原題:『Kubo and the Two Strings』
監督:トラヴィス・ナイト
脚本:マーク・ヘイムズ/クリス・バトラー
出演:アート・パーキンソン/シャーリーズ・セロン/マシュー・マコノヒー/ルーニー・マーラ
2016年/アメリカ
クオリティーの低い「RPG」について
本国アメリカにおいては興行的には振るわなかったものの作品そのものはおおむね高評価だったので観に行ったのだが、期待には程遠いものだった。
主人公の12歳のクボは赤ん坊だった頃「月の帝」と呼ばれる祖父と両親のトラブルに巻き込まれ片目を奪われながらも、母親のサリアツの頑張りで九死に一生を得て、今はクボが大道芸で父親の「ハンゾウ(半蔵?)」の物語を折り紙を駆使しながら生計を立て精神を病んでいるサリアツの世話をしている。
ところが2人を探していた母親の双子の叔母のカラスとワシに襲われ、サリアツの機転により助かったクボは「不滅の刀」「頑丈な鎧」「不死身の兜」の3つの宝探しの旅に出るのだが、これは明らかに武器を手に入れて敵を倒してプレイヤーキャラクターのレベルを上げる『ドラゴンクエスト』のようなRPGである。
それはいいのだが、クライマックスにおいて「月の帝」であるライデンと対峙するクボは母親の髪の毛とクワガタにされていたハンゾウの弓の弦と自分の髪の毛を弦とした三味線をかき鳴らしてライデンを老いた人間に変えてしまうのであるが、それならば「不滅の刀」「頑丈な鎧」「不死身の兜」を命がけで集めた理由が分からなくなる。
クボが片目を奪われた理由や、母親が白猿に、父親がクワガタに変身させられた理由など伏線が回収されることもなく、「二弦(Two Strings)」というタイトルなのに実際はクボのものも含めた「三弦」が使われたり、ジョージ・ハリスンの名曲『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(While My Guitar Gently Weeps)』のアレンジの方法も中途半端で、2016年8月にアメリカで公開された日本を舞台にした本作の日本の公開が一年以上遅れた原因が分かったような気がする。