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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『舞踏会の手帖』

2020-12-21 00:59:23 | goo映画レビュー

原題:『Un carnet de bal』
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ/アンリ・ジャンソン/イヴ・ミランド/ジャン・サルマン/
    ピエール・ヴォルフ/ベルナール・ジマー
撮影:フィリップ・アゴスティーニ/ミシェル・ケルべ/ピエール・ルバン
出演:マリー・ベル/モーリス・ベナール/フランソワーズ・ロゼ/ルイ・ジューベ
1937年/フランス

二人の感傷的な対話について

 主人公のクリスティーヌ・ シュルジェールをピエール・ヴェルディールが「クララ」と呼ぶのはフランスの詩人のフランシス・ジャム(Francis Jammes)の小説『クララ・デレブーズ(Clara d'Ellebeuse)』由来らしい。ここでは2人が唱え合ったポール・ヴェルレーヌの『感傷的な対話(Colloque sentimental)』を和訳しておきたい。因みにこの詩には曲も付いていて作曲はクロード・ドビュッシー(Claude Debussy)で『艶なる宴 第2集』(1904年)で発表されている。

「Colloque sentimental」 Paul Verlaine 日本語訳

人気の無い冷ややかな古びた公園で
今しがた二つの人影が過ぎ去って行った

彼らの目は死んだようで唇に締まりはなく
お互いの会話はほとんど聞き取れない

人気の無い冷ややかな古びた公園で
二つの亡霊が過去を思い出した

「君は僕たちの昔の忘我を思い出すかい?」
「一体どうしてあなたは私にそれを思い出させたいの?」

「君の心は僕の名前だけでいつでもときめくのかい?
今でも君は夢の中で僕の魂を見るのかい?」
「いいえ」

「あぁ、言葉に尽くせない幸福なあの美しい日々!
僕たちはただ唇を重ね合わせた」
「無きにしも非ず」

「なんて空は青く、希望は大きかったことか!」
「希望は黒い空に向かい、打ち破った」

こうして荒れ果てたカラス麦の中を二人は歩いていた
夜だけが二人の会話を聞いている

Philippe Jaroussky : "Colloque Sentimental" de Debussy et Verlaine


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『ミッドナイト・スカイ』

2020-12-20 00:56:07 | goo映画レビュー

原題:『The Midnight Sky』
監督:ジョージ・クルーニー
脚本:マーク・L・スミス
撮影:マーティン・ルーエ
出演:ジョージ・クルーニー/フェリシティ・ジョーンズ/カイル・チャンドラー/デミアン・ビチル
2020年/アメリカ

家族円満の映画監督の限界について

 敢えてタイトルは記さないが、本作は過去のSF映画の名作をなぞっているだけのように感じた。核に汚染された地球上から「K-23」と呼ばれる新天地へ生存者たちが移住しようとする中、ジョージ・クルーニーが演じる主人公で著名な科学者のオーガスティン・ロフトハウスは末期がん(?)を患っていることもあって、北極にある基地に残って間もなく地球に帰還してくる宇宙船に地球の現状を知らせる決心をする。
 オーガスティンは自分一人だけが残っていると思っていたが、アイリスという少女が残っていたことに気が付くのだが、ラストになってその少女はオーガスティンの幻想であることが分かる。宇宙船には宇宙飛行士のサリーが乗船しており、サリ―の母親のジーンとオーガスティンは知り合いで、サリ―はオーガスティンに憧れて宇宙飛行士になったのである。しかしサリーは知らないのだが、サリ―はオーガスティンとジーンの娘であり、だからオーガスティンは地球にとどまったのである。
 ジョージ・クルーニー監督作品はけっこう観ているのだが、ブログを見直すと監督としては全く評価していなかった。クルーニーは映像に対する感性が鈍く、センチメンタルに流される傾向があると思う。
 宇宙飛行士たちが歌っていたニール・ダイアモンドの「スイート・キャロライン」を和訳しておきたい。

「Sweet Caroline」 Neil Diamond 日本語訳

それがどこで始まったのか
僕には知りようがないけれど
それがますます強まっていることは分かるんだ

春だっただろうか?
春が夏になって
君が現れることを誰が想像しただろうか?

