新潮文庫版の田山花袋の『蒲団』の気持ち悪さを確認するつもりだったのだが、『重右衛門の最後』に気になる記述があったので、そのことに関して書いておきたい。
『重右衛門の最後』とは、主人公の富山が16歳の頃に上京して勉強していた時に長野から上京していた背の高い方の杉山と背の低い方の山県行三郎と意気投合し、半年後に彼らの同郷の根本行輔も合流し、2年ほど交際していたが、山県と根本は帰郷し、杉山は陸軍幼年学校の試験に落ちてしまってから生活が荒れ、1年経ってから帰郷してしまい3人とも音信不通になってしまうのである。
それから5年後、富山は彼らの故郷である長野の塩山村を訪れ、偶然根本と再会し、自宅に案内されるのだが、そこで富山は放火魔と噂される藤田重右衛門という43歳の男と彼の養子の17歳の娘の話を聞くのである。
粗筋はこれくらいにしておくが、興味深い部分は上京してきたばかりの2人が「ナショナル・リーダー」という英語の教科書を読まされているシーンで、甚だしい田舎訛で読まれる文章で、それは「イット、エズ、エ、デック」と「ズー、ケット、ラン」と表記されているのであるが、この文章が何を意味しているのか気になったのである。
甚だしい田舎訛で発音されたことを考慮するならば、原文は「It is a dick.」と「You can't run.」ではないだろうか。つまりこの2つの文章はその後に登場する藤田重右衛門が生まれつき腸の一部が睾丸に下りて「大睾丸」を患っていることと、結局、重右衛門が病気から、あるいは故郷から逃げることができないということが暗示されているのである。
ところで何故田山花袋はこのような「仕掛け」を施したのか勘案するならば、自然主義派の作家として、インテリはともかく一般庶民には西洋からの「輸入小説」など理解できないというアイロニーを込めたような気がする。それはおそらく当時文壇の重鎮だった坪内逍遥に向けられたものではなかったか。
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