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セクシュアリティ・科学・社会・映画

『ヨコハマメリー』(中村高寛監督)

2006年06月18日 02時19分05秒 | セクシュアリティ雑感
 『ヨコハマメリー』見てきましたよ。
 監督と主題歌を歌った渚よう子さんのトークショーもあるということで、シネマテークにしては珍しく、立ち見も出る超満員。100人くらいいたと思います。

 映画はヨコハマのメリーさんを取り巻いていた人々の証言をもとにメリーさんの像を構築していこうとします。普通、人物ドキュメンタリーはその人の生き様や挫折や成功のきっかけとなった事件を掘り起こしながら再構築するのが定石ではありますが、そうはなりません。あるいは、90年代の多くのゲイ・ドキュメンタリーがそうであったように自分の存在の承認を求めるパターンでもない。かといって、小川伸介やフレデリック・ワイズマンあるいはマイケル・ムーアのように社会問題を抉り出そうとするわけでもない。
 たんたんとメリーさんの周囲の人びとを映画は映し出します。
 メリーさんが横須賀で将校相手のパンパンで、その後伝説の娼婦として生きていた流れから、戦後昭和の風俗史も織り込まれます。たとえばエイズパニックの時期にメリーさんの髪を切っていた美容院でも、他のお客さんからメリーさんを毛嫌いする声が高まってメリーさんにお断りすることになったとか・・・。
 メリーさんはホームレス生活者であるにもかかわらず気高く生き抜いた。そういう人生を映画で再構築できた。彼女には暗い噂は絶えずあったため、「まっとうな考えの持ち主だったらしい」というだけでも驚きの対象となる。周囲を取り囲んでいた人たちのファンタジックなメリーさん像ができあがる。監督がいみじくも後のトークで「メリーさんの写真集はファンタジックにできているけれど、実際は本当にオバケみたいでした」と語ったが、「オバケ」としてのメリーさん像はほとんど出てこない。
 ヨコハマではほとんど定番の風景と化していて誰もが知っているメリーさん。監督も横浜で育ったそうだ。
 取材を始めてから9年目にしてやっと完成にこぎつけた。ぼくはトークの質疑応答で、「どうして途中諦めることもなく9年間もモチベーションが維持できたんですか?」と聞いてみた。監督は「どうしてでしょうね?」と困りながら、「これは僕が子どもの頃からの生活の一環だったんです」といった。
 ある種、生活の中にぽっかりあいたナゾを埋めていく作業。だが、そこには自我の欲求はない。人々が生活をしていく中で、いろいろな人に出会い、その中に登場するいろいろな人びと。人には嫌われていたりするかもしれないし、お金とも名誉とも無縁かもしれない。そういう人にもユニークな人生がある。これは『嫌われ松子の一生』のドキュメンタリー版ともいえる。

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