ケンのブログ

日々の雑感や日記

名フィルの定期演奏会を聴きに行く。

2023年04月19日 | 音楽
4月8日 愛知県芸術劇場に名フィルの定期演奏会を聴きに行く。

指揮は川瀬賢太郎さん。名フィルの音楽監督として初の定期演奏会。

最初にハイドンの交響曲第86番が演奏された。

第一楽章 ゆっくり始まって 途中から 快速になる。

ハイドンの交響曲によくあるパターン。

でも 緩から急というのは本当に音楽が楽しく聴こえるパターンだなと思う。

第三楽章のメヌエット もう終わりかと思ったら そこから トリオだった。

終わるかと思うと終わらない ということが 全曲を通じて何度かあった。

こういうのも 音楽のひとつのジョークなのだと思う。

宮廷で音楽を聴く人たちは きっと 「終わったと思ったら まだ 続くのか」とか言って楽しんでいたのではないかと想像する。

ハイドンの時代の音楽は まだ コンサートホールで聴く音楽ではなく 宮廷の音楽なのだなと生の演奏を聴くと実感する。

最初のチューニングの時に コンサートマスターが ツーっという感じの直線的で細い音を出していたけれど 演奏も そういうピリオド奏法的な音が全体を通じて出ているように聴こえた。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのがマーラーの交響曲第5番

第一楽章冒頭のトランペットのファンファーレが凛としていて 耳にスーッと入ってきた。

こういうトランペットが活躍する曲を演奏する3時間くらい前のトランペット奏者の気持ちはどんなものなのだろう とか 演奏とは 直接関係ないことを考えたりもしていた。

あと 弦楽器の演奏者の手が ハイドンに比べると 顕著にぶるぶる震えていて ビブラートをかけていることが素人なりに目視できたことも 僕にとっては印象深いことだった。


第三楽章 この楽章の冒頭で出てくるホルンのメロディは大好き。

コンサートでも柔らかい音できれいになっていたと思った。

楽章の途中でかなり長い弦のピチカートが出てくるのだけれど そこを聴いて きっとマーラーは単に弦のピチカートを入れる という意図で このピチカートを入れているのではなく 何らかの 民族楽器をイメージしながら このピチカートを入れているのではないだろうか そんな気がした。

そして 『出自に関して、後年マーラーは「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として」と語っている』というマーラーの出自に関してウィキペディアに書いてある記述を心の中で思い浮かべていた。

この楽章を聴いていて 民族的なものへの思い入れが感じられる部分 管楽器が自然の鳥の声のように聴こえて 自然を思わせる部分 やはり 民族の楽しい踊りを想起させる部分 ほんとうにいろんな要素から成り立っている楽章だなという思いを新たにした。

マーラーが三重の意味で故郷のない人間 つまり 自分を異邦人と感じているからこそ 作ることができた音楽 そんな 気がした。

四楽章 五楽章もよかったけれど コンサートの日から この記事を書くまでに かなり日数が経過してしまったので 記憶が薄れてしまった。

木管が 金管のように 管を上に向けて演奏していたり ホルンも 曲想によって ラッパの向く方向を変えたり そんな風にしている様子をぼんやり見ていたことだけは 覚えている。

いい演奏会だったと思う。





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