goo blog サービス終了のお知らせ 

MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ボクサー』(1977年)

2017-12-06 00:40:43 | goo映画レビュー

ボクサー(予告編)

原題:『ボクサー』
監督:寺山修司
脚本:寺山修司/石森史郎/岸田理生
撮影:鈴木達夫
出演:菅原文太/清水健太郎/春川ますみ/地引かずさ/伊佐山ひろ子/大泉滉/唐十郎
1977年/日本

寺山修司の「ファザーコンプレックス」について

 さすが寺山修司の演出と思わせるシーンが冒頭から登場する。予告編にもあるようにリングに向かっているボクサーが倒されてリングから戻ってくる負けたボクサーとすれ違い、明らかに寺山の視線は敗者に向かっているのであるが、とりあえず亡くなったボクサーの追悼が終わった後に、モノクロの画面はカラーに変わり、チャンピオンを目指すボクサーの天馬哲生の物語が始まる。
 隼謙次が何故勝てたはずの試合の途中で試合を放棄してしまったのか明かされることはないのだが、娘のみずえが謙次に訊いた際に、かつて事故や事件で亡くなったチャンピオンの名前が列挙される。つまりいくら世界一強くなったところで人はあっけなく死んでしまうことに何故か試合の最中に謙次は気がついたのだと思う。
 しかし謙次のコンプレックスは盲目になる恐怖でさらにこじれることになる。達観したはずの謙次は自分の目の前で何が起こっているのか分からなくなる恐怖に苛まれる。その時、天馬に乞われた謙次は人間の強さの証しを見たかったのであり、だから弟を殺したかもしれない、あるいは娘を強姦したかもしれない天馬を指導し続けたのであろう。
 本作はマザーコンプレックスが描かれていないだけでも寺山修司監督作品の中では観やすいものだと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする