田山花袋が『重右衛門の最後』を発表したのが明治35年(1902年)5月で、その5年後の明治40年(1907年)9月に『蒲団』は発表された。
主人公で小説家の竹中時雄の弟子になった横山芳子に間もなくして田中秀夫という学生の恋人ができる。時雄の恋愛観は「(時雄は)古人が女子の節操を戒めたのは社会道徳の制裁よりは、寧ろ女子の独立を保護する為であるということ、一度肉を男子に許せば女子の自由が全く破れるということ、日本の新しい婦人も是非ともそうならなければならぬということなど主なる教訓の題目であったが、殊に新派の女子ということに就いて痛切に語った。」(p.53)というものである。
このような考え方を芳子に当てはめて時雄は改めて考えている。「かれは真面目に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇を憐れむべきを思い遣った。自然の最奥に秘める暗黒なる力に対する厭世の情は今彼の胸をムラムラとして襲った。」(p.63)
そう言いながら時雄は「この世の中に、旧式の丸髭、アヒルのような歩き振、温順と貞節とより他に何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。路を行けば、美しい今様の細君を連れての睦じい散歩、友を訪えば夫の席に出て流暢に会話を賑かす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶には風馬牛で、子供さえ育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。」(p.15-16)と、かつての「女子」である妻に対して身勝手な言いぐさなのである。
しかしそもそも竹中時雄の性格は「性として惑溺することが出来ぬ或る一種の力を有っている。この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思っているのであるが、それでもいつか負けて了う。征服されて了う。これが為め彼はいつも運命の圏外に立って苦しい味を嘗めさせられるが、世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。」(p.25)とキャラクター設定されている。つまり時雄は最初から芳子との同衾は禁じられているのである。自然主義派の作家と謳われている田山花袋の小説の主人公が持つ絶対に抗えない「一種の力」が気になる。自分は禁欲でいられるにもかかわらず、何故女子は一度破瓜に見舞われると性に奔放になると思い込んでいることは極めて不自然ではないだろうか。
以上のことを踏まえて『重右衛門の最後』で描かれた西洋に対するアイロニーを鑑みるならば、秀夫はかつて同志社大学で宗教家になる勉強をしており、芳子は神戸女学院大学の学生ということだから、時雄の芳子に対する想いとは西洋の文化、「ハイカラ」や「ポップ」という概念に対する憧れの反映であり、だからラストで芳子の蒲団や夜着の襟の匂いを嗅ぐのは頭では分からなくても少しでもそのような西洋思想を吸収しようと試みる時雄の(つまりは田山の)最後の「悪あがき」ではないのだろううか。
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