ケンのブログ

日々の雑感や日記

ふとしたきっかけで思うこと

2019年09月29日 | 日記
一昨日たまたま開けたクローゼットから
一枚の紙がほろっと下に落ちた。
見ると平成十四年にマンションの駐車場の料金を
二ヶ月分まとめて振り込んだときの振り込み用紙だった。
あれ、おかしいなマンションの駐車場の料金は
銀行口座から引き落としのはずだったのにと思った。
ちょっと考えて、そうか、駐車場の契約をしたとき
銀行の引き落としの手続に二ヶ月くらいかかるから
それまでの二ヶ月は振り込んでくださいと言われたんだと思い出した。
平成14年つまり2002年、
思うところあって中古の軽乗用車を買い
マンションの駐車場の契約をした。
僕、そのときまだ40才。
振り込み書の経緯まで思い出せるくらいだから
そんなに昔のこととも思えない。
あれからもう17年も経過したのかと改めて思う。
その車もとっくに手放してしまった。
そして今57才の僕もあと17年経過すればもう74才かと
思った。
男性の健康寿命がたしか70才くらいだったと思うから
74才と言えばもう健康寿命は終わっている可能性も
十分にある。
平均寿命が80才として、そこからさらに6年もすればぼちぼち、、、
と思うと
なんかそんなに早いんか
と思って寂しくなってくる。

僕の祖母は60才くらいの時、僕の祖父
つまり、自分の夫を亡くした。
夫がなくなって一、二年の間は
祖母は仏壇の前で祖父のことを思い出して
よく泣いていた。

祖父がなくなって3年くらいたつと祖母は
もう祖父のことを思い出して仏壇の前で
泣くということはなくなった。
そのかわりに「わっちもまあながあねえわ、ケンちゃん」
というのが口癖になった。
僕のかおを見ると祖母はなぜか「ああ、わっちもまあながあねえ」と
繰り返し言った。
僕が孫だから祖母は気を許していたのかも知れない。
※「わっちもまあながあねえ」というのは岐阜の方言で
「私ももう長くない」という意味です。

そういえば寅さんも自分の叔父、叔母のことを
老い先短いおいちゃんおばちゃんと言っていたっけ。

祖母がしきりに「わっちもまあ長あねえ」とこぼすことを母に話すと
「その通りやがね。おばあちゃんが今まで生きてきた年月と
これから生きる年月とどっちが長いね」と母は決まって言った。
その答えは人間の平均的な寿命ということを考えると
明らかだった。
「まあ、そう言えばそうやわな」と僕は言った。
するとたまに母はこう付け加えることがあった。
「人間、ほっといたらいつまででも生きておりたいよ」と。
これもまたその通りと思った。
僕の母はだれもが当たり前と思っていながら
なかなか口にしないことをあまりにもあっさりと
口にしてしまうことがよくある。
そういうのが気持ちよくて
僕の母を訪ねてくださるかたもいらっしゃるかもしれないと
僕は思う。

その祖母のことだけれど、90才以上まで生きて
結局最後までボケることもなく
案外楽になくなったような気が僕にはしている。

僕も普段は人間いつか死ぬということを忘れているけれど
こうして17年前の振り込み用紙を発見したりしたときに
ふっと思い出して寂しくなってしまったりする。
金光さんは死ぬのは寝入るのと同じである。
死ぬことをいとうな。ということをおっしゃっている。
普通の言葉でも死ぬことを永眠という。
僕も死ぬのは永遠に眠って目が覚めないこと
と今は思っている。
寝ると思うと怖くないけれど
目が覚めないと思うと、もう長年
慣れ親しんだ自分という意識のなかには
戻ってこれないのかと感じて、いやそれは寂しいことだなと思う。
なんともやるせないような気持ちになってくる。

