡単に男にべったりになり、セックス三昧に陥ることもあるという。若者が自我の隙間を埋めるためにセックスをするのは珍しいことではないだろう。しかし、だからといって「温かい家庭を!」といっていればいいというだけではないだろう。どうしても、そこからはこぼれ落ちる人が出るからだ。とくにこれだけ貧困層が拡大してくると、子どもと向き合ってしっかり育てていきたいと願ったところで、いくつもの格安アルバイトを掛け持ちせざるを得ない人たちがいて願いかなわない。中山医師は「せめて十歳まで、親は育児に全身全霊で取り組んで欲しい」というが、そういわれてもそうできない人も大勢いるのである。
次に中山医師は、ジェンダーが幼少期には可塑性があるということをいって、男の子を作るためには、木登りや探検ごっこなどの冒険や遊びがなければならないという。その過程で「性的二型核」が男子タイプになるのだそうだ。こういうことを証明するデータは私は寡聞にしてしらない。男性同性愛者には女の子が好む遊びを、ジェンダーを構成する文化に接する以前から好む傾向があることは、レトロスペクティブにもプロスペクティブにも示されている。そのあとで、木登りや探検ごっこを強制的にやらせたところで、時すでにおそしかもしれない。
こうしてみてくると、桜井さんはイデオロギーの違いを考えなくても(私は性教育は適切に行うべきだと考えている。何が適切なのかと言うことろで議論は残っているにしても)、「そこからこぼれるもの」に対する視線が全くないことが分かる。自分たちの正義を押し付けて、それを声高に主張するのは結構だが、不可抗力にしろなんにしろそこからこぼれてしまう者への視点を持っていただきたいと思う。
さらに、自説を補強するためには、科学的な結果も、科学的でない憶測も、はっきりとした間違いも援用している。「科学的」を標榜するよりも、良心を欠くのではないだろうか?
HIV感染者にしろ、同性愛者にしろ、恵まれた家庭環境を与えられなかった子どもにしろ、与えることができなかった親にしろそれはどうしようもないことである。人間、多少の逸脱をすることもあるだろう。とくに性という強い報酬系が働く場面では、避けがたいことだ。どんな教育をしたってマスで見ると一定割合で、性の規範に逸脱する人は出てくる。その割合をできるだけ最小化するための方策を話し合うべきだろう。そして、それでもそこから逸脱するマイノリティに対して、単に軽蔑的な視線を投げかけるのか、そこから最善の方向を一緒に考えていけるのかというところが、問題になるのだろう。
少しでも包摂性の高い社会を目指したいものだ。
実家が愛知県ということもあり、なんだか喜ばしくおもっております。
どこへ行けば会えますか?
万華鏡子
maniainaming@gmail.com
よく知らない方にいきなり会うことはしないんで、書き込み等々である程度知り合ってから、お願いします。
mixiのコミュニティなどでも構いませんので(アリーチェです。マイミクは事前に交流のない方はお断りしてます)ある程度、交流してから順次お願いします。
あたしも読みました、この本!
コンドームについての言及はあたしも気になっていたので、参考になりました。
ありがとうございました。