手が触れあい
手を差し伸べると
僕に触れて
君に触れるんだ

愛しいキャロライン
良い時が本当に良いとは全く想像していなかった
僕は良い時が良いなんてあり得ないとずっと信じがちだったけれど
今の僕は

夜を見つめてみると
それほど寂しいようには思えない
僕たちは二人だけで満足してしまうから
僕が傷ついても
痛みは僕の肩から落ちて行く
君を抱きしめているのに
どうやって僕が痛みを感じられるというのだろうか?

ぬくもりが伝わって来る
手を差し伸べると
僕に触れて
君に触れるんだ

愛しいキャロライン
良い時が本当に良いとは全く想像していなかった
僕は良い時が良いなんてあり得ないとずっと信じがちだったけれど
違っていたよ

Neil Diamond "Sweet Caroline" on The Ed Sullivan Show


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『ネクスト・ドリーム/ふたりで叶える夢』

2020-12-19 00:57:03 | goo映画レビュー

原題:『The High Note』
監督:ニーシャ・ガナトラ
脚本:フローラ・グリーソン
撮影:ジェイソン・マコーミック
出演:ダコタ・ジョンソン/トレイシー・エリス・ロス/ケルヴィン・ハリソン・Jr./ゾーイ・チャオ
2020年/アメリカ

日本語字幕の限界について

 原題の「ハイ・ノート」とは高音という意味はもちろんのことキャリアのピーク時や最高潮という意味も持つのだが、ここではラストの驚愕のネタバレを避けて印象的な場面に関して書いておきたい。
 主人公のマギー・シャーウッドがグレース・デイヴィスの付き人の職を解雇され、父親でラジオDJのマックスが住む家に転がり込み、翌朝、マックスがマギーにジョニ・ミッチェルの曲を流そうと思うが何にしようか訊ねるシーンがある。ミッチェルはジャクソン・ブラウンとも付き合っていたが、ジェームズ・テイラーが恋人の時だったなら「バラにおくる(For the Roses)」が良いとマギーは答える。もちろん字幕の字数の都合上、ジャクソン・ブラウンもジェームズ・テイラーの名前も出てこないのだが、このようなネタが詰め込まれているのである。
 トレイシー・エリス・ロスの「ラヴ・マイセルフ」を和訳しておきたい。

「Love Myself」 Tracee Ellis Ross 日本語訳

自分の若き日々を忘れることは容易い
今の私は絶えずテレビをつけていなければならず
色あせてきてゆっくりと歪んでいく記憶を見るから
私を不安にさせて気を狂わせ
ストレスを抱えている

でももしも自分に嘘をついているのならば
この愛はまがい物だろうか?
私は自分の感覚を捏造しようとしているのかしら?
もしも自分自身をはっきり認識していないのならば
私は自分自身が見知らぬ他人で
まるであたかもリアルのように見せかけようとしているのかしら?

私は気にしない
うつむいたままではいたくない
分け合うものがなにもない
たぶん私は電話を手放すべきなのよ
誰もが私を好きかどうかはどうでもいいの
ただ私は自分自身を愛したいの
自分自身を愛したい
自分自身を愛したい

心が語り始めると集中することは難しい
自分の心をオフにする方法さえあればいいのに
明かりを灯しながら眠る唯一の方法が
私を孤独にして気を狂わせる

でももしも自分に嘘をついているのならば
この愛はまがい物だろうか?
私は自分の感覚を捏造しようとしているのかしら?
もしも自分自身をはっきり認識していないのならば
私は自分自身が見知らぬ他人で
まるであたかもリアルのように見せかけようとしているのかしら?

私は気にしない
うつむいたままではいたくない
分け合うものがなにもない
たぶん私は電話を手放すべきなのよ
誰もが私を好きかどうかはどうでもいいの
ただ私は自分自身を愛したいの
自分自身を愛したい

眩暈がして地面が崩壊し
両手が震えるから集中できない
愛を失くしてしまい毎日が最悪
私に必要なものは
大丈夫だと私に言ってくれる私自身なのよ

私は気にしない
うつむいたままではいたくない
分け合うものがなにもない
たぶん私は電話を手放すべきなのよ
誰もが私を好きかどうかはどうでもいいの
ただ私は自分自身を愛したいの
自分自身を愛したい

