ケンのブログ

日々の雑感や日記

さすがに暑くなってきた

2021年06月17日 | 日記
さすがに暑くなってきて、ペットボトルの麦茶などの減るスピードが早くなった。

そういう意味では、身体は正直だなと思う。

芹沢光次郎さんの「人間の運命」という小説を読んでいたら、主人公の森次郎があるひとから「もう病気の方はすっかりいいのですか」と問われて

「結核という病気は、これでよくなったという時がはっきりしない病気ですから・・・・」と答える場面があった。

この場面の時代設定は日中戦争の頃だから、まだ、結核は、高地へ行くとか、いわゆる自然療法で治すのが主流の時代だったと思う。

けれど、今の時代にあてはめてみても、風邪などは、鼻水がとまって、咳が止まって、熱が下がれば、なおったと比較的はっきりするけれど、それ以外のいろいろな生活習慣病やトラウマなどは、やはり、これでよくなったという時がはっきりしない場合が多いのではないだろうか。

そういう意味では、自分の病気というものが、何であれ、しっかり、気長に向き合っていくという姿勢も大切なのではないだろうか。

一度に治してしまおうということが逆に無理につながり、新たなひずみを生むということもありうるだろうし、、、。

小説の主人公の、とても、真面目な発言を読んでそんなふうに思った。

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今日の読売新聞の経済面に、大手総合商社の大きな新聞広告が出ていてその文章の中にこんな表現がある。

「太陽光や風力などの再生可能エネルギー電源は永続的に利用することができ、また、発電するときに二酸化炭素を排出しないのが特徴だ。しかし、日本の再エネ比率は現在20%と低く、政府の参考値2050年に50%から60%と大きな開きがある」と書いてある。

書いてあることが、あまりにも正しすぎて、逆に怖いなと思ってしまう面もある。

太陽光で発電した電源が永続的に利用できるといっても、太陽光パネルの耐用年数が経過したときにはどうするんですか、と言ってみたところで、「文章にでは、太陽光パネルの耐用年数には触れていません、太陽光があるかぎりは永続的です」と言い返されたら、もう、ご道理ごもっともと言うより他はない。

でも、今まで、田んぼや、畑、森だったところに太陽光パネルを敷き詰め、海底に穴を掘って心棒をたて、巨大な風車をブンまわしたら、環境が破壊されて、再生可能エネルギーの利用は理論上永続的でも、その前に、人類が滅びてしまうかもしれない。

しかし、そんなことまで考えていたら、経済における国際競争力が落ちてしまうだろうし。


本当に、誰が、どんな責任をもってどこに進んでいるのか分かりにくい時代だなと思う。

まあ、何をいってみてもなるようにしかならないのだろうけれど。

できれば、人類や地球が生き残れることを願っている。

ひとつだけ言えることは、なるべく余計なエネルギーを使わないことが、環境破壊にたいしてできるささやかな配慮だとは思うのだけれど、僕も暑くなるとすぐエアコン入れるから、とてもえらそうなこと言える立場じゃないし、、、。

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以前、読売新聞に渋滞学の先生の話が載っていて、そこには、たとえば車間距離をつめすぎると、渋滞がおこりやすくなって、結局、みんなが目的地につくのが遅くなる。

車間距離を開けたほうが、結局は、渋滞がおこりにくく、みんなが目的地に早くつく。

また、バケツリレーでも、バケツに目一杯水を入れるよりも7分目か8分目にしておいたほうが、結局、単位時間で運べる水の総量は大きくなる

という主旨のことが書いてあった。

これって、僕自身なるほどなと思ったし、僕以外の多くの人も、言われてみればその通りと思うのではないだろうか。

それで、思い出したのだけれど、金光さんの言葉にこんな下りがある。

「理屈があっても、みなまで言うな。理屈とくさびは八分づめ。つめすぎると紙袋は裂ける」と。

本当に、理不尽な目に遭ったときなどに、こちらの言い分を100%言ってしまって、問題が治まるどころか逆に、大きくなってしまうことって、あると思う。


八分づめでとめられたかどうか、反省することもおおい昨今だ。

これに、関連した金光さんの考えで、僕が好きなのは「くり合わせ」という考え方。

午前中に電話して、怖いお兄さんがでてきても、午後に電話したら、今度はやさしいお兄さんが出てきた。これも、くりあわせのひとつなのだと僕は思うし、また、思いたいと考える。

それはともかく、毎日、無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。





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