こういうことに関して仏陀とかイエスとかそういう
聖人というような人ではなく
ごく普通の人はどう思っているのだろうと興味をもって
知恵袋などのサイトでいろいろみんなの意見を見てみた。
なぜ人間は偉くなったり後世に名を残したり
自分のことを覚えてほしいと思ったり
生きた証を残そうと思ったりするのだろうという問いは
こういうサイトのしかるべきカテゴリーを見ると
少なからず存在する。

そういった問いに対するあるベストアンサーは
人間が偉くなったり名を残したりしたいと思うのは
結局死への恐怖の裏返しではないでしょうか。
死ぬことをいとう気持ちが
どうせ死ぬならせめて名を残して
自分が生きていたことを覚えておいてほしいという
気持ちにつながるのではないでしょうかという趣旨のものだった。

これを読んだとき、ああ、これは僕が感じていることに
近いなと思った。
僕自身も特に若いときは
どうせ限りある人生なら一生懸命
頑張って願わくば名が残るようなということを思った。
こういう思いは、年を取って
会社でも出世するということもなく
それ以外の道で頭角を表すこともなく
この年まできてしまうともうすっかり諦めモードになってくる。
どの会社でもそうだと思うけれど
入社してある程度年数がたったときには
だいたいあの人はこの会社でなんとなく上までいきそうだとか
どうもそうではなさそうだというのがかなり見えてくる。
僕は入社して5年もたった頃にはすっかり諦めモードになってしまった。
今さら何かで有名になって毎日大勢の人に注目される
生活に耐えられるだろうかと思うと
もう若いときからそういうのになれていないとそれはきついと思ってしまう。
では、そういう思いがすっかり吹っ切れているかというと
案外そうでもなくて
たまに、何かのきっかけでやっぱり
権力のある人、有名な人はいいよな
そういう人はきっと人生にも満足して死んでいくのではないだろうか。
やっぱりいいな。と思ってしまう。
もちろん有名で実績もあげたから死ぬとき満足かどうかは
その本人にしかわからないことなのだれど。
もうひとつこうしたサイトの書き込みの中に
名を残すと言ってもそれは結局後世の人が決めること。
自分の努力だけではどうにもならないということも書いてあった。
本当にその通りだなと思う。
八王源先生がある会社の社長さんに
「おまえさん自分で自分の銅像作ったってあかんぞ。
死んでから人に祭られて銅像ができるくらいでないと」と
おっしゃったことを思い出す。
そういえば死んで銅像ができるような社長もそんなにいないな
としみじみと思う。
「社長と言ってもね。その地位を降りたらただの人
誰も見向きもせんようになるの」と八王源先生がおっしゃっていたことも
またその通りだなと今さらのように思う。

そういえばもし僕の記憶が正しければ
作家の宮本輝さんも自分は死ぬの怖い病にかかったことが
あってしんどかったというようなことを何かのエッセイに書いておられたような
気がする。
輝さんはそういうのを割りと素直に認めてしまうところが
すごいのだと思うけれど、、、。


征さんというかたの本にはこのようなことが書いてある。

「人はどのようにして軽く素直になったらよいのかということなのです。
本当は少しも難しくも大変でもないことなのです。
人々がすべてのことを素直に、あるがままに受け止め
何事にも執着心を残さないという姿勢になればよいだけのことなのです。
そうです、最終的には、生きるということに対しての執着心で
あると言えるでしょう。
あなたがたが、今生きていること、そして死を迎えますこと
そのどちらも同じであると知りますならば
おそらくは死に対する恐怖、あるいは生に対する、つまりは
生命に対する執着心を取り除くことができるのではないでしょうか。
まずは物に対して、さまざまなできごとに対してのこだわり
あるいは権力や知名度などに対しての執着なども
同じであると言えましょう。
そのようなことを少しずつ取り払っていくとよいのです」

ある程度の執着は努力をするための
原動力になりうると思いつつも
やはり征さんが書いておられるような目標に
少しでも近づきたいなと思う。








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