私は気にしない
うつむいたままではいたくない
分け合うものがなにもない
たぶん私は電話を手放すべきなのよ
誰もが私を好きかどうかはどうでもいいの
ただ私は自分自身を愛したいの
自分自身を愛したい

“Love Myself" - From the Motion Picture THE HIGH NOTE - Official Music Video


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『燃ゆる女の肖像』

2020-12-18 22:26:58 | goo映画レビュー

原題:『Portrait de la jeune fille en feu』
監督:セリーヌ・シアマ
脚本:セリーヌ・シアマ
撮影:クレア・マトン
出演:ノエミ・メルラン/アデル・エネル/ルアナ・バイラミ/バレリア・ゴリノ
2019年/フランス

名作を損なわせる日本語字幕について

 主人公で画家のマリアンヌがエロイーズに貸した書籍はオウィディウスの『変身物語』の第10巻で、オルフェウス(オルフェ)と彼の妻のエウリュディケー(ユリディス)の物語が書かれている巻である。使用人のソフィと3人が議論したことは毒蛇に咬まれ冥界に落ちたユリディスを救うために、オルフェは冥界の王のハーデースに「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付けられて妻の先を歩いて冥界から抜け出そうとするのだが、不安になったオルフェが後ろを振り返ってしまい、その目撃を最後にユリディスは不帰の客となるという話に関してである。
 本作においてオルフェはマリアンヌでユリディスがエロイーズに当たるはずで、マリアンヌが三回白いウェディングドレス姿のエロイーズを目撃するのだが、オルフェが最後にみるユリディスの姿と重なるだろう。
 その後、マリアンヌがブルターニュの孤島を離れ、エロイーズがミラノの貴族に嫁いだ後、マリアンヌは2回だけエロイーズを目撃している。一回目は自身の作品を出品した美術展において、マリアンヌはオルフェが振り返ってユリディスを目撃した瞬間を描いたのだが、その美術展に展示されていた作品の一つに一人娘を連れて、片手にマリアンヌから借りた書籍を持ち、マリアンヌがエロイーズのスケッチを描いた「28ページ」を示したエロイーズが描かれていたのである。
 もう一度はクラシックコンサートにおいてマリアンヌの向かい側の席に一人でコンサートを聴きに来たエロイーズがいたのだが、エロイーズは決してマリアンヌの方を振り向こうとせず、ただステージを見つめて泣いているのである。それが演奏されている音楽に感動したものなのか、あるいはマリアンヌの方を振り向かないと決意した哀しみなのか微妙なところなのだが、振り向いたことが原因でオルフェが妻のユリディスを失ったことを知っているエロイーズはマリアンヌを失わないために敢えて振り向かなかったのではないだろうか。相手の方を見ないことが愛の証明だからなのだが、それでは「視線」無しで愛が存在するかしないか誰が判断できるというのかという問題は残ったままではある。
 ところでどうも日本語字幕に違和感があった。横井和子という人が翻訳したようなのだが、例えば「口(bouche)」と訳すところを「耳」と訳していたり、マリアンヌとエロイーズがずっと「です・ます調」で会話をしていたりして、もう少し工夫はないものなのかと思いながら物語の理解に困難を生じたことははっきりここに書いておきたい。


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『追龍』

2020-12-17 00:58:26 | goo映画レビュー

原題:『追龍』 英題:『Chasing the Dragon』
監督:バリー・ウォン/ジェイソン・クワン
脚本:バリーウォン
撮影:ジェイソン・クワン
出演:ドニ―・イェン/アンディ・ラウ/フィリップ・キョン/ケント・チェン/ブライアン・アーキン
2017年/香港・中国

「ドラゴンを追う」という意味について

 英題の「Chasing the Dragon」とは沸き立つ煙が龍のように見えることから「アヘンやヘロインを熱してその煙を吸う」という意味がある。確かに主人公で1960年に中国の潮州から移民としてやって来たン・シーホウは麻薬を売って香港の闇社会でのし上がっていったのだが、1974年に「廉政公署(ICAC)」が設立され、香港警察署長のリー・ロックを頼れなくなったホウが捕まった時、まるで『ドラゴンへの道(The Way of the Dragon)』(1972年)や『燃えよドラゴン(Enter the Dragon)』(1973年)に主演し、大スターの地位を築きながら1973年7月20日に急死したブルース・リーを追うようにして失脚したように見えるのである。それでなければ本作の冒頭でわざわざ1973年の香港を映している意図が分からない。


