東北大震災から10年ということで、その話題が新聞にいっぱい出ている。
A新聞のコラム天声人語にはこんなことが書いてある。
“”(仙台市の歌人)佐藤さんは雑誌にこう書いた。「無事で良かったと知人から言われるが、たまたま生き残る側におかれたにすぎないのに、個人の生存を言われるのは場違いな気がする」。被災地で多くの人が感じたことかも知れない。“”
本当に、生死を分けるような体験をすると、自分はたまたま生きる側におかれたという気持ちになるのだろうか。
僕はこういう言葉を読むと、例えば金光さんの
「死んでおかげの者もあれば、命をつないでもらっておかげの者もいる」という言葉を思い出す。
命をつないでもらっておかげさまというのは大半の人がおもうことだろうけれど、死んでおかげということを思う人はあまりいないとおもう。
しかし、人間、究極の状況で生きているような場合、いっそのこと死んだほうが、とか死んでいたほうがとか思うことがありうるということもまた事実であると思う。
そういう意味では、金光さんが死んでおかげの者もある と語っているのもわかるように思う。
ブッダの言葉には次のようなものがある。
「我々はここにあって死ぬはずのものであると覚悟しよう。このことわりを人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いは静まる」と。
短く要約すれば
“”自分は死ぬはずのものであると覚悟すると争いは静まる。“”
とブッダは言っている。
確かに、私達が他人に腹を立てて攻撃的になるのは、自分を絶対視しているからそうなるということが多いように僕は感じる。
多くの場合私達は、自分を絶対視しているから「この 俺様に対して、何ていうことしてくるねん」と思って、カーッとなる、他人を攻撃したくなる、ということなのだと僕は思う。
少なくとも、僕の場合は、他人に対して短気を起こしてしまうというときは、あとで、振り返ってみると、自分は正しいのに、なんでやねん という感じで、自分を絶対視しているとか、自分が正しいと思っているときに、短気を起こすことが多いように感じる。
逆に 自分が自信を失っているときに、ここまで自分が自信をうしなっていのに、さらに追い打ちをかけることないじゃないか という気持ちで短気を起こすこともあるけれど。
いずれにしても 自分に対するこだわりが強いときに、僕の場合は短気が起きるように思う。
ちょっと話が横道にそれてしまったかもしれないけれど、
自分が死ぬはずのものであると覚悟する というのは、自分の存在や生命を相対視することにつながるとおもう。
自分を相対視することができれば、確かに、他人に対する攻撃性も減ると思うし、生に対する執着もなくなるとは言わなくても、少なくなるように感じる。
生に対する執着が少なくなれば、また、例えばコロナや他の原因で死んでしまうのではないかというような死に対する恐怖や、死を過度に忌み嫌う気持ちの薄れるのではないだろうか。
そんなふうに僕は考えている。
しかし、生死に対する人間の気持ちというのは、なかなか一筋縄では行かないものだと思う。
芹沢光治良さんの「人間の運命」という小説では、恐らくは作者 芹沢光治良さんの分身である小説の主人公 森次郎が、日本がこれから戦争に向かっていく時代で、みんなが死ぬということを考えているときに、自分は結核という病と戦い、生きるということを考えている。
みんなの意識が死に向かっている時代に、自分は生きるという方向に向かっているということに悩むという気持ちが描かれている。
確か、チャップリンも映画ライムライトのセリフの中で「死が必然ならば、また、生きることも同様に必然である」と語っていたと思う。
僕の記憶では、これは足が動かなくなり、絶望にくれる若き女性バレエダンサーを励ますためにチャップリンが扮する老喜劇役者カルベロが語った言葉だったと思う。
本当に、生と死というものを、そのように色々と相対的に捉えることで、私達の意識の幅というのは広がり、また、生死のどちらか一方に対する執着も低くなっていくように思う。
そして、そのように、生死を相対視するためには、私達を生かしている大きな力というものを意識するということもまた、必要になってくると僕は思う。
それを意識していないと、なかなか生死を相対的に捉えることはできないのではないかと。
まあ、そんなふうに生死をなかなか相対視することができなくて色々 執着しているから、僕もなかなか成長がないのかなとも思うけれど、、、。
もちろん、いろんな執着を少しでも払っていければとは願ってはいる。
東北大震災の年、ユーチューブで津波の映像を色々見ていた。
そのように津波の映像を見ていると、関連動画として、菅原洋一さんがピアノ一本だけの伴奏で、しっとりと静かな雰囲気で歌う、サザンオールスターズのTSUNAMIという歌が出てきた。
そのユーチューブの映像は、東北大震災の被災地のいろいろな様子を写真にとったものだった。潰れた家屋、食料や水の配給の列に並ぶ人などが、そこには映し出されていた。
その映像をバックに歌う菅原洋一さんのしっとりとしたTSUNAMIの歌は、本当にあの、東北大震災の記憶と僕の心の中では深く結びついている。
菅原洋一さんのその歌い方は、桑田佳祐さんとは、全く異なる路線を行くものだった。
そいいう、原曲と趣のことなるカバーを、菅原さんほど実績のある歌手がするときは、時として、歌手の我が強く出すぎて、それが鼻についてしまうこともある。
しかし、菅原洋一さんのそのしっとりとした歌い方の中には、作曲者 桑田佳祐さんに対する、菅原洋一さんの尊敬の念がとてもよく込められているとそのとき僕は感じていた。
菅原さんがTSUNAMIはこういうしっとりとした歌い方をしても、とても魅力的な歌で、また、その様な歌い方にも充分耐えられる歌、単なるポップスを超えた歌であることを、その歌唱によってみんなに伝えようとしている気持ちが僕には伝わってくるようだった。
作者への尊敬の念をいつも持って、歌を歌う、音楽を演奏する。
それもとても大切なことであるとあのとき僕は感じた。