ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルハーモニー名曲シリーズを聴きに行く(第92回)

2024年07月11日 | 音楽
7月5日、日本特殊陶業市民会館フォレストホールに名古屋フィルハーモニー第92回名曲シリーズを聴きに行った。

指揮 ニル、ヴェンディッティさん
ピアノ サー スティーヴン ハフさんで

最初に、ラフマニノフピアノ協奏曲第3番が演奏された。

曲が始まってしばらくの間 ピアノとオーケストラの意気が微妙にあっていないと感じてちょっと大丈夫だろうかと思う場面があった。

僕はコンチェルトを聴くときに 意識の照準を指揮者に置くべきかソリストに置くべきが混乱してしまうことが時々ある。

しかし、当日の演奏は そういうレベルの話ではなく演奏そのものが指揮者のリードで進んでいるのか、ソリストのリードで進んでいるのか わからないと思う場面があった。

第一楽章の後半になるとだんだん ソリスト つまりピアニストが演奏を支配しているんだなと感じるようになった。

そう感じてからは割と落ち着いた気持ちで演奏を聴くことができた。

ただ、ラフマニノフのような音楽になるとホールの音響が若干ドライであることがちょっと気になるなと思う場面もあった。

たぶん僕はラフマニノフの音楽の中でピアノコンチェルト3番をCDなど録音で聴く回数が最も多いと思うけれど 生演奏では奇妙な風景に出くわすことが多い。

かれこれ8年近く前に 大阪のフェスティバルホールで山田和樹さん指揮、河村尚子さんピアノ バーミンガム市交響楽団の演奏でやはりラフマニノフのピアノコンチェルト3番を聴いた。

この時も 演奏が始まってしばらくの間ピアノと指揮者の意気が微妙にあっていないなと思う場面があった。

ただ、僕がそう思っていたら 山田和樹さんが オーケストラよりもむしろピアノに向かって積極的に気を送っているように僕には見える場面があって、そうこうしているうちに指揮者とピアニストの意気がだんだんあってきて 演奏は尻上がりに盛り上がっていった。

あの時の 指揮者がピアノを指揮しているように素人には見えるという光景が何ともほほえましくてちょっと僕には忘れられない。

この日の名古屋フィルの場合は 指揮者がちょっとコンチェルトに不慣れかも(指揮者の動きがオーケストラの指揮者の動きというよりは合唱コンクールなどの指揮者の動きに近いように僕には見えた) と思っていたらだんだんピアニストが演奏を盛り立てて行って次第に演奏が熱気を帯びてきた。

このように 指揮者とピアニストが意気をはかりながら演奏をものにしていく このラフマニノフの3番のコンチェルトでそういう場面を2度見ることができたのは ちょっと奇遇というか僕にとっては印象深い体験になった。

休憩をはさんで次に
望月京 ベートーヴェン交響曲第2番と第6番の間奏曲が演奏された。

この曲は作曲された望月京さんがプレトークでベートーヴェン交響曲第二番フィナーレのドレドレという音をモチーフにしたというようなことを語っておられた。

どれどれ どこかでドレドレの音が出てくるだろうかと思っていたけれど 結局 気付かずじまいだった。

ベートーヴェン2番、6番の他のモチーフも出てくるだろうかと思っていたら そういうことにも気づくことができなかった。

ただ、いろいろオーケストラから奇妙な音が出てきて これはゲゲゲの鬼太郎など妖怪映画のBGMによいかも と思いながら聴いていた。

最後に
ベートーヴェン交響曲第二番が演奏された。

これは僕にとってはとてもよかった。

あるいはこの曲に最もリハーサルの時間を割いたかもなどと余計なことを考えていた。

第一楽章はフレージングが短いところが多かったけれど ピリオド奏法的な演奏というわけでもなく、響きはそれなりに豊穣で迫力があるように聴こえた。

イントロダクションが終わって主部に入ると 弦楽器もかなり踏み込んでいくというか切り込んでいくというかそういう印象だった。

全員で踏み込んでいければ すごいことになるのだと思う。ただ、 僕の目にはファーストバイオリンとセカンドバイオリンの一番前で弾いている方が 率先して踏み込んでおられるように見えた。 だから、オーケストラ全体で鋭く切り込んでいるのか 前の方が踏み込んでおられるので 全体的に切込みの鋭い音に聴こえるのか その点はちょっと微妙かも と思いながら演奏を聴いていた。

ただ、視覚的に、踏み込んで行っておられる奏者が見えるというのは 聴く側も気合が入って楽しいものだなと思った。

あと第一楽章の終結部ではテンポを速めて緩めて終わるという感じだったけれど、これは音楽的ジョークなのかなと思った。

あるリラクサロンのセラピストの方が「凝った筋肉を伸ばして緩めます」という言葉を自分のプロフに書いておられたことを思い出した。

第二楽章もスーッと行く感じでいいなと思った。

オーボエが僕にとっては聴きなれない 不思議な装飾音をつけておられるなと思う場面もあった。

第三楽章は高速メヌエットとうかプログラムにもはっきりとスケルツオと書いてある。

ちなみに 第一楽章はアレグロコンブリオと書いてある。

僕にとって竹下登内閣と言えば消費税導入 そしてベートーヴェンのシンフォニーと言えばアレグロコンブリオとスケルツォ導入というイメージだけれど この第二番でその形がはっきりと確立されるんだなということを生演奏を聴くことでつくづく思い知った。

そして、天才は早い時期からもう天才だなと思った。

第四楽章も弦楽奏者の方が踏み込んで行かれる様に触れるのは 見ていてそして聴いていて楽しく 音楽ってほんとうにいいものだなと しみじみ思った。

最後は、トランペットが主和音の音階を高らかに奏でた後、弦楽器を中心に主音を5回たたくように奏でて曲が終わるのだけれど 最後の音で演奏がピタッととまって その止まり方が例えば体操選手の着地がピタッと決まった時のように心地よく感じられた。

アンコールで その最後の主音を奏でるところをもう一度やったのだけれど 今回は最初のピタッとした着地に比べると まあ 不揃いだった。それは、最後のところだけやればタイミングが取りづらくて不揃いになるのは理にかなっているわけだ。僕にとっては、この不揃いなアンコールが最初のピタッと決まった見事な印象を薄めてしまうことになった。なので、このアンコールはやらなきゃよかったのにと思ったけれど、これは名曲シリーズだし まあ、いっか と思いなおした。


それはともかくとして 一日 いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。