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『VOLVER 帰郷』(ペドロ・アルモドバル監督)

2007年07月22日 10時57分03秒 | 映画雑感
 巨匠です。
 アルモドバル監督の描く女性たちの、なんとしたたかで細やかで図々しいことか。橋口亮輔やフランソワ・オゾンが描く女性たちは、図太く図々しいが、ゲイである彼らはその図太さを称揚するけれど、アルモドバルは女性の多面性を丁寧になぞりながらそのまま称揚する。肯定の度合いがより深く、より根源的だ。『オール・アバウト・マイ・マザー』でもそういったところはあったが、今回より徹底してきたと思う。
 何者かをどこまでも肯定するのは覚悟がいる。その覚悟の深さが画面ににじみ出て、いつも通りポップな絵作りになっていても、いつも以上にすごみがある。全ショットがアルモドバル印である。

 まるで60年代の犯罪映画のようなタッチで、重厚な音楽の伴奏を伴ってじっくりと世界のうす皮を丁寧に一枚一枚はぎとっていく。世界はサスペンスであり、サスペンスをはらみながら私たちの生活はなりたっている。たとえば、デヴィッド・リンチのようにそれをあからさまにしていくことで世界が瓦解していくわけでもなく、フランソワ・オゾンのように悪趣味に向こう側を暴き立てようともしない。あくまでも柔らかに、あくまでも細やかに、向こう側がこちら側に浸潤しないようにしながら、向こう側がこちら側に対して発するメッセージを世界はひそかに刻印しつつ、生活は続いていく。
 人びとが抱える「襞」を丁寧に描き出しつつ、そっと襞を襞のままにしておくというのは、実は映画にとっては難しいこと。描くという行為が、そもそも襞の奥底を表面化してしまうことだから。したがって、「描かない」ということをもってしか描けないわけです。それができるってことは自身の映画文法が映画がこれまでに撮りためてきた歴史の正統な立ち居地にいて、映画が何を表現できるのかを極限まで突き詰めた結果としての優しさの表現がここにはあります。その優しさは図太さに裏打ちされていることも、繊細さが大胆さと表裏一体であることもすべて含めた上での世界の肯定。参りましたよ。

 このごろあまり映画を見れなくなってしまったけれど、これは今年見た中ではやっぱりベスト。アルモドバルの映画はもともと好きだけれど、すごく深い境地に立ち至っているようにおもいました。もう、どうやったっていい映画しか撮れないんじゃないかと思うほどだよ。一般受けするかどうかはまた別として、これは傑作です。

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