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『新解釈・三國志』

2020-12-16 00:41:08 | goo映画レビュー

原題:『新解釈・三國志』
監督:福田雄一
脚本:福田雄一
撮影:工藤哲也/鈴木靖之
出演:大泉洋/賀来賢人/橋本環奈/山本美月/ムロツヨシ/城田優/佐藤二朗/西田敏行/小栗旬
2020年/日本

新解釈以前の問題について

 例えば、自ら「カーニバル&フェスティバル」を生み出すことで哄笑を誘おうと試みるのが『脳天パラダイス』(山本政志監督 2020年)であるのならば、既成の物語(ここでは三國志)を「脱構築」して観客を笑わせようと試みる監督が福田雄一であり、理解のしやすさで言うならば、ある程度大筋が分かっている『三國志』を「悪ふざけ」で演出すればオリジナルとの「落差」を感じた観客の破顔を期待できるものの、最近の福田監督作品はストーリーよりも役者のキャラに頼りがちで、主演が大泉洋でなくても、あるいは渡辺直美がいなくてもストーリーだけで観客の笑いを取ることができたかどうかは微妙だと思う。


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『脳天パラダイス』

2020-12-15 00:48:13 | goo映画レビュー

原題:『脳天パラダイス』
監督:山本政志
脚本:山本政志/金子鈴幸
撮影:寺本慎太朗
出演:南果歩/いとうせいこう/田本清嵐/小川未祐/玄理/村上淳/古田新太/柄本明
2020年/日本

小中学生向けの「R-15」作品について

 昨今コメディー作品で名を馳せている映画監督といえば三谷幸喜や宮藤官九郎といったところで、その背後で福田雄一や大根仁や河崎実が頑張っている感じだと思うが、山本政志監督がどのような位置にいるのか寡聞にして知らないものの、本作のようにブランコを漕いでいるススムという男の子が棒になり、常滑の湯につけると元に戻るとか、発した言葉が「物質化」したりというストーリー展開は寧ろ子供にウケるように思うのだが、本作は「R-15」で対象になるべき小学生や中学生は見ることができないのである。
 個人的にはお金を払ってまで観るような作品ではないと思ったのだが、これはあくまで好みの問題であろう。


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『サイレント・トーキョー』

2020-12-14 00:45:40 | goo映画レビュー

原題:『サイレント・トーキョー』
監督:波多野貴文
脚本:山浦雅大
撮影:山田康介
出演:佐藤浩市/石田ゆり子/西島秀俊/中村倫也/広瀬アリス/井之脇海/財前直見/鶴見辰吾
2020年/日本

ミスリーディングのし過ぎで迷走してしまった作品について

 「いったい何の話をしているんだ?」という言葉が登場人物の口からよく発せられるのだが、それはこの作品を観に来た観客も同様に感じることだと思う。
 時代設定は2019年の12月24日で、人気アプリの開発で『AERA』の表紙まで飾るようになった須永基樹には家族に問題があり、1992年のクリスマスイブに須永が両親と行ったレストランでの回想シーンなどが描かれるのであるが、須永を演じた中村倫也の代わりに子役が演じるのはともかく、須永の両親である朝比奈仁を演じた佐藤浩市も須永尚江を演じた財前直見も、さらには山口アイコを演じた石田ゆり子も含めて27年前のシーンは別人が演じておりどうも感情移入できないのである。渋谷のスクランブル交差点をあれほど忠実に再現したのに、何故特殊メイクで若き頃の佐藤や財前や石田を再現しなかったのか。
 敢えてネタバレで書くが、犯人の「日本の首相とテレビの生放送で一対一で対話させよ」という要求には無理がある。それで首相の信条を翻意させられるはずもなく、わざわざ捕まりに行くようなものなのだから、磯山毅首相がこの要求を呑まないのも疑問なのである。
 須永は渋谷の殺傷圏内の半径50メートル以内に入らなければ大丈夫という情報をオフィスの留守電に残されていた朝比奈仁のメッセージから知ったのだから、朝比奈仁と山口アイコは今回のテロの共犯でなければならない。山口がいた喫茶店に朝比奈が持ってきていたカバンの中にはレインボーブリッジに仕掛ける爆弾が入っていたはずであるが、世田志乃夫を始めとする警察に包囲され、少なくとも朝比奈は山口にテロの動機を語らせることにし、山口が動機を語り終えた時点で、償うために朝比奈は山口と心中する決心をしていたのではないだろうか。
 大作の割には99分という上映時間は短すぎると思う。


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『BOLT』

2020-12-13 00:51:10 | goo映画レビュー

原題:『BOLT』
監督:林海象
脚本:林海象
撮影:長田勇市
出演:永瀬正敏/佐野史郎/金山一彦/後藤ひろひと/月船さらら/吉村界人/堀内正美/佐藤浩市
2019年/日本

「神の年」の到来について

 「BOLT」「LIFE」「GOOD YEAR」の3つのエピソードからなる本作は東日本大震災による福島県の原子力発電所事故をモチーフにしたものだが、そのようなテーマ以前に映像の作り込みにセンスを感じる。
 作業員たちが被るヘルメットの内部に電飾があったり、彼らが使用しているタイマーもレトロなもので、彼らがボルトを閉めに向かうタンクは怪獣のように見える。これは写実というよりも昔のテレビドラマ「ウルトラQ」を意識したものであろう。
 「LIFE」で永瀬が演じる主人公は福島県の避難指示区域で孤独死した男性の家を遺品整理業者として訪れ、そこで主人公が見た幻想はデンキナマズを飼っている老人の死体だった。「GOOD YEAR」で主人公は車の整備をしながら、水槽にデンキナマズを飼い発電の可能性を探り研究を続けている。そこに亡き妻「アベ・マリア」の亡霊が訪れる。店の電光掲示の「GOOD YEAR」の文字の三番目の「O」の明かりが消えて「GOD YEAR」と提示した時、その「クリーンエネルギー」の研究の成功を祈願しているように見える。


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『泣く子はいねぇが』

2020-12-12 00:49:25 | goo映画レビュー

原題:『泣く子はいねぇが』
監督:佐藤快磨
脚本:佐藤快磨
撮影:月永雄太
出演:仲野大賀/吉岡里帆/寛一郎/山中崇/田村健太郎/古川琴音/余貴美子/柳葉敏郎
2020年/日本

愛する者に近づく方便としての「よそ者」について

 秋田県の男鹿半島で暮らす主人公の後藤たすくは妻のことねとの間に娘が生まれたばかりなのだが、その2人の関係は上手くいっていないように見える。その後、たすくは地元の伝統行事である「ナマハゲ」で鬼の面を被って例年通りに参加するものの、打ち上げで悪酔いしてお面を被っただけの素っ裸で町を走り回り、その模様がテレビで放送されたことから、翌年の行事は中止に追い込まれ、同様に追い込まれたたすくは故郷を出て東京で一人で暮らすことになる。しかしここで確認しておきたいことはたすくは決してアルコール依存症であるとはっきり描かれているわけではないことである。
 それから2年が経ち、離婚したたすくはフットサルの遊技場でアルバイトをしており、幼なじみの志波と再会したことを機に、地元に戻ったのはおそらく2020年の秋頃であろうが、2人が酒場で飲んでいると隣の客にクレームをつけられたたすくは相手と口論になり、志波が加わって大喧嘩に発展する。
 地元に戻ったものの、たすくに居場所はなく、母親たちのババヘラアイス売りの手伝いをしながら、志波を手伝うつもりでサザエを密漁していたのだが、警察官に見つかってしまう。その上、ことねには既に恋人がいて保育園に行っても2年以上経っているために自分の娘の凪がどの子なのか分かるはずもない。
 このようにストーリーを辿っていくと、本作のテーマは主人公の「子供っぽさ」という単純なことではなく「当事者」になれない苦悩が描かれていると思う。どこへ行っても弾き出されるたすくが選んだ行動が最後に描かれているのだが、敢えてナマハゲという「よそ者」に徹することで最愛の娘に近づくことなのである。


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